はんなりんに捧げる
この本の目的は、プロのチアリーダーが、品格あるチアリーダーにステップアップする事にあります。
チアの品格とはプロチアリーダーにおける気品の高さを意味します。 気品の高いチアは尊敬され賞賛される一方、気品の低いチアは軽視され無視されます。 他のチアから尊敬され、高い品位を持つと賞賛されるチアには、三つの共通点があります。 一つはチアとして異性から愛されている点、一つはチアとして金銭的に自立している点、一つはチアとして勝利に貢献している点です。 これら共通点の獲得方法を第一章から第三章で説明し、第四章ではチアの哲学に迫りながら、さらなるステップアップを狙います。
第一章にはチアとして異性から愛される方法が書かれています。 異性から愛を獲得し、やる気を高める事によって、チアに必要な好循環を作る事が可能です。 チアに必要な好循環とは、多くの愛を獲得したチアがさらに美しくなり、それによってさらに愛されるという好循環です。 この好循環はやる気を引き出し、その結果としてパフォーマンス力が向上します。 品格あるチアにステップアップするために、まずチア自身が多くの異性から愛され、試合ごとに多くの贈り物をもらう必要があります。
第二章にはチアとして現金を得る方法が書かれています。 現金を獲得し、チアが自分の金だけでチームを運営する事によって、チアは初めて所属チームから自立していると認められます。 所属チームからチアが金銭的に自立する事は重要です。なぜなら、チアは自由なチアを披露する事ができるようになるからです。 自由なチアを披露する事ができるチアは、金銭的に縛られているチアと比較して、自分の魅力をより引き出す事が可能です。 品格あるチアにステップアップするために、活動費は自分で稼いで、自由なチアを披露してより輝く必要があります。
第三章にはチアとして勝利に貢献する方法が書かれています。 勝利に貢献し、チアが所属チームに栄誉をもたらす事によって、チアは自らの栄誉も上げる事が可能です。 栄誉ある勝利を獲得するためには、観客を試合に参加させ、チアが会場の一体感を人為的に作ります。 一体感は選手・チア・観客を一つにし、誰もが試合結果に責任を持つようになって、結果誰もが熱心に応援するようになります。 品格あるチアにステップアップするために、試合会場に一体感を作って、所属チームを勝たせる必要があります。
第四章にはチアが理解しておくべき哲学が書かれています。 哲学とは物事の本質を理解するための力であり、心が迷わないための、普遍的真理の追求です。 本質を理解すれば、軽薄ですぐ飽きる金メッキのチアではなく、奥深く飽きない純金のチアを作る事ができます。 そのような純金のチアを作るには、チアとは何か・プロとは何か・ダンスとは何かといった、チアの哲学を理解する必要があります。 品格あるチアからステップアップするために、哲学的思考力を高め、本物の良さを持ったチアリーダーとなる必要があります。
この章にはチアが異性に愛されるための具体的な方法が書かれています。 愛なくしてチア活動は成立しません。というのも、愛はチアの動機となるからです。 そのため、まずはチア自身が愛される必要があります。 チアが愛されるには二つの方法が用いられます。一つは新規の愛の獲得で、一つは既存の愛の継続です。 新規の愛を獲得するに、コミュニケーション・パフォーマンス・アイドル的手法が用いられます。 既存の愛を継続するために、熱愛行動の相違・後戻りできない投資という手法が用いられます。
愛はチア活動における全ての動機となるため、最優先事項として愛される必要があります。 チア活動に必要な動機は二つあります。一つは継続するための動機、一つは向上するための動機です。 継続とはチアがチアとして生きていくための最低限の動機であり、これがあるからこそチアを続けて行く事が可能です。 向上とはチアのクォリティを上げるために頑張る動機であり、これがあるからこそチアの輝きは増し続ける事が可能です。 愛ゆえにチアは生きながらえ、愛ゆえにチアは美しく向上します。
チア活動の継続には愛が必要であり、愛が不足すると死に至る事もあります。 心理学者マスローによると人間には二つのレベルの欲求があります。一つは低レベルの基本的欲求で、一つは高レベルの成長欲求です。 低レベルの基本的欲求とは不足すると死に至る欲求であり、下位より生理・安全・安定・愛と続きます。 高レベルの成長欲求とは基本的欲求が満たされた上でのプラスアルファであり、リラックス・楽しみ・個性等です。 愛よりさらに根本的な欲求は生理と安全しかなく、愛の獲得は重要な優先事項です【注1】。
まずチアが愛され満足しなければ、パフォーマンスを見たファンが満足することもありません。 ファンの満足度とチアの満足度は自転車の前輪と後輪に似ています。ファンが前輪で、チアが後輪です。 自転車の前輪を回すには、まず足で漕いで後輪を回す必要があります。 足で漕いで後輪を動かし、後輪がゆっくりと前へ進むことにより、結果としてファンの満足度という前輪も前へ進みます。 後輪を足で漕ぐチアの動力こそが愛であり、愛なくしてファンが満足するパフォーマンスもありません【注2】。
愛される事でより美しくうまくなり、さらに愛されるという好循環を築くことができます。 美の目的とは愛であり、愛される事はその目的を達成した証拠です。 目的達成は自分の信念や手法が正当であった証拠でもあり、これが自分に自信を与えます。 自分に自信があれば表情も明るくなって美しくなり、積極的な気持ちはパフォーマンスを向上させます。 より美しくうまくなったチアはさらに愛され、その愛がまたチアを美しくうまくするのです。
愛にはパフォーマンスを良く見せる効果もあります。 パフォーマンスそのものは同じであっても、愛される事により、パフォーマンスが向上したように見えます。 なぜなら、愛は鑑賞者の心拍数を上げ、ドキドキした原因が愛ではなくパフォーマンスにあると錯覚するからです。 この錯覚は公平な審査が必要な競技チアには存在せず、競技では実力だけの勝負となります。 実力だけの勝負はプロには不必要です。プロなら愛による錯覚も積極的に利用して、パフォーマンスを向上させる必要があります。
1.「愛」こころの動き,中村雅彦,北大路書房。マスローの欲求の階層(1954)とは人間の基本的欲求をピラミッド型で示した図である。 図は二種類あり、一つは基本的欲求で、一つは成長欲求である。 基本的欲求は不足すると死に至る欲求であり、最底辺の階層は空気・水と言った生理、次が安全と安定、次が愛と集団所属、次が自尊心・他者による尊敬である。 成長欲求は基本的欲求が満たされた上でのプラスアルファであり、リラックス・楽しみ・個性である。
2.9割がバイトでも最高の感動が生まれるディズニーのホスピタリティ,福島文二郎,中経出版。 顧客満足度と従業員満足度は、自転車の前輪と後輪である。顧客満足度を進めるには、まず従業員が満足し進まなければならない。
コミュニケーションとは、試合中のアイコンタクトや試合前後の直接コミュニケーションを使用した愛の獲得手段です。 愛とは非常に個人的な気持ちを共有している状態であり、チアとファンとの一対一のコミュニケーションによって生まれます。 チアがファンとコミュニケーションを取る機会は二つあります。一つは試合中で、一つは試合前後です。 試合中はアイコンタクトを使って、スポーツを見ての興奮を、チアを見ての興奮とすり替えて愛を獲得します。 試合前後は直接コミュニケーションを使って、ファンとの距離を近づける事により愛を獲得します。
試合中はアイコンタクトを得失点時にファンと取ることによって愛を獲得する事が可能です。 熱愛が発生するメカニズムは、社会心理学者のバーシェイドとウォルターによって、既に解明されています。 そのメカニズムによると、熱愛は錯誤によっても発生します。 錯誤とは試合の興奮をチアへの興奮と勘違いする現象で、熱愛の錯誤帰属モデルと呼ばれており、「吊り橋の実験」で立証されています。 この現象により、得失点時にファンとアイコンタクトを行うと、試合の興奮をチアへの興奮と勘違いして愛される事になります。
熱愛が発生するメカニズムとは、生理的要因に認知的要因を与えると熱愛になるという理論です。 生理的要因とは生理的に強い興奮状態にある事を意味し、脈拍・血圧・体温の上昇といった生理的喚起状態です。 認知的要因とは生理的喚起状態を熱愛と認知するきっかけです。 アメリカの社会心理学者バーシェイドとウォルターは、生理的要因(ドキドキしている)に 認知的要因(魅力的な女性)を与えると、その女性を熱愛対象と錯誤すると説明しています【注1】。
熱愛の錯誤帰属モデルとは、スポーツ等で興奮している時に、たまたま目撃した女性を錯誤して熱愛する現象です。 人間が生理的要因を判別できない事は「吊り橋の実験」にて科学的に立証されています。 「吊り橋の実験」とは危険な吊り橋によるドキドキを熱愛のドキドキと錯覚し、たまたま近くにいた女性を好きになる事を 科学的に証明した実験です。 スポーツの試合ではドキドキするシーンが数多く現れます。 ドキドキしたタイミングでファンとアイコンタクトを取る事により、試合のドキドキをチアを見てのドキドキと錯覚させて、 チアを愛する事になります【注2】。
熱愛の錯誤帰属モデルにより、得点時にファンとアイコンタクトを取ることで愛される効果があります。 得点(認知的要因)を見てのドキドキ(生理的要因)がチア(認知的要因)を見てのドキドキ(生理的要因)と錯誤し、熱愛となります。 試合を実施しているのは選手であり、チアが得点を入れる事は絶対にありません。 得点による生理的要因はあくまで選手が作りだした要因ですが、これは熱愛を錯誤させる絶好のチャンスです。 ファンが得点を見てドキドキしている間にファンと目を合わせ、ファンがチアを見てドキドキしていると錯覚させましょう【注3】。
熱愛の錯誤帰属モデルにより、失点時にファンとアイコンタクトを取ることでも愛される効果があります。 失点(認知的要因)を見ての落胆(生理的要因)がチアの温かい笑顔(認知的要因)という状況的手がかりと結びつき、熱愛となります。 失点時におけるチアの認知的要因も、得点時と同様の笑顔である事に注意して下さい。 もし失点時にチアが残念な表情を浮かべると、ファンは落胆の認知的要因がチアであると錯誤してしまい、好意は持たれません。 失点は落胆という逆境を発生させますが、その逆境もまた、愛を得る手段へと変換可能です。
ウインクを行うと単純なアイコンタクトよりさらに愛されます。 ウインクとは極めて個人的なサインであり、二つの長所があります。一つは一対一の愛の伝達である点で、一つは二人だけの秘密である点です。 一対一の愛の伝達とは「あなたが好き」というメッセージであり、一対他の愛の伝達である「みんなが好き」というメッセージよりも強力です。 二人だけの秘密とは秘密の愛の共有であり、ロミオとジュリエットのごとく、公開された愛よりも強力です。 チアのウインクは対象を特定せずに実施されますが、それを見たファンはチアが自分を好きだと錯覚し、そのチアをさらに好きになります。
1.「愛」こころの動き,中村雅彦,北大路書房。アメリカの社会心理学者バーシェイドとウォルターの熱愛理論。 生理的要因(生理的に強い興奮状態にある事。脈拍・血圧・体温の上昇)による生理的喚起状態において、 認知的要因(生理的喚起状態を熱愛と認知するきっかけ)を与えると熱愛となる。
2.Some evidence for heightened sexual attraction under conditions of high anxiety,Dutton, D.G., & A.P,Journal of Personality and Social Psychology, 30, 510-517. 「吊り橋の実験」。 実験として、18〜35歳の交際相手のいない男性に橋の真ん中でニセのインタビューを実施し、「後日連絡を下さい」と名前と電話番号を渡す。 その後、ドキドキしない安全な固定橋とドキドキする危険な吊り橋において、インタビューを実施。 男性がインタビュアーを気に入れば、後日連絡をするはず。 実験の結果として、危険な吊り橋におけるインタビュアーの方に電話をかけた被験者が多い事が判明。 この実験は、ドキドキする環境が被験者という偶然目の前にいた相手に好意を与えた証拠とされる。
生理的喚起 | 状況的手がかり | 電話をかけた被験者(%) |
固定橋 | 男性面接者 | 16.7 |
固定橋 | 女性面接者 | 12.6 |
吊り橋 | 男性面接者 | 28.6 |
吊り橋 | 女性面接者 | 50.0 |
3.恋の心理薬 愛する人とあなたのために,富田 隆,太陽企画出版。 風と共に去りぬ:恋愛は視線を送ることから始まる。
試合前・試合後は、有言・無言の会話による、直接コミュニケーションをファンと取ることによって愛を獲得する事が可能です。 試合前後とは試合が実施されている以外の時間です。 この時間は自らの言葉と相手との距離の近さにより愛を獲得する事が可能です。 言葉と距離は、その質や量よりも、回数が重要です。
試合前後はファンとの直接コミュニケーションにより愛を獲得します。 直接コミュニケーションには二つの方法があります。一つは有言のコミュニケーション、一つは無言のコミュニケーションです。 有言のコミュニケーションとは言葉による会話です。 会話とは二人以上の人間が互いに働きかけ反応しあう相互作用であり、その過程において愛が発生します。 無言のコミュニケーションとはファンとの物理的な距離の近さです。 愛の強さは距離と反比例するため、手の届く距離での対峙は愛を発生させるに十分です。
直接コミュニケーションを取る機会は、お出迎え時とお見送り時に発生します。 お出迎えとは入場時に会場入口にて実施する、ファンへの挨拶です。 お出迎えでは、意気込み・試合情報・個人的な気持ちを口に出して相互に気持ちを交換します。 お見送りとは試合終了後に実施する、ファンへの挨拶です。 お見送りでは、試合結果・パフォーマンスの感想・個人的な気持ちを口に出して相互に気持ちを交換します。
直接コミュニケーションはTVコマーシャルのように回数が重要であり、質・量はさほど重要ではありません。 回数として、毎試合における短時間のコミュニケーションと、一年に一回だけの長時間のコミュニケーションとでは、前者が効果的です。 回数は多い方が良いのですが、質・量は関係なく、毎回会うだけで親しみを感じると社会心理学者のフェスティンジャーは主張します。 毎試合ファンと会っていれば、チアの存在が無関心になることはありません。 好きの反対は嫌いではなく、好きの反対は無関心であると考えた方が良いでしょう【注】。
恋の心理薬 愛する人とあなたのために,富田 隆,太陽企画出版。 好きの反対は無関心である。
パフォーマンスとは女性の身体的美しさを使った愛の獲得手段です。 パフォーマンスには二つの種類があります。一つは静のパフォーマンスで、一つは動のパフォーマンスです。 静のパフォーマンスとは写真やセレモニーなど停止状態での表現であり、チアの若さをアピールします。 動のパフォーマンスとはダンスによる動作を伴う表現であり、チアの健康をアピールします。 若さと健康は女性の繁殖能力を意味しており、男性は女性の繁殖能力を身体的美しさと認識します【注】。
女と男のだましあい ヒトの性行動の変化,デヴィッド・M・バス,草思社。 男は女の繁殖能力を美しさと考える。繁殖能力とは若さと健康である。
静のパフォーマンスにより、若さをアピールして愛を獲得する事が可能です。 若さとはチアのかわいさであり、チアの静的パフォーマンスとして、動かずに華やかさを演出する能力を意味します。 静的パフォーマンスはチアの補助的なパフォーマンスですが、形として残ることが多く、間接的評価を得るために重要です。 チアの静的フォーマンスを発揮する場は三つあります。一つは儀式、一つは撮影、一つは歓待です。 これらの場面においてチアが若さをアピールすれば、男性に美しいと感じさせ、アイドルチアとして愛を獲得する事が可能です。
儀式とは花としてのセレモニーへの参加を意味し、チアの容姿が重要視されます。 セレモニーとは、試合開始前や試合終了後において、物品や目録を選手に贈呈するイベントです。 ただし、選手に直接贈呈する人物は物品や目録を供給する人物であり、チアではありません。 チアは物品や目録を贈呈者に渡す事と、贈呈者が選手に贈呈後、花として一緒に写真に写る事が仕事です。 これら一連のイベントは観客の視線を三人だけに集めるため、チアには静止時における容姿の良さが期待されます。
撮影とは花として写真に写る事を意味します。 チアとしての撮影は二種類あります。一つは他人による撮影で、一つは自分による撮影です。 他人による撮影とはプロカメラマンやファンによる撮影を意味し、スポンサーの宣伝やファンサービスが主要目的です。 自分による撮影とは自撮りを意味し、自分自身の価値向上が主要目的です。 どちらも花として撮影されることを期待されており、ダンスとは全く異なる、美しく撮影されるテクニックを必要とします。
美しく撮影されるテクニックには量と技の二つがあります。 量は自分で自分を撮影する時に使用可能なテクニックであり、時間はかかりますが最も簡単です。 技はどのような撮影でも使用可能なテクニックですが、習得に時間を要します。 プロのモデルやアイドルは量と技の両方を駆使しており、自分が最も美しく撮影された一枚だけを厳選します。
量とは数百枚の写真を一度に撮影し、その中から奇蹟の一枚を探すテクニックです。 量は最も簡単なテクニックですが、他人がチアを撮影する時間は常に限られているため、自分で自分を撮影する時にしか使用できません。 量のテクニックは数が何よりも重要です。 もしサイコロを無限回振ることができるのならば、1,000回連続でゾロ目を出すという奇跡も可能です。 量さえあれば、天使のように撮影されている奇蹟の一枚は必ず存在します。
技とはポーズや光を計算して美しく撮影されるテクニックです。 ポーズとして最も効果的で最も簡単なものは、指を使ったメッセージの表現です。 指を使ったメッセージとは、ハートマークを作って愛を表現したり、ピースを作って元気を表現したり、 手のひらを見せて挨拶を表現したりする事を意味します。(その他、頬に手を当てる・ダブルピース・両手のひらを付けるなど) これらはそれぞれ顔の近く・遠く・縦・横・顔の上部・下部と場所を変えるだけで種類が増えます。 光の計算は非常に難しいのですが、窓のそばで撮影すると美しい肌色を撮影可能です。
歓待とは花としてのお出迎え・お見送りです。 お出迎えとは試合開始前に実施する観客への挨拶であり、入場口近辺にて実施します。 お出向えの効果はスーパーの入り口に設置されている生花コーナーと同じであり、観客に美をもって歓迎します。 お見送りとは試合終了後に実施する観客への挨拶であり、退場口近辺にて実施します。 お見送りには、勝った時の喜びを倍増させ、負けた時の悔しさを半減させる効果があります。
静のパフォーマンスを得意とするチアはアイドルチアと呼ばれ、人気・実力を兼ね備えた特別なチアリーダーとなります。 アイドルチアにおける最大の武器は若さとかわいさであり、外見を実力として高い人気を獲得します。 アイドルチアの身体的特徴は黒目が大きい点にあり、目における白目:黒目:白目の比率は1:2:1に近くなります。 この黒目の比率は赤ちゃんの目の比率と同じであり、アイドルチアに若さとかわいさが重視される証拠となっています【注】。 アイドルチアが得意な静のパフォーマンスは形として残りやすく、地元以外のアウェイチームにおいても多くのファンを擁しています。
所さんの目がテン!,第1005回 2009年10月17日,日本テレビ
動のパフォーマンスにより、健康をアピールして愛を獲得できます。 健康とはチアの体力や技能であり、チアの動的パフォーマンスとして、動きで華やかさを演出する能力を意味します。 動的パフォーマンスはチアの主要なパフォーマンスであり、多くの場合、ポンポンを使ったダンスが該当します。 ポンポンを使ったダンスの運動量は激しく、まず体力が全ての基礎となります。 ダンスに耐えうる体力を持った女性は十分健康的であり、男性に美しいと感じさせ、愛を獲得する事が可能です。
動のパフォーマンスを得意とするチアはカリスマチアと呼ばれ、人気・実力を兼ね備えた特別なチアリーダーとなります。 カリスマチアにおける最大の武器は動きであり、ダンスを実力として高い人気を獲得します。 カリスマチアの身体的特徴は身体能力にあり、技術力だけでなく表現力も兼ね備えています。 技術力と表現力はあらゆるダンスの根幹であり、カリスマチアには不可欠な存在です。 カリスマチアが得意な動のパフォーマンスは試合会場での印象が残りやすく、実際に見る地元にて多くのファンを擁しています。
静のパフォーマーは未経験者、動のパフォーマーはオーディション、静動両方を備えたパフォーマーはユースから昇格させて獲得します。 未経験者とは容姿は美しいもののチアやダンスは全く初めてという人物であり、後からチアやダンスを付与します。 オーディションとは、健康状態を確認する、いわゆる通常のオーディションです。 ユースとは高校生以上のキッズチアであり、若さも健康も最初から備えている事が保証されています。 チアがチームとして愛を獲得するには静動両方のパフォーマーが必要です。
静のパフォーマーは未経験者から獲得します。 静のパフォーマンスは見た目の美しさが何よりも重要です。 見た目が美しい人の多くはチアの経験がなく、それどころか、ダンスすら踊ったことがないと考えた方が良いでしょう。 オーディションに経験者のみという条件が付与されていると、ダンスすら踊ったことがない美しい人は、チームに加入できません。 美しい人はモデルや芸能界に流れやすいため、経験者のみという条件を撤廃し、一足先に獲得する必要があります。
静のパフォーマンスでチームが愛されるには、最初から若いチアを獲得し、動のパフォーマンスを育てる必要があります。 静のパフォーマンスとは若さであり、身体的特徴を意味します。 身体的特徴とは体における見た目の若さであり、肌の張り・ツヤツヤした髪・筋肉の若さです。 こういった若さの身体的特徴は、練習や努力によりある程度保つことは可能ですが、根本的に変える事は不可能です。 静のパフォーマンスの向上は動のパフォーマンスの向上より難しく、オーディションでの優先的な獲得が何より重要です。
動のパフォーマーは通常のオーディションから獲得します。 動のパフォーマンスとは健康であり、行動上の特徴を意味します。 行動上の特徴とはチアとしての技能であり、キビキビした足取り・表情の豊かさ・元気の良さです。 こういった行動上の特徴は、練習や努力により獲得可能であり、オーディション後にも大きく伸びます。 チームが動のパフォーマンスで愛されるには、最初から上手なチアだけでなく、今後の伸びしろも見極める必要があります。
静動両方のパフォーマンスを得意とするチアは、ユースチームから昇格させて獲得します。 ユースチームとはチアスクールの一つであり、主に中高生のメンバーが所属しています。 ユースチームのメンバーは若く、静のパフォーマンスに必要な身体的特徴を最初から獲得しています。 またユースチームのメンバーはトップチームと似た練習を行っており、動のパフォーマンスに必要な行動上の特徴も最初から獲得しています。 チームが静動両方のパフォーマンスで愛されるには、最初からそれらを同時に持ち合わせた、ユースメンバーの昇格が最良です。
静動のパフォーマンスはバランスが重要です。 静動のパフォーマーにはそれぞれ弱点があり、静動一方のパフォーマーのみといった偏った編成にすると、全滅しかねません。 全滅とはファンからチアチームがまるごと見捨てられる事態です。 全滅を避ける手段として、最初から静動を分離する方法も存在します。
静のパフォーマーの弱点は、偏り過ぎると他のチアチームからバカにされる点にあります。 静のパフォーマンスに偏ったパフォーマーは、アイドルグループでよく見る事ができます。 そういったグループはかわいくて写真うつりは良いものの、歌は歌えずダンスも踊れない存在であり、アイドルとしての実力は皆無です。 アイドルとしての実力を伴わないアイドルを、ファンはともかく、他のアイドルはバカにする事でしょう。 チアを全員モデルで揃え、コートにただ立たせてもファンからの人気は獲得できますが、他のチアチームからは指をさして笑われます。
動のパフォーマーの弱点は、偏り過ぎるとその実力に気づかれない点にあります。 チアの仕事は、ホームゲームにおけるパフォーマンスだけでなく、メディアに露出する仕事もあります。 チアが露出するメディアは、新聞のように動きを伴わない静止画のメディアと、テレビのように動きを伴う動画のメディアがあります。 動画には動きがあるため動のパフォーマーが得意としますが、写真のような静止画は動かず、動のパフォーマーは苦手です。 それどころか動画撮影そのものが禁止されている場合もあり、そういった場合、動のパフォーマーはその実力を誰にも気づかれません。
静動のパフォーマンスが極端に偏っている場合、全滅する可能性があり危険です。 チア全員を静のパフォーマーで揃えた場合、写真うつりは良くなるでしょうが、ダンスパフォーマンスは期待できません。 チア全員を動のパフォーマーで揃えた場合、ダンスパフォーマンスは良くなるでしょうが、写真うつりは期待できません。 単細胞生物のように、ある環境に偏って特化した生物は爆発的に増加しますが、環境が変化すれば簡単に全滅します。 静動におけるパフォーマンスの均等を保っていれば、ある日突然ファンが心変わりを起こしても、立て直す時間は十分稼げます【注】。
全滅を避けるために、静のパフォーマンスと動のパフォーマンスを完全に分離する手段も存在します。 静のパフォーマンスをイメージガールが担当し、動のパフォーマンスをチアが担当しているプロスポーツチームもあります。 イメージガールはチアとは別のオーディションで選ばれており、踊ることはありません。 静動のパフォーマンスが最初から分離されていれば、お互いが得意なパフォーマンスに集中する事が可能です。 動かないイメージガールはコンパニオン的な意味合いが非常に強いのですが、このイメージガールもまたチアの新しい形と言えるでしょう。
137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史,クリストファー・ロイド,文藝春秋。 ある環境に特化した単細胞生物(個性が一つしかない)は爆発的に増加する。しかし、環境が少しでも変化すれば全滅する。
アイドル的手法とはチアをアイドル化する事による愛の獲得手段です。 アイドルは三つの手法を使って愛を獲得しています。一つは個性、一つはメッセージ性、一つはファンとの一体感です。 個性とはチア一人一人の特徴であり、異なる特徴を持ったチアを多く集める事によって、多くの愛を獲得します。 メッセージ性とはファンに対する愛のメッセージの発信であり、愛されていると錯覚させる事によって、多くの愛を獲得します。 一体感とは参加型パフォーマンスの実践であり、ファンとの共同作業を通じて、多くの愛を獲得します。
アイドルのような個性をチアが発揮する事により、愛を獲得する事が可能です。 個性とは個人やチームの特徴を意味し、ファンを増やして、画一化による全滅を防ぐ効果があります。 個性を発揮して愛を獲得するために、番号や色が使われます。
個性はファンを増やし全滅を防ぐために必要です。 個性が必要な理由は二つあります。一つはファンを増やすという能動的な理由で、一つは全滅を防ぐという受動的な理由です。 能動的な理由として、個性が複数存在すると自分好みの個性が見つかりやすくなり、ファンが増えるという理由があります。 受動的な理由として、個性が複数存在すると環境の変化に強くなり、流行が突然大きく変わっても全滅しないという理由があります。 個性とは自分と他とを区別するための特徴であり、容姿・性格・チアスタイルだけでなく、長所も短所も含めて個性です。
チアが個性を出さなければならない能動的理由とは、ファンを増やす点にあります。 チアの個性が複数存在する場合、いずれかの個性に好みが見つかり、ファンが増加します。 例えばロングが好みな人を10人集めるより、ロングが好みな人を5人・ショートが好みな人を5人集めたほうが簡単です。 もしチアの個性が複数存在しない場合、ロングヘアをした多数のチアが、少数のファンを取り合うことになりかねません。 チアの個性はチームだけでなくチア個人のファンも増やすため、個性が重複した場合、互いに話し合って別の個性を出す必要があります。
チアが個性を出さなければならない受動的理由とは、全滅を防ぐ点にあります。 チアの個性が一つしか存在しない場合、わずかな環境の変化で全滅してしまいます。 例えば観客の好みが応援チアから競技チアに変化した場合、全てのチアが応援チアだと全滅です。 髪型を流行のショートカットに統一したとしても、流行がロングに変われば同様に全滅です。 全滅すれば再起する可能性はゼロですが、わずかでも生き残っていれば再起する可能性も残されます。
チアに個性がないと誰にも見てもらえません。 チアの個性がどれも同じ場合、観客はどれも見る必要がなく、結果としてどれ一つとして見られません。 個性はチームとしての個性と個人としての個性の両方に存在します。 チームとしての個性がどれも同じ場合、チアというカテゴリーそのものを誰も見ません。 個人としての個性がどれも同じ場合、その個人は他の同じ個性に埋没します。
番号制・色別制を用いることにより、チアに個性を付与して愛を獲得する事が可能です。 番号・色のどちらを選択するかはチアの人数に依存します。 番号や色そのものに意味はありませんが、ピンクだけはかわいい担当として受け継がれていく場合が多々あります。
番号制とは、チアに背番号を付ける事により、チアの個性を強調する制度です。 背番号とは衣装のどこかに付けられた一意の番号であり、その番号の割り振りには二つの種類が存在します。 一つは決められた範囲内の番号で、一つは好きな番号です。 決められた範囲内の番号は選手の背番号と同じ意味で、好きな番号は語呂合わせで付けられる場合もあります。 番号により観客はチアの識別が容易となり、チア一人一人の個性が強調され、観客はチアをより好きになります。
色別制とは、チアに色を割り当てる事により、チアの個性を強調する制度です。 色を割り当てるとは、チア個人のイメージカラーを設定する事を意味します。 設定されたイメージカラーは衣装に反映され、チアはどこかの色が全員異なる衣装を着る事になります。 色により観客はチアの識別が容易となり、チア一人一人の個性が強調され、観客はチアをより好きになります。 よく使用される色と順序は、赤・青・ピンク・黄・緑・オレンジ・紫・白・黒・水色・黄緑となります。
番号制は多人数において、色別制は少人数において効果を発揮します。 番号制の長所は選択肢の多さにあり、短所は見た目のわかりにくさにあります。 番号は一桁だけで10種類と選択肢が多いのですが、番号を直接目視しないと個人を識別できないわかりにくさがあります。 色号制の長所は見た目のわかりやすさにあり、短所は選択肢の少なさにあります。 チアのスカートを色別にすれば容易に個人を識別できますが、中間色や暗い色は使いづらく、色の選択肢は限られます。
番号制における番号そのものに意味はなく、色別制もかわいい担当のピンク以外に意味はありません。 番号が10番のチアが最も上手といった、サッカーの背番号のような意味は番号に存在しません。 チアの番号は現役中変わらないことが多く、仮に番号に意味を持たせても、新メンバーとの交代によりすぐ破綻します。 色も青や緑には何の意味もなく、現役中別の色に変わらない事も番号と同じです。 ただピンクだけは歴代のかわいい担当やエースが担当している場合が多く、唯一の例外と言えます。
番号や色だけでなく、衣装そのものが全員異なるチアも出てくる事でしょう。 番号や色による個性の識別は低予算で実現可能であり、現在のチアリーディング事情に最適です。 しかし将来的に予算が増加した場合、番号や色だけでなく、衣装においても個性を強調する事になります。 衣装における個性の強調により、ハット・キャップ・お嬢様帽子のように、チア個人で衣装が変化します。 個人における衣装の変化はアイドルではよくある手法であり、チアでの採用も時間の問題です。
個性を表現するには、新しいアイディアを誰も気にせずにコツコツと実行する必要があります。 チアが個性を表現するには三つの要素が必要です。一つは過去から脱却する事、一つは人目を気にしない事、一つは行動力です。 過去から脱却する事とは、チアの常識をあえて再考し、古いものから新しいアイディアを見つけ出す事です。 人目を気にしない事とは、他人の目を気にせず自分の意志を貫徹させる事です。 行動力とは構想を実現させる計画力であり、大きなアイディアであっても小さく分割し、少しずつ形にする事です【注】。
過去からの脱却とは、チアの伝統的な慣習にとらわれない事を意味します。 チアは全員髪を上げなければならない、チアは全員同じメイクでなければならない、チアは全員同じ動きでなければならないなど、 決められたルールはありません。 それどころか、チアはポンポンを持たなければならない、チアは踊らなければならない、チアは女性でなければならないなど、 決められたルールもありません。 慣習には何らかの理由があり尊重する事は当然ですが、それを理解した上で、新しいステップに踏み込まなければ個性は表現できません。
過去から脱却するための新しいアイディアはチア以外にあり、チアにはありません。 過去から脱却しようとして海外のチアや他チームのチアを見ても、そこには誰かが使った後のアイディアしか残っていません。 チアの新しいアイディアは、チア以外の何かとこじつける事により発生します。 チアは明るいという過去から脱却するには、ダークが魅力のメタルバンドとこじつけて、チアメタルです。 チアは元気という過去から脱却するには、おしとやかさが魅力のお姫様とこじつけて、プリンセスチアとなります。
人目を気にしないとは、他人の意見を気にせず自分に正直である事を意味します。 誰も実行したことがない新しいアイディアを試したり、今までに挑戦したことがないアクセサリーを付けたりする場合、人目が気になります。 今までと異なる事を実行すれば、他人の意見も異なって当然です。 ただ多くの場合それは自意識過剰であり、自分が考えているほど他人は気にしていないものです。 どうしても気になるのならば、時間をかけて変化させる必要があります。 人は急激な変化には気づきますが、ゆっくりとした変化には気づきません。
行動力とは、大きなアイディアを小さく分割し、個々に解決する能力を意味します。 過去から脱却するアイディアをこじつけ、人目を気にしない決意をしても、それを実行しなければ個性として表現されません。 アイディアが小さなアイディアであれば簡単に実行可能ですが、大きなアイディアになると、その実行は難しくなる事でしょう。 アイディアを実行する時は、複雑で大きなアイディアを、シンプルで小さなアイディアに分割して考えると解決策が見えてきます。 空を飛ぶという複雑で大きなアイディアであっても、シンプルで小さなアイディアに分割すれば、簡単に実現可能なネジ一本にまで落とし込まれます。
「愛」こころの動き,中村雅彦,北大路書房。個性を磨くには、過去の自分にとらわれず、人目を気にせず、プラス感情で行動し、とりあえずやってみる。
個性の弱点は同属嫌悪であり、同じ個性をライバルだと認識してしまう点です。 同属嫌悪とは自分と似た相手が煙たくなる現象を意味しており、同じ資源を奪い合う存在として認識する事による嫌悪です。 例えばツインテールを売りとしているチアがいる場合、他のツインテールのチアは、そのチアにとってファンを奪い合うライバルと化します。 ファンという資源は、ある瞬間において、常に一定数しか存在しません。 一定数しか存在しないファンを奪い合えば、自分のファンが減少する可能性が発生するため、似た相手が煙たくなるのです。
同族嫌悪を克服するには、ファンを奪い合わないための、何らかのルールが必要です。 個性が売りのアイドルグループにおいては、メンバーの個性が重複しないよう、オーディションの段階で選別するのがルールです。 ただ、選別によって人間的な個性やイメージカラーは重複しなくても、髪型だけはどうしても重複してしまいます。 そういった場合、アイドルグループのモーニング娘。では、後輩がそっと自分の髪型を修正します。 このルールは全アイドルに共通ではなく、グループによっては、人気のある後輩が優先されているグループもあります。
メッセージとしてファンに対する愛や寂しさを表現する事により、愛を獲得する事が可能です。 これは、人は自分のことを愛してくれる人を好きになるという、好意の返報性の法則があるからです【注】。
メッセージ性の強調とは、ファンに対する気持ちの体現により、愛を獲得する事を意味します。 ファンに対する気持ちの体現とは、愛を体で表現する事であり、代表例は指を使ったハートマークです。 指を使ったハートマークは、アイドルの生写真など、動かず声も出ないメディアでよく活用されます。 指を使ったハートマークには「あなたが好き」という強いメッセージ性が秘められており、好意の返報性の法則によって、 ハートマークを見たファンから愛を獲得する事が可能です。
好意の返報性とは、人は自分のことを好きな人を好きになるという法則です。 自分のことを好きな人とは自分に報酬を与える人を意味しており、この場合の報酬はチアからの愛です。 人は報酬を与える人を好み、コストを与える人を嫌います。 同様に、ファンは自分を愛してくれるチアを好み、自分を嫌うチアを嫌います。 チアがファンを愛しているというそぶりを見せれば、ファンは自分がチアに好かれていると感じ、ファンからの愛を獲得できます。
愛以外にも、寂しさ・元気の良さ・挨拶が、ファンに対する気持ちとして体現されます。 寂しさ・元気の良さ・挨拶のいずれも、ファンに対する注意を喚起するメッセージです。 寂しさは、上目遣いでグーにした両手を口の前に持ってくる「さむさむ」や、手のひらを頬に当てる「虫歯」にて表現されます。 寂しさの真意は「寂しいから愛して欲しい」であり、ハートマークとほぼ同じ意味です。 元気の良さはピースやダブルピース、挨拶は手のひらを顔の横に置くことで表現されます。
「愛」こころの動き,中村雅彦,北大路書房。 好意の返報性の法則とは、自分に報酬をもたらす人を好きになり、自分にコストをもたらす人を嫌うという法則。褒める事は報酬であり、非難する事はコストである。
チアとファンとの一体感を作る事により、愛を獲得する事が可能です。 ファンとの一体感とは、チアとファンが一つになってパフォーマンスを作成する事を意味しています。 心を一つにした共同作業によって、結婚式におけるケーキ入刀のように、お互いの愛が深まります。 チアとファンが心を一つにするパフォーマンスを作成するには、誰でも簡単に理解できる、参加型パフォーマンスが必要です。 参加型パフォーマンスには、三つの特徴があります。一つは手拍子、一つはミラーリング、一つはコールアンドレスポンスです。 手拍子により気持ちを一致させ、ミラーリングにより動作を一致させ、コールアンドレスポンスにより秘密を共有します。
手拍子とは、ファンが手を叩くことによって気持ちを一つにするという、一体感を作る手法の一つです。 例として、パフォーマンス中の音楽に合わせての手拍子や、試合中の応援に合わせての手拍子があります。 手拍子が作る一体感の効果は二つあります。一つは酔わせる効果、一つは心拍数を上げる効果です。 酔わせる効果とは、木魚のように、単純なリズムで脳を麻痺させて一体感を作る効果です【注1】。 心拍数を上げる効果とは、運動により心拍数を上げ、チアの心拍数と同期させて一体感を作る効果です。 ファンを酩酊状態にした上でチアにドキドキさせる事により、愛を獲得できます。
ミラーリングとは、チアとファンが同じ動作を行うという、一体感を作る手法の一つです。 例として、チアが手や応援ボードを左右に振るのと同時にファンも手や応援ボードを左右に振る、ワイパーと呼ばれる応援があります。 人は無意識のうちに好きな人と同じ動作をしてしまいます【注2】。 この心理学的習性を逆に利用すると、チアが同じ動作をさせれば、動作をさせたチアを人は好きになります。 好きな人と心を合わせて一つの動作をする事により一体感が生まれ、愛を獲得できます。
コールアンドレスポンスとは、チアの呼びかけにファンが答えるという、一体感を作る手法の一つです。 例として、チアが「どうぞ」と促した後、ファンが「GoGo○○」と答える応援があります。 コールアンドレスポンスとミラーリングの違いは、チアとファンが異なる動作をしている点にあります。 チアとファンの動作が異なるので、ファンはお約束を覚えなければなりません。 お約束を覚える過程においてチアとファンによる秘密の共有が発生し、それがチアとファンを一体化させ、愛を獲得できます。
秘密の共有には愛を深める効果があります。 秘密とは他人に知られてはいけない隠し事であり、共有とはその報酬とコストを分かち合う事を意味します。 シェークスピアにおけるロミオとジュリエットの恋が燃え上がったのは、二人が禁じられた恋という秘密を共有していたからです。 スポーツシーンにおける秘密とはチーム独自の応援を意味し、チアとファンはそれを共有します。 チアとファンの二人だけの応援を二人だけで実施する事は、ファンの恋心に火を付け、愛を獲得する事につながります。
1.恋の心理薬 愛する人とあなたのために,富田 隆,太陽企画出版。 ビートの効いた音やまぶしい光は人を酩酊状態にさせる。花火・ディスコ・火祭などで顕著である。
2.恋の心理薬 愛する人とあなたのために,富田 隆,太陽企画出版。似ている人を好きになる性質は恋愛の類似性と呼ばれる。
チアとアイドルには形式的差異があり、それらをなくせばチアはアイドルに近づきます。 形式的差異とはチアとアイドルを分離させている要素であり、三つあります。一つはパフォーマンスの形態、一つは好意の対象、一つは収益源です。 パフォーマンスの形態として、チアはダンスだけを見せますが、アイドルは歌も歌います。 好意の対象として、チアはチームを好きな人が好きですが、アイドルは自分個人を好きな人が好きです。 収益源として、チアはキッズチアの運営が収益源ですが、アイドルはファンが収益源です。 形式的差異はチアの制約でもあるため、アイドルとなったチアは、さらに自由なパフォーマンスを見せるはずです。
パフォーマンス形態における形式的相違として、チアはチアダンスを見せる点、アイドルは歌を歌う点があります。 チアダンスとはポンポンを使用したパフォーマンスを意味します。歌とは声とダンスを使用したパフォーマンスを意味します。 チアダンスと歌の違いはメッセージ性の強さにあり、歌詞を使って愛を伝えることができるアイドルは、より愛されます。 チアは通常歌を歌いませんが、チアが歌ってはいけないという決まりはありません。 一部に存在する歌を歌うチアはアイドルに近く、より多くの愛を獲得できます。
好意の対象における形式的相違として、チアはチームを好きな人が好きで、アイドルは自分を好きな人が好きという点があります。 チアは応援対象のチームが好きであり、応援対象チームを好きな人も好きです。 応援対象チームを好きな人が好きという前提がなければ、チアの魅力を使って観客を応援対象チームに応援させる事ができません。 一方アイドルにおける応援対象は自分自身であり、アイドルは自分を好きな人が好きという前提です。 チアイベント等で応援対象チームが一時的になくなった場合、チアはファンの愛を独占することができ、より多くの愛を獲得できます。
収益源における形式的相違として、チアはキッズチアの運営、アイドルはファンからの収益という点があります。 キッズチアの運営とは、チアスクールを開校して、キッズチアの両親から収入を得る事を意味します。 ファンからの収益とは、自分を応援してくれるファンにチケットや歌を販売し、収入を得る事を意味します。 キッズチアの運営には教育効果もありますが、「若すぎずセクシーすぎず」という制約もあります。 チアの収入がファンからの収益へと変わった場合、その制約もなくなり、小中学生プロチアやチア水着写真集が登場するはずです。
一部のチアはアイドルを超えた人気をすでに獲得しています。 チアとアイドルは両者ともに愛される事が仕事であり、本質的に同じと言えます。 愛をファンから集めてチームに還元するのがチアで、自分に還元するのがアイドルにすぎません。 還元すべき愛の数に注目すれば、チアとアイドルの人気は比較する事が可能です。 チアが獲得する愛の絶対数は観客の数と比例すると考えられ、プロ野球・NFL・NBL等のチアは、すでにアイドルを超えているはずです。
アイドルチアの弱点は婚期が遅れる可能性があるという点です。 チアにアイドル的手法を用いると、そのチアはアイドルそのものとなり、アイドルの弱点もまた受け継ぎます。 アイドルの弱点として最も深刻なものは、婚期が遅れるというものです。 というのもアイドルは一生アイドルであり、一生多くの男性から愛される運命にあって、一生に一人の男性を決める必要がないからです。 男性を一人に決める必要がない状況は理想的かもしれませんが、法的な結婚はできません。
既存の愛を継続させるには、ファンに金を使わせ、思わせぶりな態度を取る必要があります。 新しい愛を獲得したのならば、その愛を二つの方法によって継続させます。一つは後戻りできない投資で、一つは熱愛行動の相違です。 後戻りできない投資とはファンに金や時間を投資させる行為であり、チアに多くの金と時間を使ったファンほど愛が継続します。 熱愛行動の相違とはファンに思わせぶりな態度を取る行為であり、ファンはチアが好意を持っていると錯覚している間は愛が継続します。
後戻りできない投資とは、ファンに多くの金や時間を使わせる事によって愛を継続させる方法です。 ファンに金を使わせるとはファンに貢がせる事を意味しており、チアに対するファンの金銭や時間の投資です。 相手に対する金銭や時間の投資と比例して、男女は関係が切りづらくなります【注】。 例えば金と時間を費やして結婚寸前まで到達した相手や、何年も夫婦関係を築いた相手とは、縁を切りづらいものです。 これと同様に、ファンがチアに対して金や時間を使えば使うほど、その関係は切りづらくなります。
ファンに金を使わせるためには、ファンが金を使いやすい環境を整える必要があります。 ファンが金を使いやすい環境は三つあります。一つは無言のおねだり、一つはプレゼント競争、一つは好きなキャラクターの宣言です。 無言のおねだりとは、ファンに心理的プレッシャーをかけてプレゼントを買わせ、愛を継続させる方法です。 プレゼント競争とは、ファンどうしでチアに対するプレゼント競争を発生させ、愛を継続させる方法です。 好きなキャラクターの宣言とは、キャラクターグッズを迷わずプレゼントさせる事によって、愛を継続させる方法です。
無言のおねだりとはファンへの心理的プレッシャーであり、控えめな自分の演出・欲しいプレゼントの獲得・愛の継続が可能です。 例えばブログでチアの誕生日と好きな花を控えめに公開すれば、それが心理的プレッシャーとなり、ファンに金を使わせます。 同様にチアの好きな花・食べ物・好みを公開すれば、一年に一度の誕生日以外にも、ファンに継続して金を使わせます。 服が欲しければ身長を公開し、靴が欲しければ足のサイズを公開し、指輪が欲しければ指のサイズを公開します。 ファンは毎試合のようにあれもこれもとプレゼントを購入し、買えば買うほど・もらえばもらうほど、愛が継続されます。
おねだりするプレゼントはスポンサーに配慮する必要があります。 スポンサーとはチアのスポンサーや所属チームのスポンサーであり、それらの利益に反するおねだりは許されません。 例えば飲料を販売しているAというメーカーがスポンサーの場合、Bというメーカーの飲料はおねだりできません。 こういった競合他社が存在する場合は、メーカー名を出さず、「お茶」「りんごジュース」と単純に「飲料類」を指定します。 スポンサーへの配慮を怠ると間接的利益を失う事となり、その損失はプレゼントという直接的利益よりも甚大です。
プレゼント競争とは、チアに対する投資を競わせる事により、愛の継続とプレゼントの質を向上させる方法です。 チアに対する投資を競わせるには、もらったプレゼントをブログに掲載する必要があります。 プレゼントをブログに掲載する事によって他の男性の挑戦心に火を付け、さらなるプレゼントの獲得と、その質を向上させます。 ブログに掲載されたプレゼントは人気店の前の人の行列と同じであり、プレゼントがプレゼントを呼び込みます。 プレゼントがプレゼントを呼び込む過程において、ファンの間でチアの獲得競争が発生し、プレゼントはより多くより高価になります。
プレゼント競争を発生させるために、最初の一投を自分で投じてみるのも良いでしょう。 一人のチアを沢山のファンが取り合う状況を発生させるには、まず最初のファンを獲得しなければなりません。 最初のファンの獲得は最も難しく、ガラガラの店に一人で入るようなものです。 獲得が難しいのであれば、自分で買ったプレゼントやお菓子を撮影し、自分でブログに掲載する手段もあります。 最初の一投が自分自身であっても、ファンはその一投が誰のプレゼントか知るすべはなく、次からは本物のプレゼントを受け取る事が可能です。
好きなキャラクターの宣言を事前に実施しておけば、ファンはチアへのプレゼントを迷わず購入し、愛を継続させる事が可能です。 好きなキャラクターとは、ディズニーやサンリオなど、ライセンス供与によって多様な商品展開をしているキャラクターです。 多様な商品展開をしているキャラクターのグッズは街のあちこちで販売されており、値段も高くはありません。 入手の容易さと手頃な価格はプレゼントの条件として最適であり、ファンは迷わず購入する事でしょう。 迷わない購入はプレゼントの増加を導き、もらえばもらう程チアは愛されるようになります。
「愛」こころの動き,中村雅彦,北大路書房。 異性関係の発展と社会的交換(ルンド1985)によると、金や時間の投資額と比例して男女の関係は切りづらくなる。
男女における熱愛行動の相違を利用する事によって、ファンの愛を継続させる事が可能です。 熱愛行動とは愛が燃え上がる行動であり、男性は女性よりも初期の愛に燃え上がります。 初期の愛を燃えたままにさせるには、「好きかも」という思わせぶりな態度を取り続ける事が有効です。
熱愛行動の相違とは、思わせぶりな態度によりファンの愛を継続させる手法です。 熱愛行動の進展は「友愛→デート→交際宣言→恋人宣言→婚約」であり、 女性は交際宣言→恋人宣言で燃え上がりますが、男性は友愛→デートで燃え上がります【注】。 この燃え上がる順序の相違を利用すれば、チアは冷静であるにも関わらず、男性の恋愛状態を継続させる事が可能です。 男性を恋愛状態でキープする具体的な方法は、好きでも嫌いでもなく「好きかも」という、思わせぶりな態度を取る事です。
思わせぶりな態度を取る事により、ファンは熱愛行動を進展させる事も逃げる事もできなくなります。 チアとファンとの関係を「友愛→デート」でキープするには、ファンとは友人として親しくし、試合をデートとする事です。 ファンは「友愛→デート」によりチアに対する愛を燃え上がらせ、チケット代を支払って試合を観戦することにより、 チアとデートしたと錯覚して満足します。 ところが実際にデートしたわけではないので、すぐに友愛関係に戻り、再度チケット代を支払ってチアとのデートを繰り返し続けるのです。
この思わせぶりな態度は、アイドルとそのファンとの関係と全く同じです。 アイドルはファンに対して、生かさず殺さず気のあるそぶりを続け、そのそぶりはアイドルが引退するまで続きます。 不特定多数のファンと生かさず殺さず気のあるそぶりを続けるには、一人の特定ファンとデートする事は許されません。 一人の特定ファンとのデートは熱愛行動が進展する事を意味し、それ以外の全てのファンを切り捨てる事になるからです。 ファンを切り捨てる行動は、引退してからでも遅くはありません。現役中はできるだけ多くのファンから愛された方がお得です。
「愛」こころの動き,中村雅彦,北大路書房 熱愛行動の進展とは「友愛→デート→交際宣言(恋愛状態)→恋人宣言→婚約」であり、女性は「交際宣言→恋人宣言」で愛情が高まるが、男性は「友愛→デート」である。
愛を形にするには無駄で無防備な隙をわざと見せる必要があります。 愛とは気持ちであり、時間も場所も関係なく愛する事はできます。 ただ愛を形にするには何らかのタイミングが必要です。 というのも、形あるプレゼントをファンからチアに渡すには、時間と場所を二人で一致させる必要があるからです。 時間と場所を一致させ、愛をプレゼントという形にするには、控室という隙のない空間から出る必要があります。
愛される理想の体型とは、ウエスト÷ヒップの数値が0.7の体型です【注】。 この数値は健康に妊娠する事が可能かを示す指標であり、男性の好みは時代や文化によって変化しますが、この数値は変わりません。 例えばプレイボーイ誌を30年間調査すると、モデルは痩せる傾向にあっても、この数値は変化していませんでした。 30年間変わらない数値は普遍的であり、モデルだけでなく、チアにも適用可能です。 男性に愛される理想の体型は今後も変わることがなく、体型のバランスが保たれているのか判断する目安になります。
女と男のだましあい ヒトの性行動の変化,デヴィッド・M・バス,草思社。
衣装でアピールする事によって愛を獲得する事が可能です。 チアの衣装は肌を隠すために着るのではなく、肌を見せるために着ます。 というのも、男性は衣装でなく肌を見て女性を評価するためです。
愛される衣装とは薄着でかわいい衣装です。 チアが愛される対象は二つあります。一つは男性客で、一つは女性客です。 男性客から愛されるには男性が性的に興奮する必要があります。なぜなら、男性は性から愛が始まるからです。 女性客から愛されるにはかわいくある必要があります。なぜなら、女性は母性が愛に含まれるからです【注1】。 衣装で愛されるには、薄着で男性にアピールしつつ、かわいらしさで女性にもアピールしなければなりません。
ストッキングもなるべく着用しない方が有利に作用します。 というのも、男性は服ではなく肌を見て女性を評価するからです【注2】。 女性の肌の張りや色を見る事により、その女性が妊娠可能か判断して、男性は女性を好きになります。 肌の張りや色を見る事ができなければ、評価対象を一つ失う事となり、不利に作用する事でしょう。 ストッキングは肌に自信がなければ有利に働きますが、多くの若くて健康なチアには、その必要がありません。
1.超訳ニーチェの言葉,白取春彦,ディスカヴァー・トゥエンティワン。 女の愛には必ず母性愛が含まれる。
2.女と男のだましあい ヒトの性行動の変化,デヴィッド・M・バス,草思社。
この章にはチアとして現金を得るための具体的な方法が書かれています。 具体的には、キッズチア・スポンサー・ファンから獲得します。
現金を活動費として自分達で獲得し、プロチアは所属チームから自立しなければなりません。 活動費を自分達で獲得する事ができれば、所属チーム内におけるチアの存在感が向上し、やりたいことを自由にできるようになります。 逆に活動費を自分達で獲得する事ができなければ、所属チーム内におけるチアの存在感が低下し、いつまでたってもお荷物扱いです。 品格の高いチアは、所属チーム内における存在感を確立しているため、自信のある堂々とした演技を見せます。 自信は余裕を生み、また余裕は自信を生むという好循環によって、チアの品位をさらに向上させる事が可能です。
チアはキッズチア・スポンサー・ファンから活動費を獲得します。 チアが活動費を獲得する手段は三つあります。一つはキッズチアの運営、一つはスポンサーの獲得、一つはファンへの販売です。 キッズチアの運営とは、キッズに対してチアを通じた人間教育を施す事により得られる収入であり、チアの主要な収入源です。 スポンサーの獲得とは、チアを宣伝媒体とする事により得られる収入であり、現物(サプライ)の場合もあります。 ファンへの販売とは、チアの関連商品やサービスを販売する事により得られる収入であり、生写真が主力です。
キッズチアの運営はチアにおける主要な収入源です。 キッズチアの月謝が¥5,000/月でキッズが100人在籍する場合、¥6,000,000/年がチアの収入です。 この収入は¥50,000のシーズンチケット120席分に相当しており、所属チームにとっても大きな収入源です。 この大きな収入を得るために二つの方法が用いられます。 一つは常に新しいキッズを獲得する方法で、一つは既存のキッズを継続させる方法です。 新しいキッズはメディアで宣伝する事によって獲得し、既存のキッズはキッズの社会的欲求を満たす事によって継続させます。
新しいキッズを獲得するには、親の社会的欲求が満たされる事を、メディアを使ってアピールする必要があります。 親にはチアを習わせる習わせないの決定権があり、金を払えば親も何らかの満足が得られる事を伝えなければなりません。
親の社会的欲求とは子共への愛であり、それを満たす事によって新しいキッズを獲得します。 子供への愛には二つの種類があります。一つは利己的な愛で、一つは利他的な愛です【注1】。 利己的な愛とは受け取る愛であり、かわいい我が子を見たいという欲求です。 利他的な愛とは与える愛であり、子が元気に成長してほしいという欲求です。 これら親の欲求をキッズチアが満たす事をアピールし、新しいキッズを獲得します。
利己的な愛とは欠乏性の愛であり、求め続ける愛、自己の欲望です。 親が子に求め続ける自己の欲望として、ポンポンを持った我が子がかわいらしく踊っている姿を見たいという欲求があります。 この欲求は親だけでなく祖父や祖母にも存在し、一族揃って発表会へ参加する事も珍しくありません。 発表会に参加した子はかわいいチア衣装を着てかわいいポンポンを持っており、さらにかわいく見える事でしょう。 キッズチアの主要な意義は、キッズを演出してよりかわいくなった我が子を親に見せ、親を満足させる点にあります。
利他的な愛とは成長性の愛であり、与える事で自分も成長する愛です。 親としてのキッズチアを通じた利他の欲求は三つあります。一つは体育、一つは教育、一つは未来です。 体育とは我が子に健康であってほしいという欲求であり、子の元気な姿を見せる事によって満たす事ができます。 教育とは我が子に人としての基本的価値を付与したいという欲求であり、人間教育と技術教育によって満たす事ができます。 未来とは我が子に金銭的価値を付与したいという欲求であり、結婚や進路に有利に働く事によって満たす事ができます。 これら三つの価値は、子の年齢が高くなるほど後者が重視されます。
体育とは子における健康促進であり、全てに優先します。 本来子供は死にやすい存在であり、江戸時代後期における農村の乳児死亡率は20%近くありました。 その後の衛生・栄養・医療環境の改善により子供の死亡率は減り続け、2010年における5歳の子供の死亡率は0.01%まで改善しました。 状況は改善しているとはいえ、死亡率0.01%は、5歳の子供の1万人に1人が死ぬ計算です【注2】。 キッズチアの使命は、元気に大きく踊る事によって子供の健康を促進し、この死亡率を少しでも改善させる点にあります。
教育とは子における人としての基本的価値の付与です。 教育には二つの種類があります。一つは人間教育、一つは技術教育です。 人間教育はしつけを意味し、技術教育はチアに関する技術教育を意味します。
人間教育とはしつけであり、チアの心得と表現されます。 しつけとは、食事・排泄・着衣など身辺自立から始まり、 思いやり・素直さ・行儀・言葉使い・礼儀・マナー・社会のルール・身だしなみといった、理性を意味します。 理性とは動物と人間を区別する重要な指標であり、本来は家庭で教育されるものです。 家庭ではきょうだいが少なくとも、キッズチアには多くの姉や妹が在籍し、異年齢集団における理性を学ぶ事が可能です。
技術教育とはチアリーディングに関する総合的技術指導です。 総合的技術指導とはチアを始めとして、バレエや各種ダンスも教える事を意味します。 技術指導を受けるチアは普遍的な基礎技術から始まり、応用へと進むに連れて各チームの特色が増してきます。 バレエは表現力の向上に必要であり、単なるロボットダンスと芸術的ダンスを区別します。 各種ダンスは学校授業での応用・チアでの応用・チア以外の進路での応用に必要です。
未来とは子における経済的価値の付与であり、目標です。 子供が将来獲得し得る価値とは、キッズチアという投資に対する金銭的見返りを意味します。 金銭的見返りには二つの種類があります。一つは結婚で、一つは進路です。 結婚はチアで有利な結婚をする事による金銭的見返りであり、進路はプロチアとしての活躍をする事による金銭的見返りです。
結婚とは良い婚姻で金銭的見返りを得る未来を意味し、チアはそのための女や人間を磨く手段です。 自分の結婚相手の選択肢を増やすため、女性は化粧や服で自分を飾り立て、自分をより輝かせようとします。 より多くの人の前でキラキラと輝くができたのならば、女性はより多く求婚され、より有利な条件を選ぶことが可能です。 より有利な結婚条件を引き出す手段として、キラキラと輝き人間性も磨かれるチアは最適です。 チアを習う事によって良い結婚ができたのならば、チアによる金銭的見返りは十分あります。
進路とはプロとして金銭的見返りを得る未来を意味し、プロチアや芸能人になることです。 プロチアはキッズの憧れであり、キッズチアの最終目的は試合でプロとしてパフォーマンスを実施する事です。 試合でのパフォーマンスには金銭的見返りがあり、我が子の進路の一つとなり得ます。 またプロチア以外、あるいはプロチア後のステップアップとして、我が子を芸能関係へ進めたいという希望もあるでしょう。 芸能関係とはアイドルやモデルであり、プロチアよりも多くの金銭的見返りを期待できます。
1.「愛」こころの動き,中村雅彦,北大路書房。 心理学者マスローによると愛情は二つある。それは利己的な愛と他己的な愛である。 利己的な愛とは欠乏性の愛であり、求め続ける愛、自己の欲望である。 他己的な愛とは成長性の愛であり、与える事で自分も成長する愛である。
2.子供という価値 少子化時代の女性の心理,柏木惠子,中公新書。この本より江戸時代後期における子供の死亡率を参照。 厚生労働省「第二十一回生命表の概況」(http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/21th/dl/21th_11.pdf)より2010年における子供の死亡率を参照。
メディアにおいて「大舞台で活躍する我が子」というイメージを繰り返し宣伝する事により、新しいキッズを獲得します。
宣伝を繰り返すメディアは、発表会、インターネット、新聞・雑誌、屋外・交通、テレビ・ラジオの5つです。 メディアとは人々の注意を引きつけるための大衆コミュニケーションを意味します。 発表会とは試合会場やイベントにおいてダンスを実施する事による宣伝、インターネットとはwebサイトやブログを使用したオンラインの宣伝、 新聞・雑誌とは主にフリーペーパーでの宣伝、屋外・交通とはポスターを使った宣伝、テレビ・ラジオとは放送を使った宣伝です。 これらのメディアを使用して人々の注意を引きつけ、新しいキッズを獲得します【注】。
発表会は最も優れた宣伝メディアであり、少ない費用で多くの新しいキッズの獲得を期待できます。 発表会には二つの種類が存在します。一つは試合会場での発表会で、一つはイベントでの発表会です。 試合会場での発表会とは所属チームの試合における発表会です。 イベントでの発表会とは地域のお祭やイベントでの発表会です。
試合会場での発表会とはチアが所属するチームの試合前や休憩中に実施する発表会を意味し、安い費用で大きな効果を期待できます。 試合会場は大きく、数百人から数万人のお客さんを対象として繰り返し宣伝する事が可能です。 試合会場に足を運び金を払って入場している人達は、チームに対する興味も旺盛であり、顧客としての質は非常に高いと考えられます。 また発表会場を押さえる費用は試合の運営費に含まれており、別途支払う必要はありません。 試合会場での発表会は安い費用で大きな収穫を期待する事が可能であり、宣伝の基本として多用されます。
イベントでの発表会とは、試合会場以外の場所で実施する発表会を意味します。 試合会場以外の場所は二つあります。一つは地域のお祭りで、一つは民間イベントです。 地域のお祭りとは公的機関が実施する夏祭りなどの大規模イベントで、民間イベントとは企業が実施する中〜小規模なイベントです。 イベントは年に一回という制限が多く、繰り返しの効果はあまり期待できません。
地域のお祭りとは公的機関が開催するお祭りを意味し、年に一回という制限はあるものの、大きな効果を期待できます。 公的機関が開催するお祭りには、様々な出店と数万人の来場者と共に、イベントステージが必ず存在します。 イベントステージは地域で活動する団体における数少ない発表の場であり、そのような場を提供する事も公的機関の仕事です。 活動する団体としてキッズチアもその一つであり、スポーツチームへの所属に関わらず、多くのキッズチアが参加します。 地域のお祭りでの発表会は年に一回しかありませんが、安い費用で大勢の人たちに宣伝する事が可能です。
民間イベントとは民間が開催するテーマを持ったお祭りを意味し、客足はやや少ないですが、地域のお祭りのような効果を期待できます。 民間の大型商業施設・企業・組合がイベントを企画する事も多く、企画の一環として、ステージや発表の場があります。 ただ民間イベントは地域のお祭りと比較して規模が小さい場合が多く、客足も比例して少なくなります。 また民間イベントは○○フェスなど明確なテーマを持っている場合が多く、そのテーマが子供と無関係であれば、宣伝効果はさらに減少します。 民間イベントは親向けの発表会という意味合いが強く、宣伝効果はおまけ程度です。
インターネットとはブログを用いた宣伝を意味し、仮想の体験入校を提供する事によって、新しいキッズの獲得を期待できます。 ブログは他のインターネットサービスと比較して、写真・文章・作る手軽さにおけるバランスが優れており、 多すぎず少なすぎない宣伝が可能です。 ブログの内容はキッズチアにおける教室内のレポートであり、キッズが元気いっぱいでチアに励んでいる様子を報告します。 元気いっぱいでチアに励んでいるキッズを自分の子と重ねあわせ、実際にチアを体験する前に、仮想で体験する事が可能です。
インターネットはキッズチアをある程度知っている人達には効果的ですが、全く知らない人達には宣伝効果はありません。 キッズチアをある程度知っている人達とは、発表会を見た事があり、キッズチアの存在を認知している人達を意味します。 キッズチアを全く知らない人達とは、発表会を見た事がなく、キッズチアの存在を認知していない人達を意味します。 発表会を見てキッズチアに興味を持った人達は、検索してブログに到達し、仮想体験入校を提供する事が可能です。 一方キッズチアを認知していない人達はブログに到達する事がなく、宣伝効果もありません。
新聞・雑誌とは主にフリーペーパーに掲載する広告を意味し、キッズチアに興味を持ちそうな多くの人達に対する宣伝効果があります。 フリーペーパーとは無料で読む事ができる雑誌であり、駅やオフィスなどに設置されます。 フリーペーパーの利点は読者層が限定されている点にあります。 例えばオフィスに設置されている女性向けフリーペーパーは20代〜30代の若い女性が読者層であり、子持ちの女性もいる事でしょう。 子持ちの若い女性という、キッズチアに最も興味を持ちそうな対象へ直接宣伝する事により、新しいキッズの獲得を期待できます。
屋外・交通とはポスターを広告板・交通機関に貼る広告を意味し、地域密着型の宣伝効果があります。 広告板とは屋上広告塔・広告用掲示板・電柱広告・店の前の置き看板を意味し、人の往来が多い空きスペースにポスターを貼る事です。 広告板の利点は、通勤や買い物中に、定期的かつ繰り返して宣伝を目にする点にあります。 交通機関とは電車・バスといった乗り物や駅・バス停といった施設を意味し、人の利用が多い交通手段にポスターを貼る事です。 屋外・交通はスクールのすぐ近くで広告を掲示できるという特徴があり、地域密着型の宣伝によって、新しいキッズの獲得を期待できます。
テレビ・ラジオとは電波を媒体とする放送を使った広告を意味し、キッズチアを全く知らない多数の人達に宣伝する事が可能です。 テレビとはローカルテレビ放送局による映像と音を使った広告を意味し、いわゆるコマーシャルの製作と放送です。 テレビの利点は広域の到達・伝達の早さ・幅広い年齢層への到達・親しみやすさ・表現の柔軟さと多数に及びます。 ラジオとはラジオ放送局による音を使った広告を意味し、テレビと比較して、個人に対する訴求力と価格に対する優位性があります。 テレビ・ラジオは広告代理店を経由するため15%のマージンが必要となり高価ですが、大規模な宣伝により、新しいキッズの獲得を期待できます。
新価値創造の広告コミュニケーション,社団法人日本広告主協会,ダイヤモンド社。 広告の要点は三つある。一つはメッセージをコントロールする事、一つは望ましい受け手に焦点を合わせる事、一つは繰り返し行なう事。
宣伝は「大舞台で活躍する我が子」というイメージを売ります。 売るのはあくまでイメージであって、キッズチアそのものを直接売るのではありません。 キッズチアには素晴らしい教育効果があり、チアにも良さがたくさん存在します。 しかし、そういったキッズチアの良さやチアそのものを宣伝でアピールしても、新しいキッズは獲得できません。 親が買うのは、元気よく笑顔で練習し、大舞台で活躍する我が子というイメージです【注1】。
宣伝は繰り返し実施する必要があります。なぜなら、宣伝の半分は無駄に終わるからです。 チアに興味を持っている多くの人達に安価で宣伝できたとしても、一度で全員に宣伝する事は不可能です。 一度で全員に宣伝するとは、テレビならば100%の人間が同じ時間に同じチャンネルを見ていることを意味します。 一度で全員に宣伝できないため、なるべくチャンスを増やすために、宣伝は繰り返し実施されます。 繰り返し実施すればその分宣伝を見る人達は増え、また、一度見た人も再度見る事により宣伝効果が高まります。
宣伝は5つのメディアに対して、量・質・費用の三つの勘案要素を考慮して決定します。 量とは宣伝を見る人の絶対数を意味しており、宣伝を見る人の数と新しいキッズの獲得人数は比例します。 質とは宣伝を見る人のうち興味を持っている人の割合を意味しており、興味を持っている人の割合と新しいキッズの獲得人数は比例します。 費用とは宣伝に必要なコストを意味しており、宣伝を見る人の絶対数と費用は比例します。
量 | 質 | 費用 | |
発表会 | 多い | 高い | 安い |
インターネット | 少ない | 高い | 安い |
新聞・雑誌 | 多い | 低い | 高い |
屋外・交通 | 多い | 低い | 高い |
テレビ・ラジオ | とても多い | とても低い | とても高い |
量とは宣伝を見る人の絶対数であり、量が多いほど新しいキッズの獲得人数は増加します。 例えば宣伝の効果が1%だった場合、宣伝を見た人が100人だと獲得できるキッズは1人ですが、 宣伝を見た人が1,000人だと獲得できるキッズは10人です。 量が増加するほど獲得できるキッズも増加しますが、一般的に費用も増加します。 量と費用における唯一の例外が発表会であり、発表会は少ない費用で多くの量を宣伝する事が可能です。
質とは宣伝を見る人のうちキッズチアに興味を持っている人の割合であり、質が高いほど新しいキッズの獲得効率は増加します。 キッズチアの宣伝は、なるべくキッズチアに興味を持っている人達を対象に実施します。 というのも、キッズチアに興味を持っている人達は実際にキッズチアへ入校してくれる可能性が高いからです。 質が増加するほど獲得できるキッズも増加しますが、一般的にどの宣伝が高い質を得られるのか、見極めが困難です。 質の見極めにおける唯一の例外が発表会であり、発表会はチームとそのチアに興味を持っている、質が高い人達に宣伝をする事が可能です。
費用とは宣伝に必要なコストであり、費用が多いほど新しいキッズの獲得人数は増加します。 広告費用の平均はサービス業の場合売り上げの2.26%であり、他業種と比較すると高くなっています【注2】。 費用を少しでも少なくするため、複数の広告会社からプレゼンテーションを受け、 予算・利用予定媒体・期間・広告期日を話し合う必要があります。 費用が増加するほど獲得できるキッズも増加しますが、一般的にキッズチアの広告費用はとても少額です。 費用対効果における例外が発表会であり、発表会は少ない費用で効果的な宣伝する事が可能です。
宣伝は販売促進活動と組み合わせると効果的です。 販売促進活動には三つの手段が使用されます。一つは体験、一つはキャンペーン、一つはキャッチコピーです。 体験は体験入校による販売促進活動であり、実際にチアの魅力に触れる事によって入校を促します。 キャンペーンは期日を切る事による販売促進活動であり、「今だけ!」と煽る事によって入校を促します。 キャッチコピーは人目を引く短文による販売促進活動であり、気の利いた文章を読ませる事によって入校を促します。
体験とは無料レッスンによる販売促進です。 無料レッスンには二つの種類があります。一つは体験入校で、一つは体験会です。 体験入校とは最初の一回が無料になるレッスンです。 レッスンは無料でも親は調査や会場までの往復にコストを支払っており、そのコストの回収が入校を促進する暗示的な圧力となります。 体験会とはホームゲームで実施される無料レッスンです。 レッスン後はホームゲームで発表会もあるため、「大舞台で活躍する我が子」を実際に見せ、販売促進につなげる効果があります。
キャンペーンとは、報酬に対する期日の提示により、「今だけ!」と決断を促す販売促進を意味します。 報酬には二つの種類があります。一つは割引で、一つは特典です。 割引とはある期間に限って入会金を減免する事を意味し、現金による報酬によって決断を促します。 特典とはある期間に限って何らかのプレゼントを提供する事を意味し、現物による報酬によって決断を促します。 特典は「お友達紹介キャンペーン」のように、紹介者・被紹介者の両方に特典がある場合もあります。 報酬は期日が切られていないと意味がなく、「進学・入学キャンペーン」「春夏秋冬のスクールキャンペーン」等がこじつけられます。
キャッチコピーとはキッズチアの利点をアピールする短い文章を意味し、宣伝媒体に添えて販売を促進します。 宣伝媒体に書かれた「無料レッスン開催」や「入学キャンペーン実施中」という文章では、人の注意を引くことはできません。 というのも、それらは「大売り出し」「限定セール実施中」といった、宣伝媒体にとって当たり前の文章だからです。 人の注意を引く当たり前ではない文章とは「小さいけれど大きい応援」「ひと足お先にデビューします」「輝くステージ輝く笑顔」 「元気な声と元気な笑顔」といった、キッズチアの利点を暗示する文章です【注3】。
1.広告論講義,天野 祐吉,岩波書店。広告が売るのはイメージであり、広告が商品やサービスを直接売ることはない。 金魚売りが売っているのは金魚ではなく、涼しいというイメージである。
2.現代広告論,岸志津江、田中 洋、嶋村 和恵,有斐閣アルマ。サービス業における広告費の平均は売り上げの2.26%。
3.現代広告論,岸志津江、田中 洋、嶋村 和恵,有斐閣アルマ。広告とは有料の非人的コミュニケーションである。広告に双方向性がなければ単なる政府広報であり、誰も見向きもしない。 政府広報は読まれなくても政府は損をしないので、読まれるように作られてはいない。
既存のキッズを継続させるには、キッズの社会的欲求を満たす必要があります。 社会的欲求とは他者との関わりにおける欲求であり、うまくなりたいというキッズの個人的欲求以外の、隠された強力な欲求です【注】。 他者との関わりにおける欲求は、潜在的ながらも人間の根幹をなす強力な欲求と言えます。 というのも、一人で生きていける人間は存在せず、必ず誰かと関わらなければならないからです。 社会的欲求はキッズの年齢別に5つ存在し、それらを満たすことによって既存のキッズを継続させます。
乳児期における社会的欲求とは優しさの欲求であり、親に対する生理的身体的充足の欲求を与える事によって、既存のキッズを継続させます。 乳児期はまだ何もできず、食べる飲むといった生理的欲求や、歩いたり物を取るといった社会的欲求を親に依存しています。 親に対する生理的身体的欲求は親の優しさがなければ充足せず、キッズは社会的欲求として親の優しさを求めます。 キッズが親の優しさを感じるチアとはベビーダンスを意味し、親と一緒に体を動かすことによって親子の愛を深めます。 キッズが親の優しさを感じ、親はキッズが満足している様子を感じる事によって、既存のキッズを継続させます。
幼児期における社会的欲求とは伴侶性の欲求であり、大人との遊びを通じた他者との共同活動を与える事によって、 既存のキッズを継続させます。 幼児期のキッズが社会的欲求として潜在的に求めている存在は三つあります。一つは大人、一つは遊び、一つは共同活動です。 大人とは親やキッズチアの講師を意味し、遊びとはキッズが楽しめる要素を意味し、共同活動とは大人とのチアリーディングを意味します。 これらは、幼児期のキッズには親や講師と遊びながら一緒にチアリーディング活動をしたいという欲求がある事を意味します。 親に参加してもらったり、教育だけでなく遊びとしてのキッズチアも提供する事によってこの欲求を充足させ、既存のキッズを継続させます。
児童期における社会的欲求とは同級生の仲間集団から受け入れられようとする欲求であり、友達の輪に入れさせる事によって、 既存のキッズを継続させます。 児童期のキッズは同級生の仲間に入りたいという欲求を持っています。 同級生の仲間に入る事によって、自分と他人の違いである個性に気づき、自分の存在価値を確認します。 自分の存在価値を確認し、同時に相手の存在価値も確認する事によって、優しさである寛容性が生まれます。 レッスンに同級生の友達をなるべく多く用意し、その輪に入れさせる事によってこの欲求を充足させ、既存のキッズを継続させます。
前青年期における社会的欲求とは同性の同級生との友情であり、友人を作らせる事によって、既存のキッズを継続させます。 前青年期のキッズは同性の同級生と友達になりたいという欲求を持っています。 同性の同級生と友達になるとは、親以外の他者と親密な対人関係を経験する事を意味します。 児童期までの愛とは親からの愛でしたが、前青年期は親以外の他者と親密な対人関係を築くことにより人から愛される実感が生まれます。 少数であっても悩みを打ち明けられるような友人を用意し、友情を実感したいという欲求を充足させ、既存のキッズを継続させます。
青年期における社会的欲求とは恋愛関係の欲求であり、異性にチヤホヤされる事によって、既存のキッズを継続させます。 青年期のキッズは異性と仲良くなりたいという欲求を持っています。 異性とは男性であり、仲良くなりたいとは恋愛関係になりたい事を意味します。 青年期におけるキッズは同性よりも異性に興味を持っており、チアはできるだけ多くの異性を引きつける手段にすぎません。 異性のスポーツチームに対する応援活動を用意し、チアで異性にモテたいという欲求を充足させ、既存のキッズを継続させます。
青年期に当たるユースクラスのキッズチアを継続させ人数を増やすには、異性の存在が必要です。 ユースクラスのキッズチアは「よりチアを上手になりたい」「将来トップチームに入りたい」とも考えているでしょうが、 その真の欲求は「チアでモテたい」です。 チアでモテるには異性を供給する必要があります。 異性は学校のチアならばたくさん存在しますが、練習スタジオには一人も存在しません。 ユースクラスは発表会だけでは不十分であり、同年代における異性のスポーツを応援し、交流させる必要があるでしょう。 女だけの尼寺に進んで入る人は少数です。
「愛」こころの動き,中村雅彦,北大路書房。 社会的欲求とは、精神科医であるハリー・スタック・サリヴァンが提唱した、他者との関わりにおける欲求である。
キッズチアを所有するチアチームは下品にはならず、その品格を上げます。 というのも、下品なパフォーマンスをキッズチアが真似すると困るからです。 キッズチアが下品だと困る理由は二つあります。一つは生徒獲得に影響する点、一つは練習に影響する点です。 下品なキッズに育ってもらいたいと考えている親は存在せず、キッズチアの生徒獲得が難しくなります。 下品なキッズは扱いも難しく、キッズチアの練習が難しくなります。
元気と笑顔は親に向けての有効な訴求であり、仲間は子に向けての有効な訴求となります。 親によるキッズチアへの第一の期待は子の元気であり、第二の期待は子の笑顔です。 これら元気と笑顔は、特に幼少の子を持つ親に対して、根幹的な欲求を満たす有効な訴求となり得ます。 子によるキッズチアへの第一の期待は仲間であり、特に児童期以上の子に対して、根幹的な欲求を満たす有効な訴求となり得ます。 元気と笑顔で幼少の子を持つ親にアピールし、仲間で児童期以上の子に対してアピールする事が、キッズチア獲得に求められます。
キッズチアはおしゃべりをするために練習へ来ているため、何もしなければ、ずっとおしゃべりを続けます。 おしゃべりをするキッズチアには二つの年齢層があります。一つは児童期(6~9)、一つは前青年期(9~12)です。 児童期のキッズには仲間から受け入れられたいという社会的欲求があり、友達の集団に入るためにしゃべり続けます。 前青年期のキッズには親密な人間関係を作りたいという社会的欲求があり、友情を深めるためにしゃべり続けます。 キッズの社会的欲求を満たし、かつ、練習を継続するには、おしゃべりの時間と練習の時間を明確に分離する必要があります。
母と娘の絆が強い理由は、男児の価値が減少した事によって、女児の価値が相対的に増加したためです。 先進国における工業化の進展と長男相続性の消滅は男児の価値を減少させ、親の老後を精神的に支える存在として、 女児の価値が向上しました。 工業化の進展とは機械化に伴う力仕事の減少による女性の収入増加を意味し、長男相続性の消滅とはサラリーマン化による財産・家業の消滅を意味します。 親の老後を精神的に支える存在とは、親は発展途上国のように子供の稼ぎを期待しておらず、精神的やすらぎを期待している事を意味します。 男児は収入をもたらさず、親は相続する財産もないため、金がかからず老後の面倒も見てくれる女児の価値が向上して絆が強くなったのです【注】。
子供という価値 少子化時代の女性の心理,柏木惠子,中公新書。 母と娘との絆は母と息子との絆よりも強い。母と娘の絆は3.9、母と息子の絆は3.3。
スポンサーとはチアに現金や現物を供給する企業です。 スポンサーには二つの種類が存在します。一つは現金を供給するスポンサーで、一つは現物を供給するサプライヤーです。 スポンサーとはチアに現金を提供する企業であり、代わりに、ユニフォームの一部を宣伝媒体として使用します。 サプライヤーとはチアに現物として備品やサービスを提供する企業であり、代わりに、チアが実際に使用する事によって宣伝します。 スポンサーからは現金や現物という直接的な援助を得られる点が魅力です。
スポンサーとはチアに現金を供給する事により宣伝を実施する企業です。 スポンサーには三つの種類が存在します。一つはユニフォームスポンサー、一つはWebスポンサー、一つは冠スポンサーです。 ユニフォームスポンサーとはチアの衣装を宣伝媒体とし、代わりに、現金を供給するスポンサーです。 WebスポンサーとはチアのWebサイトを宣伝媒体とし、代わりに、現金を供給するスポンサーです。 協賛スポンサーとはチアのイベントを宣伝媒体とし、代わりに、現金を供給するスポンサーです。 スポンサーは特典としてチケットを受け取る場合もあります。
ユニフォームスポンサーとは、ユニフォームの一部に企業名を表示する事により、チアに現金を供給する企業です。 ユニフォームスポンサーとして名乗り出る企業は、バスケットボールやサッカーのユニフォームスポンサーと同様に、多業種に及びます。 企業名が表示される部分は胸部分が多数を占めますが、 ユニフォームのデザイン上不都合があったり複数のスポンサーが存在する場合は、足の付け根や腕にも表示されます。 該当するユニフォームは本番用衣装だけでなく、練習用衣装・指導者用衣装・ジャージ・防寒コート・キッズチアの衣装にも該当します。
Webスポンサーとは、チアのWebサイトに企業名を表示する事により、チアに現金や現物を供給する企業です。 チアのWebサイトとはチアの公式ホームページ、あるいは、チームの公式ホームページにおけるチア紹介ページを意味します。 チアのWebサイト上におけるスポンサーは二種類あります。一つは現金を供給するWebスポンサー、一つは現物を供給するWebサプライヤーです。 現金を供給するWebスポンサーは、チアのWebサイト上に自社の広告を掲載する事により資金を供給します。 現物を供給するWebサプライヤーは、チアのWebサイト上に自社の広告を掲載する事によりを備品や美容サービスを供給します。
協賛スポンサーとは、チアイベントに企業名を表示する事によってチアに現金を供給する企業です。 チアイベントとはチア発表会や地域貢献活動です。 協賛スポンサーには二種類が存在します。一つは冠スポンサーで、一つは協賛企業です。 冠スポンサーとはチアイベントにおけるメインスポンサーです。 協賛企業とはチアイベントにおけるサブスポンサーです。
冠スポンサーとは、発表会や地域貢献活動にメインスポンサーとして企業名を付与する事により、チアに現金を供給する企業です。 発表会とはキッズチアの発表会を意味し、冠スポンサーによって発表会は「○○提供、キッズチア発表会」と呼ばれます。 地域貢献活動とは、チアが幼稚園や学校を回ってチアを教える活動を意味します。 冠スポンサーは提供したイベントに対していくつかの特権を持ちます。 冠スポンサーの特権として、商品のサンプルを配布したり、アンケートにより自社の企業価値を高めることが可能です。
協賛企業とは、発表会やイベントにおいて企業名を宣伝する事により、チアに現金を供給する企業です。 発表会とはキッズチアの発表会を意味し、イベントとはチアのファンクラブイベントを意味します。 冠スポンサーと協賛企業の相違点は、メインスポンサーとサブスポンサーの違いにあります。 冠スポンサーはメインスポンサーとして企業名を発表会等に付与しますが、 協賛企業は多くのサブスポンサーの一つとしてパンフレットやwebサイトに企業名が紹介されるにとどまります。
サプライヤーとはチアに現物を供給する事により宣伝を実施する企業です。 サプライヤーには二つの種類があります。一つは備品サプライヤーで、一つはサービスサプライヤーです。 備品サプライヤーとはチアに物理的備品を供給する企業です。 サービスサプライヤーとはチアに論理的サービスを供給する企業です。 サプライヤーは現金を供給せず、自社にたくさん存在する物品や得意なサービスを供給してチアに貢献します。
備品サプライヤーとはチアの活動に必要な物理的備品を供給する企業です。 物理的備品とは形のある必需品を意味し、衣装・ポンポン・飲料・食品の事です。 これらのうち最も重要な備品は衣装です。 衣装はチアチームの個性そのものであり、チアを目指すキッズの憧れでもあります。 衣装はチアディレクターがデザインし、サプライヤーとのデザイン・素材の打ち合わせ・試着を経て完成します。 また本番用の衣装以外にも練習用シャツ・ジャージ・防寒コートなどが衣装として供給されます。
サービスサプライヤーとはチアの活動に必要な論理的サービスを供給する企業です。 論理的サービスとは形のない必需品を意味し、練習場所・Webサイト作成・美容・写真の事です。 練習場所とはスタジオであり、確保できなければビルのロビーなどで練習する事態になります。 Webサイト作成とは公式ホームページの作成であり、知名度の向上や他のスポンサーの獲得につながります。 美容とはチアに対するヘアメイクや歯のホワイトニングの供給です。 写真とは集合写真や個別写真を撮影するサービスの供給を意味します。
チアに期待できるサプライヤーはチアの必需品全てに及びます。 チアの活動に必要な備品・サービスは多岐にわたり、スーツ・移動・事務用品などが存在します。 スーツとは衣装やユニフォームとは異なり、移動やマスコミ対応で着用する衣装の提供です。 移動とは試合会場や練習場の送り迎えを実施する車の提供です。 事務用品とはペン一本・ノート一冊から該当します。 チアの活動に必要な備品やサービスは全てサプライヤーを期待できるはずであり、間接費の減少につながります。
ファンとはチアのファンであり、グッズやサービスを販売する事によって現金を獲得します。 チアがファンから現金を獲得する方法は三つ存在します。一つはグッズ販売、一つはファンクラブ運営、一つはチケット販売です。 グッズ販売はファンにチアグッズを販売する事によって現金を獲得する方法です。 ファンクラブ運営は公式ファンクラブを運営する事によって現金を獲得する方法です。 チケット販売はチアイベントのチケットを販売する事によって現金を獲得する方法です。
グッズとは個人にチアグッズを販売する事により現金を得る方法です。 チアグッズとはチアの関連商品であり三つの種類が存在します。一つは写真、一つはグッズ、一つはコラボ商品です。 写真とはスタジオや試合でのチアを撮影した写真であり、高い利ざやを見込める、チアグッズの主力商品です。 グッズとは日常生活で使用する物品にチアのロゴや写真が入っているものです。 コラボ商品とはチアと他業種とのタイアップ商品です。
写真とはチアを被写体とした印刷物を意味します。 写真には二つの種類があります。 一つは一枚単位の写真がバラバラで販売されている生写真、一つは複数枚の写真がまとめて販売されているカレンダーです。 生写真とカレンダーは本質的に同じ存在であり、ファンの「チアの写真を見たい」という願望を叶えるグッズです。
生写真とは小別売りされるチア写真を意味し、アイドルの定番グッズとして重宝されています。 生写真が定番グッズである理由は二点あります。一つは費用が安価である点、一つは利ざやが大きい点です。 生写真の撮影費用は基本的に不要です。というのも、シーズン開始前に撮影した写真か試合中の写真を使用するからです。 費用として生写真の印刷代は必ず発生しますが、一枚40円程度と安価に印刷できます。 一枚40円の写真を一枚200円程度で販売できるため、その利ざやは大きく、チアにおいても定番グッズとなる事でしょう。
生写真はグッズだけでなく、他のグッズに対するプレミアにもなり得ます。 生写真が日替わりであったり、日付や手書きメッセージが入ると、それはコレクションアイテムの一つになる事が可能です。 コレクションアイテムには揃えたいという強い動機が発生するため、コレクションアイテムと化した生写真はプレミアを持ちます。 プレミアを持った生写真を別のグッズに添付すると、グッズそのものが欲しいからではなく、プレミア生写真が欲しくてグッズが売れる事になります。 生写真をグッズ購入の動機に転換させる手法はアイドルで実績のある手法であり、チアでも同様の効果を期待できます。
生写真そのものにプレミアを付ける手法も、アイドルグッズでは頻繁に実施されます。 生写真にプレミアを付与する方法は二つあります。一つはサイズを大きくする方法、一つはセットで販売する方法です。 サイズを大きくしたアイドル写真の場合、Lサイズを1とすると2Lは1.5倍、A5ワイドは3.3倍、A4は10.3倍の値段がつきます。 セットのアイドル写真の場合、アップと引きの2枚組で2倍、衣装と私服で2倍、メンバー全員でメンバー数の倍率の値段がつきます。 !Lサイズの生写真が¥100の場合、サイズがA4で8人セットだと、¥100×10×8となって、価値は¥8,000となります。
カレンダーとは日付が入ったチア写真集を意味し、アメリカにおけるチアの定番グッズとして重宝されています。 カレンダーにおける最大の長所は水着が存在する点です。 水着は薄着かつセクシーで、男性ファンの需要が高い衣装であり、多くの販売数を期待できます。 一方試合会場でのパフォーマンスを水着で実施しているチームは存在せず、チアが水着になるには何らかの理由が必要です。 そこでカレンダーが登場します。 カレンダーには海やプールを連想させる夏が必ず存在し、チアの水着姿を自然に販売する事が可能です。
グッズとはチアの写真やロゴが入っている用品であり、チアとの一体感を感じたり、そのチアを応援している事を誇示します。 グッズには二つの種類が存在します。一つは日用品で、一つは学用品です。 日用品は日常生活で使用する生活用品で、学用品は学校で使用する文房具です。
日用品とは日常で使用するグッズを意味し、チアの写真やロゴが入った衣料・タオル・バッジ・キーホルダー・クリアファイル等です。 チアに番号や色といった個人を区別する要素が存在する場合、日用品にも同様の要素が加わります。 例えば7番の背番号を持ったチアのグッズには7という数字が要素として印刷され、 ピンクという色を持ったチアのグッズはピンク色に染められます。 ファンはチアの個人を区別する要素を身につけることにより、チアとの一体感を感じたり、そのチアを応援している事を誇示します。
学用品とは学校で使用する文房具を意味し、チアの写真やロゴが入った下敷き・定規・ペン・ポーチ等です。 チアファンが学生の場合、日常で使用するグッズは学用品となります。 したがって学用品は日用品と同じ特徴を持っており、個人を区別する数字や色分けも日用品と同様です。 学用品は実用品としての意味合いだけでなく、コミュニケーションツールとしての意味合いも持ち合わせます。 学校でチアグッズを見つければ話題になりますし、友達になることも可能です。
コラボ商品とはチアのイメージや知名度を利用したタイアップ商品を意味し、チアと他業種の商品とが関連付けられます。 コラボ商品としてよく見られるものは二つあります。一つは衣装コラボ商品、一つは食品コラボ商品です。 衣装コラボ商品とはチアの衣装とタイアップした商品であり、チアと同じ柄のリボンやポンポンが販売されます。 食品コラボ商品とはチアの名前が入ったお弁当やお菓子といった食品であり、チアが味見をしている様子が宣伝として使用されます。 コラボ商品はこじつければ何とでもタイアップ可能であり、チアにおける社会的知名度の向上に伴い、コラボ商品も増加すると予想されます。
ファンクラブとは、公式にチアを応援する団体を運営する事により現金を得る方法です。 ファンクラブの売りは公式である点にあり、公式ならではのファンを集める要素が三つあります。 一つは写真、一つは会報、一つはイベントです。 写真とは他では入手できない特別な写真のプレゼントです。 会報とはチア情報を掲載した他では入手できない特別な出版物です。 イベントとはファンクラブ会員限定イベントへの参加権です。
写真とはチアの生写真をプレゼントするサービスを意味し、他では入手できない特別な写真によりファンを集めます。 チアの魅力の一つはかわいさであり、写真はその魅力を最も有効に活用できるサービスです。 写真はファンが撮影する事もできますが、上手な写真を撮影する事は困難です。 というのも、試合中は動きが激しく、試合前後は撮影機会が少ないためです。 それゆえ、美しく撮影されたチアの写真は高い価値を持ち、ファンからの需要も旺盛です。 写真そのものだけでなく、直筆サインといったさらなる付加価値が付与される場合もあります。
会報とはチアの近況・写真・情報を掲載した出版物や電子媒体を意味し、他では入手できない閉じられた情報によりファンを集めます。 チアの近況は最近の試合やイベントの様子、写真はチアの未公開の写真、情報は企画特集や裏情報です。 会報とインターネット上におけるチアオフィシャルwebサイトとの相違点は、情報の公開度にあります。 webサイトの情報は誰にでも公開される情報ですが、会報の情報はファンクラブ会員のみに公開される情報です。 会報に掲載された情報はファンクラブ会員だけしか入手できず、それが希少性となってファンを集めることができます。
イベントとはファンクラブ会員のみが参加できる限定イベントを意味し、チアとの物理的距離の近さによりファンを集めます。 ファンはチアとの物理的距離が近いほど愛を感じるため、物理的距離が近いファンクラブイベントはファンを集めることができます。 ファンクラブイベントとして実施されるイベントは二つあります。一つはフェスティバル、一つは撮影会です。 フェスティバルとはファン感謝デーイベントで、撮影会とはファンとチアが一緒に写ったり、ファンがチアを写真撮影するイベントです。
フェスティバルとはファン感謝デーを意味し、様々な催し物によってファンとの距離を物理的に縮めます。 フェスティバルとして行われる出し物は主に三つあります。 一つはパフォーマンス発表会、一つはユースチームチア発表会、一つは物販です。 パフォーマンス発表会はトップチームのパフォーマンスをファンのためだけに実施します。 ユースチームチア発表会はトップチームの妹分がパフォーマンスをファンのためだけに実施します。 物販はオリジナルグッズも魅力ですが、販売時におけるチアとファンとのふれあいも魅力です。
撮影会とはチアを被写体として撮影するイベントを意味し、ファインダーを通じてファンとの距離を物理的に縮めます。 撮影会には二つの種類が存在します。一つはファンと一緒に撮影する撮影会、一つはファンがチアを撮影する撮影会です。 ファンと一緒に撮影する撮影会はツーショット撮影会と呼ばれ、ファンとチアが横に並ぶ事により距離を縮めます。 ファンがチアを撮影する撮影会とは、多人数のファンが一人のチアを撮影する撮影会であり、 ファンが自由な位置で撮影する事により距離を縮めます。 いずれの撮影会もファンとチアの距離は近く、また副産物として写真を派生させます。
チケットとは、有料イベントのチケットを販売する事により現金を得る方法です。 有料イベントには二つの種類が存在します。一つはトップチームが主役のフェスティバル、一つはキッズチアが主役のフェスティバルです。 トップチームが主役のフェスティバルとは、ファンクラブ会員用のチアファン向けフェスティバルです。 キッズチアが主役のフェスティバルとは、キッズチアにおける年一回の大規模な発表会です。 キッズチアが主役のフェスティバルの場合、チケットの販売先はキッズの関係者がほとんどであり、一般販売は少数あるいは全くありません。
目先の金を獲得するために質を下げると、やがて破綻します。 金を早くかつ多く得るために最も多用される手段は、水で薄めるという手段です。 水で薄めるとは質を下げて量を増やす事を意味しており、少ない指導者でキッズチアを指導したり、同じグッズを別グッズとして販売する行為です。 薄められた質の悪いミルクは、やがて気づかれて、ある日突然売れなくなります。 ミルクを薄めて目先の利益を獲得するよりも、苦労して濃いミルクを生産し、長期的な利益を獲得した方が賢明です。
この章にはチアが勝利に貢献するための具体的な方法が書かれています。 勝利に貢献するために、チアは会場に一体感を作り、選手・チア・観客を一つにします。
チアは会場の一体感を作る事によりチームを勝たせます。 一体感とは選手・チア・観客が一つの感情を共有している状態です。 一体感が作られた状態においては、チアや観客もまた選手であり、本物の選手と同様に試合結果に責任を持ちます。 観客が試合結果に責任を持たず「見てるだけ」であれば応援は期待できませんが、 観客が試合結果に責任を持ち「参加している」のであれば応援は期待できます。 選手・チア・観客が試合を自分ごととして一つになり、一体となって試合に挑めばその結果は良いものとなる事でしょう。
一体感を作って全員の心を一つにし、チームを勝たせる事がチアの仕事です。 一体感には三つの種類が存在します。一つは運動による一体感、一つは外観による一体感、一つは圧縮による一体感です。 運動による一体感とは全員の心拍数が同調した時に発生する一体感であり、その根拠は吊り橋効果に由来します。 外観による一体感とは見た目を統一する事による一体感であり、チームカラー・シンボル・グッズが使用されます。 圧縮による一体感とは観客を狭い場所へ閉じ込める事により発生する一体感です。
運動による一体感とは人為的一体感であり、観客も試合に参加する、参加型ホームゲームによって意図的に作ります。 観客が選手の高い心拍数に最も簡単に近づく方法は、観客も選手やチアと共に試合に参加して心拍数を上げる事です。 しかし観客がコートに入って試合に参加すると、試合が成立しません。 そこで、コートに入ることなく試合に参加し、観客の心拍数を上げて選手とチアの心拍数とシンクロさせる必要があります。 観客がコートに入ることなく試合に参加するホームゲームとは参加型ホームゲームであり、これが人為的に作られた一体感の特徴です。
参加型ホームゲームは観客の思考力を奪った上で運動させる事により作られます。 参加型ホームゲームには二つのステップが必要です。一つ目のステップは酩酊状態の作成で、二つ目のステップは運動状態の作成です。 一つ目のステップとして、観客を酩酊状態にさせて思考力を奪い、何も考えられない状態にします。 二つ目のステップとして、観客に運動させて心拍数を上げ、選手の高い心拍数とシンクロさせます。 これら二つのステップにより、観客は何も考えずにただただ運動を繰り返すだけの状態を維持する事になります。 この状態は一種のマインドコントロール状態であり、観客は無意識に試合に参加して盛り上がる事となります。
酩酊状態は木魚のように単調なリズムの音や花火のように強い光によって作られます。 酩酊状態となった人は思考力が低下し、単純な運動による心拍数の向上を受け入れやすくなります。
遅くて単調なリズムは人を酩酊状態にします。 遅くて単調なリズムとは、宗教の場で演奏されるドラムやディスコにおけるサウンドが代表です。 宗教の場で演奏されるドラムとは木魚やアフリカの宗教における太鼓であり、ディスコにおけるサウンドとはディスコミュージックです。 宗教やディスコは人を教義や異性に集中させる必要があります。 そのため、このようなリズムを用いて人を酩酊状態とし、最初に思考力を奪うのです。
リズムは早すぎたり複雑すぎると酩酊状態にする効果がなくなります。 酩酊状態とは催眠状態とほとんど同じであり、心地よく、頭が空白になっている状態です。 催眠状態を作るために、母親は赤ちゃんを優しく叩く時があります。 赤ちゃんを叩くリズムが早すぎたり複雑だった場合、赤ちゃんは眠りません。 酩酊状態に必要なリズムとはあくまでも遅くて単調なリズムの繰り返しであり、ヘビメタのように早く複雑なリズムは効果を期待できません。
強くてまぶしくい光は人を酩酊状態にします。 強くてまぶしくい光とは、宗教の場で焚かれるかがり火やディスコにおけるライティングが代表です。 宗教の場で焚かれるかがり火とは火祭で見る事ができる大きな焚き火やお祭りの花火であり、 ディスコにおけるライティングとはスポットライトや照明です。 暗闇の中に映しだされる焚き火や照明は幻想的であり、人を酩酊状態として思考力を奪います。 光はまぶしく燃え上がる大火や激しいフラッシュが必要であり、ローソクやイルミネーションのような弱い光ではあまり効果を期待できません。
運動状態は参加型パフォーマンスと参加型ダンスによって作られます。 参加型パフォーマンスとは、観客がチアのパフォーマンスに参加する事によって発生する運動状態です。 参加型ダンスとは、観客がダンスを踊る事によって発生する運動状態です。
参加型パフォーマンスは、チアと観客が一緒にパフォーマンスを作る事により、観客の心拍数を上げる方法です。 観客がチアのパフォーマンスに参加する方法は三つあります。一つは手拍子、一つはグッズ、一つは掛け声による参加です。 手拍子とはパフォーマンスや試合進行に合わせて手拍子をする事による試合への参加です。 グッズとはメガホンのような鳴り物を使う事による試合への参加です。 掛け声とは音楽やリズムに合わせて掛け声を入れる事による試合への参加です。
手拍子は観客がチアのパフォーマンスに参加するための最も簡単な手段です。 手拍子は何一つ道具を必要とせず、両手があれば、子供から大人まで簡単にチアのパフォーマンスに参加できます。 無料かつ誰でもすぐにチアのパフォーマンスに参加できる手拍子は、参加型パフォーマンスの基本です。 手拍子には二つの種類が存在します。一つはパフォーマンスにおける手拍子で、一つは試合の応援における手拍子です。 パフォーマンスにおける手拍子は音楽に合わせた手拍子であり、試合の応援における手拍子は試合進行に合わせた手拍子です。
パフォーマンスにおける手拍子とは、チアの楽曲に合わせて手拍子をさせる事により、観客の心拍数を上げる方法です。 チアの楽曲にディスコミュージックを採用すると、酩酊状態を作るだけでなく、手拍子による運動状態も同時に作る事が可能です。 遅くて単調なディスコミュージックのリズムは、老若男女を問わず、誰にでも手拍子を促します。 手拍子は席から立つ必要も動く必要もない手軽さがあり、それでいて長時間持続する理想の運動です。 チアはパフォーマンスを観客に見せる事が仕事ではなく、手拍子によって心拍数を上げ、観客を試合に乗せる事が仕事です。
観客が手拍子をする事ができない楽曲は、心拍数が上がらないため、避けたほうが良いでしょう。 観客が手拍子をする事ができない楽曲のリズムは二つあります。一つは早いリズムで、一つは複雑なリズムです。 早いリズムとは、ロックやヘヴィメタルのようにテンポが早く、手拍子が追いつかないリズムです。 複雑なリズムとは、曲の途中でテンポが早くなったり遅くなったりする事を繰り返し、手拍子が追いつかないリズムです。 手拍子ができなければ、観客は手拍子をする事をやめ、心拍数が上がることもありません。
試合における手拍子とは、試合進行中に手拍子をさせる事により、観客の心拍数を上げる方法です。 試合進行中とは実際に選手とボールが動いている時間です。 この時間における手拍子の主導権は、チームかファンによる応援団のどちらかにあります。 応援の主導権がチームにある場合、チアが観客に手拍子をさせる事が可能です。 具体的にはオフェンス・ディフェンス応援を手拍子可能なリズムで実施し、試合進行中は選手同様に観客の心拍数が上がるよう促します。
試合における手拍子は、観客を煽ることによって促します。 煽りとは試合進行中におけるチアの主要な仕事であり、観客と目を合わせる事によって観客を試合に参加させる手法です。 観客と目が合えばチアと観客の気持ちは通じ合い、二人だけの一体感が生まれます。 二人の一体感が生まれた後は、チアが手拍子をすれば観客も手拍子をして心拍数を上げ、チアが試合を見れば観客も見て試合に参加します。 観客と目を合わせる事は少々恥ずかしいかもしれませんが、この擬似恋愛とも言える手法によって、試合における手拍子を促す事が可能です。
グッズとして鳴り物系グッズを使用する事により、さらに楽しく、さらに効果的にパフォーマンスへ参加する事が可能です。 鳴り物系グッズとは叩いて音の鳴る応援グッズを意味し、分離型メガホンや応援スティックが該当します。 分離型メガホンとは二つのプラスチック部品を叩くことにより音を出す応援グッズであり、声を大きくする目的では使用されません。 応援スティックとはプラスチックあるいは空気を入れたビニール棒を叩くことにより音を出す応援グッズです。 鳴り物系グッズは手を傷めずに大きな音を出す事が可能であり、より楽により楽しくパフォーマンスへ参加できるようになります。
掛け声を観客が音楽やリズムに合わせて出す事により、パフォーマンスに参加する事が可能です。 音楽に合わせて出す掛け声とは、チアのダンスに合わせて観客が発する掛け声です。 リズムに合わせて出す掛け声とは、チアの煽りに合わせて観客が発する掛け声です。 両者ともに発する掛け声は、「Go!」・「Go!Go!」・「Go!○○」といった、単純な掛け声が繰り返されます。 掛け声の運動量は多く、より大きな一体感を得る事が可能です。
参加型ダンスは、チアと観客が一緒に踊る事により、観客の心拍数を上げる方法です。 スポーツの試合においては、チアのダンスを見るだけでなく、観客も一緒になってチアのダンスに参加する事があります。 参加型ダンスは、ダンスを全く知らない観客でも楽しめるよう、振りやリズムはとても簡単でなければなりません。 さらに参加型ダンスは観客に席から立って踊ることを推奨します。 というのも、座って踊るより、立って踊ったほうがより心拍数が上がるからです。 またその簡単さや必ず実施するという安定性により、キッズチアの必須ダンスとしても利用されます。
参加型ダンスを追求すると、最終的には、幼稚園のお遊戯のように簡単なダンスとなります。 高いレベルのダンスというと、一般的には複雑で激しい動きのダンスと考えられがちです。 しかし参加型ダンスにおける高いレベルのダンスとは、シンプルでおとなしい動きのダンスとなります。 というのも、シンプルな動きのダンスでないと、ダンス経験のない一般の観客が楽しめないからです。 一般の観客が楽しめるダンスを追求すると、ダンスはシンプルとなり、やがてお遊戯のようなダンスが高いレベルのダンスとして残ります。
一体感には縦と横の二つの方向があります。 縦の一体感とは観客と演者を結ぶ縦方向の一体感であり、横の一体感とは観客どうしを結ぶ横方向の一体感です。 コンサートでは縦の一体感だけが必要ですが、スポーツでは縦横両方の一体感が必要です。
縦の一体感とは観客と選手の一体感です。 観客と選手の心拍数が互いに一致した時、縦の一体感は生まれます。 縦の一体感は試合を見ているだけでは生まれません。 なぜなら、試合中の選手は激しい運動により高い心拍数を維持しますが、試合中の観客は客席でほとんど運動せず、 低い心拍数を維持するためです。 縦の一体感を生むには、観客を運動させる事により、観客の心拍数を上げて選手の心拍数に近づける必要があります。
横の一体感とは観客どうしの一体感です。 観客と観客の心拍数が互いに一致した時、横の一体感は生まれます。 横の一体感を作る簡単な方法は、ゴール裏などで盛り上がっている観客を他の観客に見せる事です。 盛り上がっている観客を見る事によって、群集心理により、自分たちも盛り上がっていると勘違いします。 これはパンダの性交を促すために、他のパンダの性交映像を見せる事と似ています。 その上で手拍子など観客全員が同じ単純作業を繰り返せば、その効果はさらに高まります。
一体感が発生しているか確認するには、観客と選手が同じ表情やリアクションを取っているかを確認します。 観客と選手の心拍数を直接測定する事は不可能ですが、観客と選手が一体感を感じているかどうか、間接的に測定する事は可能です。 観客・選手・チアの心拍数が一致して一体感が作られた場合、三者の呼吸も一致します。 呼吸が一致すると喜怒哀楽の表情も一致し、惜しいシーンの身振り手振りといった、リアクションにも現れます。 表情やリアクションの一致はまず選手と応援に熱心なゴール裏で発生し、やがて会場全てに広がります。
新しい参加型ホームゲームは、観客が実践可能な、新しい動詞をホームゲームに追加する事によって生まれます【注】。 例えばホームゲームが試合観戦だけの場合動詞は「見る」だけであり、飲食が追加されれば動詞は「食べる」「飲む」です。 ホームゲームに選手との握手があれば「触る」であり、手拍子があれば「叩く」です。 行動と動詞が等価であれば、新しい動詞(歌う、乗る、登る等)から新しい行動(県歌斉唱、ポニー騎乗体験、階段駆け上り競争)を 考える事も可能であり、それを追加することによって新しい参加型ホームゲームが生まれます。
ゲームセンターCX,第63回,フジテレビ,田尻智:「新しいゲームは新しい動詞から生まれる。」
外観による一体感とは見た目の統一による一体感です。 見た目を統一する方法は三つあります。一つは色による統一、一つはシンボルによる統一、一つはミラーリングによる統一です。 色による統一とは、会場の全員が同じ色を身につける事によって発生する一体感です。 シンボルによる統一とは、エンブレム・旗・歌など、全員が同じ象徴を使用する事によって発生する一体感です。 ミラーリングによる統一とは、全員が同じ動きをする事によって発生する一体感です。 これら三つの方法を全て組み合わせると、コレオグラフィ(人文字)となります。
色による一体感とは、全員が同じ色を発色する事によって生まれる一体感です。 色を発色するには二つの方法があります。一つは衣料で、一つは発光体です。 衣料とは全員が同じ色のシャツを着てチームカラーを発色する方法であり、会場が明るい場合に用いられます。 発光体とは全員が同じ色のペンライトやサイリウムを使ってチームカラーを発色する方法であり、会場が暗い場合に用いられます。 チームカラーだけでなく、ピンクは女性の色として全チームで使用されます。 また色の普及を促進するために、一時的に白をチームカラーとする場合もあります。
衣料として、チームカラーのシャツを全員が身に付けて一体感を生み出します。 全員が身につけるシャツには二つの種類があります。一つはユニフォームで、一つはチームカラーのシャツです。 ユニフォームは選手との強い一体感を生み出しますが、高価であるため全員には普及しません。 チームカラーのシャツはユニフォームほどの一体感は生み出しませんが、安価であるため多くの人達に普及します。 全員が同じチームカラーに染まり、自分達と対戦相手を一意に識別する事によって、全員が一つになる事が可能です。
発光体として、チームカラーのペンライトやサイリウムを全員が使用して一体感を生み出します。 バスケットボールやバレーボールなどの室内競技は、体育館で実施されるため、演出として暗転がよく用いられます。 会場が暗転すると、光の反射によって色を出しているユニフォームやチームカラーのシャツは見えなくなってしまいます。 このような暗転時においては、自らが発光するペンライトやサイリウムが必要です。 これらの発光体は暗闇においてもチームカラーを主張し、自分達と対戦相手を一意に識別する事によって、全員が一つになる事が可能です。
ピンクは女性のチームカラーとして全てのチームで使用する事が可能です。 チームカラーはチームにおいて一色、あるいは、三色旗のように一組です。 チームカラーに染まった客席における他の色は、一体感を乱すノイズであり、好ましくありません。 ただし、他の色における唯一の例外がピンクです。 ピンクは女性のチームカラーとして歓迎される色であり、一体感を乱す事もありません。
色による一体感を作るために、チームカラーとは異なる白を使う場合もあります。 チームカラーのシャツはある程度熱心なファンしか購入しません。 観客数は多いものの、その割合として一般のファンが熱心なファンより多い場合、客席がチームカラーで統一される事はありません。 というのも、一般のファンはチームカラーとは無関係な色のシャツをバラバラで着てくるからです。 そこで、どんな人でも所有しかつ色味もほとんど同じである白を一時的なチームカラーとして、ここぞという試合で使用する場合もあります。
シンボルによる一体感とは、全員が同じチームの象徴を使用する事によって生まれる一体感です。 チームの象徴とはそのチームだけが使用して他のチームは使用しない個性であり、三つあります。一つはエンブレム、一つは旗、一つは歌です。 エンブレムとはチームのロゴマークであり、全員の気持ちを一つにするための論理的象徴です。 旗とはチームのロゴ・名前・象徴が描かれた大きな布であり、全員の気持ちを一つにするための物理的象徴です。 歌とはホームタウンの市歌や地域で親しまれている歌であり、全員が同時に歌う事によって気持ちを一つにします。
ミラーリングによる一体感とは、応援グッズを使用して、全員が同じ動作をする事で生まれる一体感です。 全員が同じ動作をする事により、全員の呼吸も一致して、マスゲームのような全員の一体感が生まれます。 全員での一体感の作成にはメガホン・タオル・フラッグなどの応援グッズが頻繁に使用されます。 メガホンは全員が同じ音を出す事による一体感、タオルとフラッグは全員が同じグッズを振り回すという一体感です。 全員が同じ応援グッズを使用して同じ動作を実施する事により、全員の気持ちを一つにします。
グッズを使用せず手や体を使用して一体感を生む場合もあります。 手を使用する事により生まれる一体感の代表は、全員が手を左右に振るワイパーです。 ワイパーは道具も技術も必要とせず誰にでも実施できるため、スポーツの場だけでなく、コンサート会場でもよく使用されます。 またサッカーのオープニングにおいては、ローマ式敬礼のように、全員でこぶしを天に突き立てるチームもあります。 体を使用する事により生まれる一体感の代表は、野球の応援で見る事ができる、全員で同時に立ったり座ったりする応援です。
コレオグラフィによる一体感とは、全員でチームカラー(色)や図柄(シンボル)を一斉に作る(ミラーリング)事により生まれる一体感です。 コレオグラフィとは人文字であり、全員が気持ちを一つにして一つの色や図柄を作り上げます。 全員が気持ちを一つにする事、全員で同じ作業をする事、全員で同じ色や図柄を作る事により、一体感が生まれます。 コレオグラフィは三つの道具によって作られ、また制作難易度に応じて三つのレベルがあります。 道具とは紙製ボード・ビニール製パネル・フラッグで、レベルとは一色だけでの作成・複数の色での作成・文字や絵柄の作成です。
コレオグラフィとはいわゆる人文字を意味し、高校野球のアルプススタンドやサッカーの試合会場でよく見かけます。 人文字とはマスゲームの一種であり、数百人から数万人の人間が色の印刷された紙製ボードなどを掲げる事によって、 試合会場をチームカラーで染め上げたり図形や文字を表現したりします。 人文字は選手入場などの決められたタイミングにおいて、会場の全員が一斉に作ります。 全員が身も心も一つにしなければ人文字は完成せず、見た目の美しさもあって、大きな一体感を得られます。
コレオグラフィは主に三つの道具によって作られます。その道具とは紙製ボード・ビニール製パネル・フラッグの三点です。 紙製ボードとは使い捨ての応援ボードを意味し、表面にチームカラーが印刷され、裏面にボードを提供したスポンサーの宣伝が印刷されます。 ビニール製パネルとは再利用可能なビニールで作られた応援ボードを意味し、両面にチームカラーが印刷されています。 フラッグとは再利用可能な布製の応援旗を意味し、チームカラーやセカンドチームカラーのフラッグが用意されます。 これら三つの道具に加え、ポンポンのような道具や風船を使うチームも存在します。
コレオグラフィには難易度に応じて三つのレベルがあります。 第一レベルは一色だけでの作成、第二レベルは複数の色での作成、第三レベルは文字や絵柄の作成です。 これらのレベルは予算・動員可能な有志の数・観客の成熟度により分けられます。 予算として、ボードであるのならばマッチデープログラムと共用できますが、数千におよぶパネルやフラッグの作成には専用の予算が必要です。 動員可能な有志の数として、再利用可能なパネルやフラッグには運搬・配布・回収・クリーニング・保管に人手が必要です。 観客の成熟度として、高いレベルのコレオグラフィを作るには、観客もある程度の慣れが必要です。
第一レベルである一色だけのコレオグラフィとは、会場をチームカラー一色で染める、基本的なコレオグラフィです。 一色だけのコレオグラフィは、ボードとフラッグによって作られます。 これらのボードとフラッグは会場入口にて配布され、再利用可能なフラッグは会場出口にて回収されます。 一色だけのコレオグラフィにデザイン案は必要なく、選手入場などの決められたタイミングにおいて、全員が掲出すれば完成です。 一色だけのコレオグラフィは最も多く利用されており、安価で人出も必要なく、初めての観客でも簡単に参加可能です。
第二レベルである複数の色を用いたコレオグラフィとは、会場を複数のチームカラーで染める、応用的なコレオグラフィです。 複数の色を用いたコレオグラフィは、ボード・パネル・フラッグによって作られます。 座席を「青|白|青|白」などと色ごとに区切り、区切られた指定席毎に色の付いたボード・パネル・フラッグを客席で直接配布します。 複数の色を用いたコレオグラフィに明確なデザイン案は必要なく、色ごとに客席を区切り、決められたタイミングで掲出すれば完成です。 複数の色を用いたコレオグラフィは、一色だけのコレオグラフィと比較して、道具の配布と回収に人手が必要です。
第三レベルである文字や絵柄を作るコレオグラフィとは、客席をキャンバスとして文字や絵柄を作る、発展的なコレオグラフィです。 複数の色を用いたコレオグラフィはパネルによって作られ、フラッグやその他ポンポンなどの道具は補助的に使用されます。 パネルはデザインに応じて予め座席に配布されており、客席ではパネルを持って移動しないよう告げられます。 文字や絵柄を作るコレオグラフィは、座席図を元にして、作りたい文字や絵柄をあらかじめ明確にデザインする必要があります。 文字や絵柄を作るコレオグラフィは最も難易度が高く、数千枚におよぶパネルの作成・配布・回収・観客の慣れが必要です。
応援グッズを普及させるには、応援グッズをファンクラブ特典とする事により、確実に観客へ普及させる事が可能です。 多くの観客が同じ応援グッズを手にし、ミラーリングによって一体感を得るまでには、三つのステップが必要です。 一つは配布、一つは購入、一つは普及です。 配布とは応援グッズをファンクラブ特典とする撒き餌のステップを意味します。 購入とは撒き餌に食いついた人が応援グッズを購入するステップを意味します。 普及とは増えた応援グッズが加速度を付けて急激に普及するステップを意味します。
配布ステップとは、応援グッズをファンクラブ特典とし、熱心なファンへ半強制的に配布するステップです。 ファンクラブの多くは有料であり、そこへ金を出してまで加入したいと考えるファンは、熱心なファンであると考えられます。 熱心なファンは応援活動においても熱心であり、普及を期待する応援グッズを配布すれば、熱心に活用してくれる事でしょう。 熱心なファンによる熱心な応援グッズの活用は絶好の宣伝であり、他の人の購入を誘う撒き餌となります。 ファンクラブ特典としての応援グッズの配布は、それ自身による普及率の向上ではなく、熱心な活用を見せるために配布されます。
購入ステップとは、熱心な活用を見たファンクラブ以外の人達が、つられて応援グッズを購入するステップです。 人間には帰属意識があり、無意識のうちに周囲と同じでありたいと考えます。 そのため、周囲の人達が同じ応援グッズを使って熱心に活用していれば、自分も同じ応援グッズ使って周囲と同じになりたいと考えます。 応援グッズは会員専用グッズではなく、普及を目的としているため、売店にて誰でも購入できます。 ファンクラブ特典として配布した応援グッズが撒き餌となり、それに食いついた人達が応援グッズを購入する事によって、数が増加します。
普及ステップとは、増えた応援グッズがさらなる応援グッズを呼び込み、爆発的に普及するステップです。 応援グッズが客席で増加すると、それを持って応援する事が当たり前という雰囲気が客席に形成されます。 当たり前という雰囲気は、帰属意識を超える、「持っていなければならない」という一種の強迫観念すら生み出します。 これにより増えた応援グッズはさらに数を増し、爆発的に普及します。 一度普及した応援グッズが数を減らす事はほとんどなく、何年にもわたって一体感を作り続けます。
圧縮による一体感とは自然発生的一体感であり、観客を狭い場所に閉じ込める事によって作られます。 物を圧縮すればそれだけで爆発的エネルギーを発生させ、火薬も火も必要ありません。 例えばウランを一箇所に集めて濃度を90%以上にすると、中性子とウランが連鎖的に衝突し、臨界と呼ばれる爆発的エネルギーが発生します。 この臨界と同様に、人間も狭い場所に集めるだけで一つになり、爆発的エネルギーを発生させます。 狭い試合会場に90%以上の観客を押し込めれば、意図的な一体感を作らなくても、自然発生的な一体感を獲得する事が可能です。
観客を狭い場所へ閉じ込めれば、客席が満員でなくとも、圧縮による一体感を作る事が可能です。 圧縮による一体感は満員の観客が客席に閉じ込められる事によって発生するため、客席が満員にならない試合においては、 圧縮による一体感が発生することはありません。 この問題は少ない観客数に合わせて観客席を減少させることにより解決します。 例えば観客数10人観客席100席の場合の濃度は10%ですが、観客数10人観客席10席の場合の濃度は100%であり、圧縮による一体感が発生します。
圧縮による一体感を意図的に作るために、客席の一部を閉鎖する必要があります。 客席の一部を閉鎖する方法は二つあります。一つは観客席の一部を立入禁止にする方法で、一つはフラッグで観客席を塞ぐ方法です。 観客席の一部を立入禁止にするとは、区切られた観客席を閉鎖し、任意の観客席に観客を集める事により濃度を高める方法です。 区切られた観客席とは、ゴール裏エリア全て・スタンド上部全て・スタンド片面全てなど、広範囲に及びます。 フラッグで観客席を塞ぐとは、開放された観客席にビッグフラッグを展開し、任意の観客席に観客を集める事により濃度を高める方法です。
一体感の弱点とは排他的である点です。 一体感とは選手・チア・観客の心拍数が同調した状態を意味しており、三者の感情は一つになります。 一つになった三者は感情を共有し、喜怒哀楽を同時かつ同程度に表現する事が可能です。 この感情の共有は極めて強い結び付きを持っており、新参者が途中から割り込む事は難しいです。 新参者が試合に割り込む事ができなければ、その新参者は疎外感を感じ、やがて試合に興味を失う事でしょう。
一体感の弱点である排他性を克服するには、応援練習が必要です。 応援練習とは試合中に実施する応援の事前練習であり、スポーツ観戦のための準備運動です。 準備運動は実際のスポーツでも必ず実施されます。なぜなら、準備運動がないと体が温まらず、スポーツで結果を残せないからです。 準備運動である応援練習によって体を温めると、やがて観客の心拍数も上がってきます。 心拍数は常連も新参者も同じように上昇し、バラバラだった呼吸がひとつになって、誰も除外する事なく一体感を作る事が可能です。
この章にはチアが考えておくべき哲学が書かれています。 チアの哲学とはチアの本質であり、昨日も今日も明日も変わらない、永遠の普遍性を持っています。 チアの本質を理解していれば、チアに関して迷う心はなくなります。 なぜなら、本質と照らし合わせれば、それが純金のチアなのか、金メッキのチアなのか容易に判別できるからです。 このような判断はより高い品格が必要なチアディレクターには不可欠ですが、最初は気軽なQ&Aとして流し読みするのも良いでしょう。
プロとは本質を理解し金銭的報酬を得ているチアリーダーです。 プロには二つの種類があります。一つは概念的プロで、一つは形式的プロです。 概念的プロとは真のプロフェッショナルであり、本質を理解しているチアリーダーです。 形式的プロとは金銭的プロフェッショナルであり、チアで報酬を得ているチアリーダーです。
概念的プロ | 形式的プロ | 区分 |
○ | ○ | 本質を理解し、プロとして報酬を得ているチアリーダー |
○ | × | 高い実力を持ったアマチュアチアリーダー |
× | ○ | プロチームに所属する新人チアリーダー |
× | × | クラブや学校に所属するアマチュアチアリーダー |
概念的プロとは、すべてのチアが目指すべき真のプロフェッショナルチアリーダーです。 プロは目的達成を最重要視し、シンプルな成果物を完成させ、最適な節度を持っています。 その一方、プロは思い込みによるミスを犯しがちです。 ただプロはミスを必ず犯すと考えており、予備による代替、ミスを犯した時の安全な終了、ミスからの早急な復帰を事前に計画しています。 これらを理解していないチアは概念的アマに分類されます。
概念的プロとは、本質を理解した真のプロフェッショナルを意味します。 概念とは個人の考え方であり、プロチーム・アマチュア・キッズ等区分に関係なく全ての人間が持っているものです。 本質とは物事の真理であり、この場合は根本的な目的を重視する概念の一種です。 概念的プロは目的の達成を最優先と考え、公私における高い意識・旺盛な行動力・知識への探求心を持ち、結果を残します。 チアに限らず概念的プロはあらゆる分野に存在しており、表舞台・裏舞台を問わず、世界を牽引する存在です。
概念的アマとは、本質を理解していない成長途中のアマチュアを意味します。 本質の理解とは哲学的思考を意味し、常に問題意識を持って「なぜなのか?」と24時間自問して回答を得る事です。 哲学的思考ができなければ、物事の表面に惑わされ、その目的を理解する事は不可能です。 それゆえ概念的アマは手段の行使で完結し、公私における低い意識・脆弱な行動力・知識への無関心を持ち、結果を残せません。 チアに限らず概念的アマはあらゆる分野に存在しており、表舞台・裏舞台を問わず、概念的プロに牽引される存在です。
プロとアマの違いは、目的に対する意識で現れます。 プロは目的を重視するため手段は選びませんが、アマは目的を軽視するため手段が目的となります。 プロは目的を理解しているためシンプルでわかりやすい成果物を完成させますが、 アマは目的を理解していないため複雑でわかりにくい成果物を完成させます。 プロは目的に最適な量・規模・タイミングで実行しますが、アマは過不足があったり早すぎたり遅すぎたりします。
概念的プロ | 概念的アマ | |
重点事項 | 目的 | 手段 |
成果物 | シンプル | 複雑 |
節度 | 最適 | 過多・過小 |
プロの重点事項は目的ですが、アマの重点事項は手段です。 プロは目的の達成を何よりも重視して成功しますが、アマは目的より手段を重視して失敗します。 プロは目的が達成されているのならばあえて何もせずに成功しますが、アマは余計な手段を講じて失敗します。 プロは目的を達成するにはどうすれば良いかと考えて成功しますが、アマは手段をどう使うかと考えて失敗します。
プロは目的のために手段を選びませんが、アマは手段が目的となってしまいます。 プロは目的である一体感を盆踊りで作れるのならば手段であるチアダンスを躊躇なく捨てますが、 アマは目的である一体感よりも手段であるチアダンスに固執します。
プロは目的の達成が第一であり、そこへ到達するための手段に固執しません。 例えばホームゲームにおけるチアの目的は一体感の作成であり、それを達成できるのならば、チアダンスでも手拍子でも盆踊りでも構いません。 一体感の達成において、チアダンスより盆踊りが有効であると判断した場合、プロは何の躊躇もなくチアダンスを切り捨てます。 目的というゴールに到達するための手段は単なる道路や乗り物に過ぎず、最短かつ最安値でゴールできれば、国道でも人力車でも気にしません。 プロは本質を理解しているゆえ目的が明確であり、あらゆる手段を行使して、ぶれる事なく目的を達成させます。
アマは手段の行使に固執し、最終的な目的を見失います。 仮に盆踊りがチアダンスより一体感を得られる場合であっても、アマはチアダンスという手法に固執します。 チアなのでチアダンスが見せたいという気持ちはよくわかります。 しかしチアダンスに固執すると「チアダンスを踊る事」が目的となり、本来の目的である一体感が得られません。 アマは自分の気持ちが目的を上回り、結果として手段が目的となってしまい、本来の目的を達成できずに失敗します。
プロとアマによる目的に対する考え方の相違は、楽曲一つにすら現れます。 一体感を目的としているチアチームは、最も一体感を得られる種類の楽曲のみを使用し、他の種類の楽曲は切り捨てています。 最も一体感を得られる種類の楽曲とは、手拍子によって心拍数を向上させやすい、ディスコミュージックです。 他の種類の楽曲とは、ディスコミュージックを除いた、チアに使用可能な楽曲の全てです。 ロックなど他の楽曲で踊ってみたいとも考えているでしょうが、一体感が目的のため、他の楽曲で踊りたいという自分の気持ちに固執しません。
手段が目的となる事により、善事として始めた事業も悪事へと姿を変えます。 例えば国民の幸福を目的とした公共事業であっても、公共事業という手段が目的となれば、無駄な公共事業が実施されて国民を不幸にするのです。
最初は善き事を目的とした事業であっても、手段が目的となれば、それは悪事へと変わります。 例えば試合中やパフォーマンス中に使用される照明です。 試合中の照明は選手や試合をより見やすく見せるため、パフォーマンス中はチアをより美しく見せるために実施されます。 しかし手段に過ぎない照明が楽しくて、試合会場を無駄に暗くしたり、試合中にチカチカと点滅させてしまう事がよくあります。 選手やチアを良く見せるという善き目的で始まっても、手段が目的となった場合、試合もチアも台無しにするという悪事へと変わるのです。
善事から始まる悪事はチア以外の世界でも頻繁に見る事ができます。 例えば政治の目的とは国民の幸福を追求する事であり、全ての公共事業がその目的で開始されます。 公共事業として橋が川にかかれば便利になり、国民は幸福になる事でしょう。 しかし橋をかけるという手段が目的となれば、必要でない橋が多くかけられ、国民が幸福になる事はありません。 橋をかけて国民を幸福にするという善事であっても、橋という手段が目的となれば、橋によって国民が不幸になるという悪事に変わるのです。
プロは目的のために何もしないという手段すら選びますが、アマはいじって失敗します。
プロは、目的を達成するためにあえて何もしないという手段すら取ります。 プロはうまくいっているものはあえていじりません。 うまくいっている状態とは目的を達成している状態であり、今度はその維持が新しい目的となっているからです。 新しい何かを試してみたい・より向上したい、という気持ちはプロも当然持っていますが、自分の気持ちよりも目的が最優先です。 うまくいっている状態だと判断したプロはあえて何もせず観察し、小さな異常を見つけてから初めて何らかの手段を講じます。
アマは何もしないという手段を取れないため、変にいじって台無しにしてしまいます。 何らかの目的を達成した後は、その目的の維持が目的となります。 目的の維持とはメンテナンスを意味し、大幅な改変は目的を逸脱する危険な行為です。 しかしアマは、何かを試してみたい・より向上したいという気持ちが目的を上回ってしまい、改変に着手します。 我慢できずにいろいろいじってみたものの、結果戻し方がわからなくなってしまって、維持という本来の目的を達成できずに失敗します。
プロとアマによる目的に対する考え方の相違は、照明一つにすら現れます。 バスケの試合においては、通常天井の照明は全て点灯されます。 天井の照明は選手を照らして観客に見せる事が目的であり、その達成を第一と考えるプロは天井の照明を一切いじりません。 そうであるにも関わらず、演出の一環として、天井の照明を半分程度しか点灯しないアマも存在します。 アマは雰囲気を出すために照明をいじっているのでしょうが、結果選手が見づらくなり、本来の目的を達成できずに失敗しています。
プロは目的から手段を考えますが、アマは手段から目的を考えます。 プロは行動可能な手段となるまで目的を小さく分けて実行するゆえ、大きな目的でも達成する事が可能です。 一方アマは最新技術のような手段に次々と食いつき、次々と曖昧な目的を打ちたて、次々と何も達成できないまま失敗していきます。
プロは目的から手段を考えます。 例えば会場を一つにするという目的ならば、それには視覚・聴覚・体験が必要では?と大きく分けた手段を考えます。 さらに視覚として他の観客が盛り上がっている様子を見せる必要があり、それには照明が必要であり、照明には設営との連携が・・・と、 どんどん分けていき、現実的に行動が可能な複数の小さな手段を最終的に見い出します。 目的の達成に必要な手段を逆順に細分化して行動可能な小さな手段を見い出し、実際に行動することによって、プロは目的を達成します。
アマは手段から目的を考えます。 例えば街で新しいペンライトを見かけたアマは、手段に過ぎないペンライトを使って、何か面白い事ができないかと考えます。 ペンライトをコートで振ってみれば面白いのではないか?ペンライトをみんなで振ってみれば面白いのではないか? アマはこのように考えますが、「面白い」といった目的は極めて曖昧なため、結局面白い事を何一つ達成できずに終了してしまいます。 新しい手段が次々と発表される度に、アマは曖昧な目的で次々と手を出し、次々と失敗を重ねていきます。
目的からの思考は大きなプロジェクトすら動かせますが、手段からの思考で大きなプロジェクトは動かせません。 例えば国を動かすという目的においては、教育・経済・食料・外交等が必要では?と大きく分けた手段を考えます。 さらに教育には学校が必要であり、それには教師が必要であり、教師には教育大学が必要です。 国を動かす場合、それらは担当大臣の任命という、現実的に行動が可能な複数の小さな手段によって実行されます。 プロには目的からの思考が必須であり、教育大臣で面白い事ができないか?などという曖昧な考えでは、大きな目的は達成できません。
プロの成果物はシンプルでわかりやすいのですが、アマの成果物は複雑でわかりにくくなります。 シンプルな成果物は無駄がなく・迷うことなく・説明不要ですが、複雑な成果物は無駄が多く・迷いやすく・説明が必要です。
プロによる完成度の高い成果物とは、無駄のない成果物を意味します。 プロの成果物は無駄がなく美しいのですが、アマの成果物は無駄が多くゴチャゴチャとしています。
完成度の高い成果物とは、無駄のない成果物を意味します。 成果物は増やすことよりも減らすことの方が圧倒的に高難度です。 このため、より高度で完成度の高い成果物を仕上げるために、断腸の思いで様々な要素を切る必要があります。 例えば映画は上映時間を上回る撮影を実施し、編集作業で多くのシーンを切る事によって完成度を高めていきます。 もし映画があれもこれもと欲張って付け足すと、上映時間5時間のゾンビロマンスといった、完成度の低い作品に仕上がる事でしょう。
プロは減らす事により無駄のない成果物を完成させます。 例えば一体感が目的であるのならば、自分達を美しく見せる要素であっても切り捨て、 自分達を美しく見せることが目的であるのならば、一体感であっても切り捨てます。 チアにとって一体感や美は極めて重要な要素ですが、目的と合致しないのならば全てはノイズと考えます。 プロの成果物は目的が一つしかなく、他の要素は躊躇なく切り捨てるため、無駄のない美しい成果物が完成します。
アマは増やす事により無駄が多い成果物を完成させます。 例えば一体感が目的であるにも関わらず、自分達も美しく見せたいと考え、一体感に美の要素を付け足してしまいます。 一度別の要素を付け足してしまえば、次はダンスの要素・セクシー要素・鳩の要素・火星の要素と、際限なく付け足す事でしょう。 特に一体感や美といった重要な要素は、付け足すべき要素と考えられ、付け足しにすぎない要素が新しい目的となってしまいます。 アマの成果物は目的が複数存在し、あれもこれもと欲張って増やすため、無駄の多いゴチャゴチャとした成果物が完成します。
完成度の高い成果物とは、迷うことがない成果物を意味します。 プロの成果物には受け手が迷う要素がなく明確ですが、アマの成果物には受け手が迷う要素があり不明確です。 受け手である客に迷いがなければ安心してチアの先導にも従いますが、迷いがあれば安心できずにうまく先導できません。
完成度の高い成果物とは、迷うことがない成果物を意味します。 プロの成果物は主題が一つしか存在せず、受け手は今何をすべきか考える必要がないため、迷う事はありません。 一方アマの成果物は主題が複数存在し、受け手は今何をすべきか考える必要があるため、迷います。 迷いとは不安と同義であり、迷いのないプロの成果物は、不安のない成果物と言い換えることができます。 不安がなければ受け手はチアの先導に従って安心して応援するでしょうが、不安があれば受け手は右往左往するだけです。
プロの成果物は主題が一つしかありません。 プロは自分の目的を完全に理解しており、その目的を主題とした、明確で迷わないメッセージを受け手に送ります。 例えばガソリンスタンドにおいては「自分の車種に合致した給油を行う」という、一つの主題しかありません。 自分の車の燃費が良ければレギュラーを給油し、悪ければハイオクを給油し、ディーゼルなら軽油を給油します。 この明確さはチアも同様です。プロは一体感を作るのか技を見せるのかハッキリ区別しており、ファンが迷うその中間はあり得ません。
アマの成果物には主題が複数存在します。 アマは自分の目的を理解していない場合が多く、どれが主題なのかわからない、漠然とした迷いやすいメッセージを受け手に送ります。 例えばガソリンスタンドにおいて、レギュラー・ハイオク・軽油以外に、アマは高性能レギュラーや安いハイオクを用意する事でしょう。 アマとしては多彩なニーズに応じたつもりでしょうが、受け手はその違いを判別できず、どれを給油して良いのか迷ってしまいます。 この不明確さはチアも同様です。アマは一体感を作るのか技を見せるのかハッキリ区別しておらず、迷ったファンはただ右往左往するだけです。
完成度の高い成果物とは、直感的で説明が必要ない成果物を意味します。 プロの成果物は見ただけで誰でも簡単に楽しめますが、アマの成果物はいちいち説明を受けないと楽しめません。
完成度の高い成果物とは、直感的で説明が必要ない成果物を意味します。 プロの成果物は、何ら専門知識を持たない素人であっても、説明されることなく直感的に理解する事が可能です。 一方アマの成果物は、専門知識を持たない素人では直感的に理解する事が不可能であり、わざわざ説明を受ける必要があります。 成果を人は求めているのであって、その手段はなるべく楽な方が好ましいです。 チアの場合、直感的かつ見ただけで簡単に参加できるホームゲームが求められており、いちいち説明が必要なホームゲームは不要です。
プロの成果物は説明不要で直感的に理解できます。 プロは受け手の要望と技量を完全に理解しており、受け手が欲しい内容を受け手の技量に合わせて提供します。 例えばapple社が作ったテレビのリモコンは6個のボタンしか付いていません。 リモコンにおける操作のほとんどは電源操作とチャンネル変更しかなく、素人がこの二つを直感的に理解できる成果物となっています。 この直感的理解はチアにおいても同様であり、プロのホームゲームは、誰であっても説明なしで簡単に参加する事が可能です。
アマの成果物は説明されないと理解できません。 アマは受け手の要望と技量を理解しておらず、受け手が欲しくない内容も受け手の技量を超えて提供します。 例えば日本製のテレビのリモコンには30個以上のボタンが付いています。 30個以上のボタンを素人が直感的に理解する事は不可能であり、欲しくもない機能を含めて、分厚い操作説明書が必要です。 この説明的理解はチアにおいても同様であり、アマのホームゲームは難しい参加型ダンスがあったりと、素人が説明なしで簡単に参加する事は不可能です。
プロは常に最適ですが、アマには過不足が存在します。 プロは物事の節度を知っており、これしかないという量・規模・タイミングで実行しますが、アマはやり過ぎたり物足りなかったりします。 節度の例として、プロは自分に最適な一つだけの指輪を、最適な指に最適な時に使用します。 一方、アマは全部の指に指輪をはめたり、一個も指輪をはめなかったり、場違いな指輪をはめたりと節度を考えません。
プロは最適な量を提供しますが、アマの量は不適切であり、多すぎたり少なすぎたりします。 例えばプロは1人で踊ったり100人で踊ったりせず、目的に合致した人数を計算し、これしかないという人数で踊ります。 これしかないという量は懐石料理と同じであり、ちょっとお腹を満たすための最適な量であって、多すぎたり少なすぎたりはしません。 一方アマは量が多い事を良い事だと考えたり、量の必要性を見落としがちです。 プロは最適な量を見極めており、決して多すぎずかといって少なすぎず、必要な量を必要なだけ提供します。
プロは最適な規模を提供しますが、アマの規模は不適切であり、大きすぎたり小さすぎたりします。 例えばプロは巨大な髪飾りや目立たない髪飾りを付けたりせず、目的に合致した大きさを計算し、これしかないという大きさを選びます。 これしかないという大きさは道路の大きさと同じであり、大きすぎると税金の無駄使いで小さすぎると渋滞が発生します。 一方アマは大きい事を良い事だと考えたり、逆に大きさの必要性を見落としがちです。 プロは最適な規模を見極めており、決して大きすぎずかといって小さすぎず、必要な規模だけを提供します。
プロは最適なタイミングで実行しますが、アマのタイミングは不適切であり、遅すぎたり早すぎたりします。 例えばプロは決め曲を試合開始直後や試合終了直前に使用せず、試合の流れを読み、これしかないというタイミングで使用します。 これしかないというタイミングは宅配便における受け取り時間と同じであり、遅すぎると心配し早すぎると受け取れません。 一方アマは早い事を良い事だと考えたり、逆にためらってタイミングを外しがちです。 プロは最適なタイミングを見極めており、決して遅すぎずかといって早すぎず、必要なタイミングで物事を実行します。
プロは思い込みによるミスを犯します。 プロは自分がミスを犯すと知っているため、ミスを予備で代替し、致命的ミスを安全に終了させ、 ミスから短時間で復帰させる方法を事前に計画しています。
アマは不注意によりミスを犯しますが、プロは思い込みによりミスを犯します。 アマは主に知識不足から注意不足となり、うっかりミスという小さなミスを犯します。 一方プロは知識不足による小さなミスは犯しませんが、知識が先入観となった、思い込みという大きなミスを犯します【注】。 思い込みは知識に対する自信に起因するため、知識を持ったプロ中のプロほど犯しやすく、航空機事故のように重大な結果を引き起こします。 思い込みによるミスを防ぐには、状況は刻一刻と変化していると意識する事が必要です。
プロはミスを犯す前提で事前に対策を考えていますが、アマはミスを犯さない前提で事前の対策を怠ります。 プロが事前に施す対策は三つあります。一つはミスに対する予備、一つはミスに対する安全な終結、一つはミスからの復帰です。 ミスに対する予備とは、少々のミスでは中断させないための事前対策であり、フォールトトレラントと呼ばれます。 ミスに対する安全な終結とは、ミスによる致命的異常を安全に終了させる事前対策であり、フェールセーフと呼ばれます。 ミスからの復帰とは、ミスにより発生した異常を短時間で正常に戻すための事前対策であり、リカバリと呼ばれます。
プロはミスによる異常が発生しても予備を使って乗り切ります。 ミスで飛行機のエンジンが故障した場合、すぐに墜落するのではなく、もう片方のエンジンだけで飛行を続けるのがフォールトトレラントです。 チアならば、シーズン中にメンバーの一人が辞めてしまっても、練習生を昇格させて乗り切るのがプロです。 プロは重大アクシデントも発生し得ると事前に心がけているため、動揺する事なく、予備に切り替えて目的を達成します。 ミスで動揺しないためには、常に余裕を持ち、危険な箇所に対する予備や多重化を事前に検討しておく必要があります。
プロはミスによる重大な異常を可能な限り安全に終了させます。 ミスで飛行機事故が発生した場合、そのまま墜落してしまうより、どこかに胴体着陸させて被害を最小限に抑えるのがフェールセーフです。 チアならば、パフォーマンスを継続できない重大アクシデントが発生した場合であっても、何気ない顔で中断させるのがプロです。 プロは重大アクシデントも発生し得ると事前に心がけているため、動揺する事なく、客に笑顔を向けたまま異常を終了させます。 ミスで動揺しないためには、ミスによる異常をいかに緩和して安全に終了させるか、事前に検討しておく必要があります。
プロはミスによる異常から可能な限り早く復帰させます。 ミスで空港の飛行機が故障してしまった場合、客を待たせたまま修理するのではなく、なるべく早く他の便で振替輸送するのがリカバリです。 チアならば、パフォーマンス直前になって欠員がでてしまう場合であっても、悪影響を感じさせないパフォーマンスを見せるのがプロです。 プロは重大アクシデントも発生し得ると事前に心がけているため、動揺する事なく、短時間で穴埋めして元に戻します。 ミスで動揺しないためには、ミスによる異常からいかに早く復帰するか、事前に検討しておく必要があります。
ベリキュー!, 第73回 2008年7月9日,テレビ東京,佐々木敦規:「プロ中のプロでも犯すミス、それが思い込みというイージーミスだ。」
形式的プロとは、チアリーディングで報酬を得ている金銭的プロフェッショナルを意味します。 チアリーディングによって報酬を得ているプロには二種類が存在します。一つはプロチアリーダーで、一つはチア指導者です。 チアリーディングで報酬を得ていないチアリーダーはアマチュアチアリーダーに分類されます。
プロチアリーダーとはチアサービスの提供により報酬を得ているチアリーダーです。 プロが提供するチアサービスには二種類が存在します。一つは物理的チアサービス、一つは論理的チアサービスです。 物理的チアサービスとは、試合会場やイベントにおけるダンスや煽りといった、運動を伴うサービスです。 論理的チアサービスとは、情報発信や広報活動といった、運動を伴わないサービスです。
物理的チアサービスとは動のパフォーマンスであり、チアにおける運動を伴う物理的サービスを意味します。 物理的チアサービスには二種類が存在します。一つはダンスで、一つは煽りです。 ダンスとは試合やイベントで披露されるチアダンスであり、チアの主要なサービスです。 煽りとは試合中に実施される応援活動であり、プロにとって、チアダンスに匹敵する主要なサービスです。 これら物理的チアサービスの目的は会場における一体感の作成であり、ダンスと煽りはその手段にすぎません。
ダンスとは運動を伴うチアダンスの提供であり、プロチアリーダーによる最も重要な物理的チアサービスを意味します。 ダンスは重要なサービスであるだけでなく、チアにおける華でもあり、ほとんどの人が想像するチアのサービスに該当します。 このため、応援チア・競技チアといった種別に関わらず、すべてのチアが共通して実施します。 ただ、応援チアが実施するダンスは会場の一体感を作る目的で実施され、競技チアが実施するダンスは得点を取る目的で実施されます。 応援チア・競技チア双方におけるダンスは手段にすぎず、ダンスを純粋な目的としているチアリーダーは発表チアだけです。
煽りとは運動を伴う応援の提供であり、プロチアリーダーによる主要な物理的チアサービスを意味します。 煽りは試合中に実施される応援活動であり、英語で応援する(cheer)という意味において、本来あるべきチアのサービスに該当します。 このため、プロスポーツチームに所属するプロチアリーダーは必ず実施し、プロに所属するキッズチアも時に実施します。 応援活動は選手を直接応援するのではなく、一体感を作って観客を試合に参加させ、間接的に選手を応援します。 間接的応援は数千人・数万人の大規模な応援となり、少数のチアによる直接的応援よりも大きな効果があります。
論理的チアサービスとは静のパフォーマンスであり、チアにおける運動を伴わない論理的サービスを意味します。 論理的チアサービスは三つあります。一つはファンサービス、一つは広報、一つはスポンサー対応です。 ファンサービスとはインターネットを利用したチアの情報発信・記念撮影・お出迎えやお見送りのようなファン対応です。 広報とは各種メディアを利用したチームの宣伝活動です。 スポンサー対応とはスポンサーに対するチアサービスの提供です。
ファンサービスとはチア情報の発信・写真撮影・ファン対応であり、ファンを喜ばせるための論理的チアサービスを意味します。 チア情報の発信は主にインターネットが利用され、チアの自撮り写真や日記など、ファンが興味を持っている内容が発信されます。 写真撮影はチアが被写体となって観客と共に写真に収まるサービスであり、チアだけで写真に収まる場合もあります。 ファン対応はファンとのコミュニケーションサービスであり、お出迎えとお見送り時に実施されます。 ファンサービスはプロスポーツチームに所属するプロチアの特徴であり、アマやフリーのプロは基本的にファンサービスがありません。
情報発信とはチア自身が写っている写真や日記の公開を意味します。 公開される写真にはチア自身が写っている必要があります。 ファンが見たがっているのはチアの人物写真であり、チアが写した風景写真ではありません。 チアは自身が写った写真でファンにアピールするために、かわいい自撮り写真を撮影する必要があります。 日記にも写真は必須であり、もらったプレゼントと一緒に写れば、プレゼントを増加させる効果があります。
自撮り写真とはチア自身が写っているかわいい写真です。 自撮り写真のプロであるアイドルが自撮りを実施する場合、4つのポイントに注意しています。 一つは数を撮影する事、一つは斜め上からの角度で撮影する事、一つは窓際で撮影する事、一つはフィルターでぼかす事です。 数十・数百と撮影すれば、一度ぐらいは奇跡の一枚を撮影する事が可能です。 斜め上からの角度は上目遣いとなり、窓際はちょうど良い光量を得る事ができ、フィルターは欠点を隠す事ができます。
何十枚何百枚と撮影すれば、奇跡の写真を一枚ぐらいは撮影する事が可能です。 プロのカメラマンは限られた時間と限られた予算で写真を撮影しなければなりません。 そのため、機材と技術に予算を投入し、短時間かつ低予算で奇跡の一枚を撮影しようと試みます。 一方自撮りは空き時間に実施可能でモデル代も不要なため、機材も技術も不要です。 少々の時間をかけて何十枚何百枚と力押しで撮影すれば、奇跡的にかわいく写った写真が一枚ぐらいは出てきます。
斜め上の角度から撮影すれば上目遣いとなり、かわいい写真を撮影する事が可能です。 斜め上の角度から撮影する利点は二つあります。一つは上目遣いになる点、一つは左右得意な方向で撮影できる点です。 斜め上の角度とはデート時における男性から女性を見た視線であり、女性の上目遣いを見る事によって、男性の心拍数は上がります。 斜め上の角度ならば、左右どちらかの側面からの撮影となります。人間の顔は非対称なため、得意な顔の左右を選ぶことが可能です。 上目遣いで擬似的なデートを演出し、得意な顔の側面をアピールする事によって、自撮り写真はさらにかわいくなります。
窓際で撮影すればちょうど良い光量を得る事ができ、かわいい写真を撮影する事が可能です。 窓際で撮影する利点は二つあります。一つは明るすぎない点、一つは暗すぎない点です。 窓際は直射日光が入りづらく、明るすぎる事によってボロが出てしまう事を防ぎます。 窓際は部屋の中と比較すれば明るく、暗すぎる事によって自身が見えなくなる事を防ぎます。 明るすぎず暗すぎない光量はお肌を綺麗に見せ、また目に光の星が入る事によって、自撮り写真はさらにかわいくなります。
フィルターを使って撮影すれば欠点を隠す事ができ、かわいい写真を撮影する事が可能です。 フィルターには二つの種類があります。一つは物理的フィルター、一つは論理的的フィルターです。 物理的フィルターとはハードウェアを使う手法であり、レンズにセロハンテープ貼ってぼかします。 論理的フィルターとはソフトウェアを使う手法であり、画像修正ソフトによってぼかします。 物理的フィルターは自然な仕上がりですが少々手間がかかり、論理的フィルターは手間はかかりませんが仕上がりはまずまずです。
日記とはチアの日常写真に添える文章であり、あくまで写真がメインです。 日記の内容としては、試合・練習・アウェイ観戦・行楽・旅行・食事・ペットなどの日常の様子が綴られます。 日記のメインはチアの自撮り写真であり、文章はおまけにすぎません。 写真ばかりで文章がほとんどない日記は許容されますが、文章ばかりで写真がほとんどない日記は許容されません。 日記における必須の文章は、次の試合のお知らせなど、チームに関する告知のみに限られます。
もらったプレゼントを日記で公開する事により、プレゼントをさらに増やす事が可能です。 プレゼントを日記で公開する効果は二つあります。 一つは男性の挑戦心に火を付ける効果、一つはプレゼントが新しいプレゼントを呼ぶ効果です。 他の男性によるプレゼントを見る事により、男性は挑戦心に火が付いて、チアにさらなるプレゼントを贈ります。 日記によるプレゼントの陳列は人気店の前に並んだ行列と同じであり、プレゼントがさらなるプレゼントを呼び込みます。
日記に異性を登場させる事は厳禁です。 チアの日記にファンの知らない異性が登場すると、ファンからの愛を失う事態になる可能性があります。 愛とは排他的であるゆえ、チアが特定の異性を愛しているとファンが疑うと、ファンはそのチアから離れていきます。 チアが何よりも優先する仕事とは「愛される事」であり、ファンの離脱はチアにとって致命的です。 日記に異性を登場させる場合、その異性の身元を明示し、私的な関係は一切ない事を強調する必要があります。
写真撮影とはチアが被写体となって写真に収まるファン向けサービスです。 写真撮影には二つの種類があります。一つはファンと一緒に写真に収まる写真撮影、一つはチアだけで写真に収まる写真撮影です。 ファンと一緒に写真に収まる写真撮影は、ホームゲームへの来場記念を目的としている場合が多く、一般の観客によって実施されます。 チアだけで写真に収まる写真撮影は、チアそのものを目的としている場合が多く、チアファンの観客によって実施されます。 写真撮影は広報活動の一環でもあり、かわいく写真に収まる必要があります。
ファン対応とはお出迎えとお見送り時に実施するファンサービスです。 お出迎えとは開場時に入口で観客を迎えるサービスであり、お見送りとは試合終了後に出口で観客を見送るサービスです。 ファン対応には二つの種類があります。 一つはコミュニケーションを伴うファン対応、一つはコミュニケーションを伴わないファン対応です。 コミュニケーションを伴うファン対応とは、会話・サイン・写真撮影を通じた、コミュニケーションサービスを意味します。 コミュニケーションを伴わないファン対応とは、花として美を提供するサービスを意味します。
コミュニケーションを伴うファン対応とは、会話・サイン・写真撮影によるファンサービスです。 会話とはファンとの言葉を使ったコミュニケーションであり、試合に関する話題やよくある日常会話が交わされます。 サインとはペンを使ったコミュニケーションであり、チアのサインをグッズや色紙に書き込みます。 写真撮影とはカメラを使ったコミュニケーションであり、ファンと写真に収まったりチアが単独で写真に収まります。 ファン対応における会話・サイン・写真撮影は手段であり、ファンと有言・無言のコミュニケーションを取る事が目的です。
コミュニケーションは内容よりも回数が重要です。 回数にのみコミュニケーションは集約され、時間はコミュニケーションの内容を忘却させます。 例えばファンと有意義なコミュニケーションを取ったとしても、年に一回しか会わないのであれば、次の機会には忘れています。 逆にファンと他愛のないコミュニケーションしか取らなかったとしても、毎試合会っているのであれば、忘れる事はありません。 ファンとコミュニケーションを取る場合、内容や手段よりも、なるべく回数を多くこなす事が重要です。
コミュニケーションを伴わないファン対応とは、花としての静のファンサービスです。 花としての静のファンサービスとは、スーパーの出入口に展開している、花の売り場と同じ役割を持っています。 花の売り場では花も買えますが、花を販売する事が目的ではなく、出入りするお客さんを美しい花でもてなす事が目的です。 入る時に美しい花を見れば中で心地よく過ごせますし、出る時に美しい花を見れば心地良く去ることができます。 コミュニケーションを伴わないファン対応も同様であり、お出迎えとお見送り時に、チアが美しい花となってもてなします。
広報とは各種メディアを利用したチーム情報の発信であり、宣伝を目的とした論理的チアサービスを意味します。 チーム情報を発信するメディアは三種類存在します。一つはイベント、一つは電波媒体、一つは紙媒体です。 イベントとはステージでの宣伝であり、キッズチアが登場する場合もあります。 電波媒体とはテレビ・ラジオでの宣伝であり、ゲストやインタビュー形式にて情報を発信します。 紙媒体とは新聞・フリーペーパーでの宣伝であり、ニュースやインタビュー形式にて情報を発信します。
イベントとはステージ上で実施されるパフォーマンスを伴った広報活動です。 イベントは主に地域のお祭りにて実施されます。 地域のお祭りにチアが参加してダンスパフォーマンスを披露し、マイクパフォーマンスにて広報活動を行います。 ダンスパフォーマンスは参加型ダンスが披露され、観客を巻き込んで盛り上げます。 イベントにおけるダンスはくだものの果肉であり、種子という宣伝を届ける事が目的です。
トップチームの代わりにキッズチアが宣伝する場合もあります。 ステージにおいてキッズチアが宣伝活動をする利点は二つあります。一つは費用がかからない点、一つは発表会を兼ねる点です。 費用に関して、キッズチアはまだプロのチアではなく、出演しても費用は発生しません。 発表会に関して、キッズチアが発表会を行える場は限られており、プロチームに所属するキッズチアであってもオフシーズンは発表会の場がありません。 キッズチアによるステージパフォーマンスは、チームの宣伝も発表会も同時に実施可能な、お得な広報活動です。
電波媒体とは電波を使ったマスメディア上で実施される広報活動です。 チアが登場する電波媒体には二つの種類があります。一つはテレビ、一つはラジオです。 テレビにおける広報活動はチーム応援番組の一コーナーとして実施される場合がほとんどであり、 まれにスポーツ番組のゲスト・潜入レポートなどで登場します。 ラジオもチームの応援番組への出演がほとんどですが、まれにインタビューで登場する場合もあります。
紙媒体とは紙を使ったマスメディア上で実施される広報活動です。 チアが登場する紙媒体には二つの種類があります。一つは新聞、一つはフリーペーパーです。 新聞における掲載にも二つの種類があります。一つは通常記事、一つは特集記事です。 通常記事はチーム結成やファン感謝デーなどニュースによる広報で、特集記事はインタビューによる広報です。 フリーペーパーの場合、OL向けなら「働きながら輝く女性」というテーマでチアが登場する場合が多いです。
チアがマスメディアに取り上げられるには、マスメディアが取り上げたくなるような、意外で新しい何かを提供する必要があります。 マスメディアは良いものを取り上げるのではなく、新しいものを取り上げます。 チアをどれだけ良いものへと純化した所で、意外さや目新しさがなければ、マスメディアに取り上げられる事はありません。 その一方、目新しい何かとは安易な流行であり、チアの純化と相反する場合もあります。 洞窟にこもってチアを続けた所で取り上げられる事はないため、マスメディアが食いつきそうなある程度のネタの提供が必要です。
スポンサー対応とはスポンサーに対するチアサービスの提供です。 チアサービスを提供するスポンサーとはチームスポンサーとチアスポンサーの両者であり、対応上の違いはありません。 スポンサーに提供するチアサービスには三つの種類があリます。一つは広報、一つは行事への参加、一つはご挨拶です。 広報とはスポンサー企業のコマーシャルへの出演やコラボ企画です。 行事への参加とは社内行事やスポンサーが主催するお祭りへの参加です。 ご挨拶とはシーズン終了後のあいさつ回りです。
広報とはスポンサーにおける金銭的利益の拡大に協力するチアサービスです。 スポンサーの利益拡大に協力するチアサービスには二つの種類があります。 一つは動のパフォーマンスによる協力、一つは静のパフォーマンスによる協力です。 動のパフォーマンスによる協力とはテレビコマーシャルへの動く出演であり、チアの元気さによって利益拡大に協力します。 静のパフォーマンスによる協力とはコラボ企画への動かない参加であり、チアの美によって利益拡大に協力します。
行事への参加とはスポンサーが主催する福利厚生に協力するチアサービスです。 スポンサーが主催する福利厚生には二つの種類があります。一つは社内向けの福利厚生、一つは社外向けの福利厚生です。 社内向けの福利厚生とは式典・宴会・運動会への参加であり、余興としてチアサービスを提供します。 社外向けの福利厚生とはスポンサーが主催するお祭りのステージ参加であり、サービス内容は自治体が主催するお祭りと大差ありません。 チアが参加する行事のほとんどはスポンサー関係の行事ですが、その他の企業からの出演依頼を受け付けているチアも存在します。
ご挨拶とはスポンサー企業に対するお礼の訪問です。 お世話になった企業に対する年末の挨拶は、どこの企業においても実施されます。 チームにおける年末とはシーズン終了日を意味し、チームは今シーズンお世話になった企業や自治体にお礼の挨拶回りを行います。 この慣行はチアにおいても同様です。 シーズン終了後にチアスポンサーを訪問して今シーズンの感謝を伝える事は、 来シーズンにおける契約継続のお願いを伝える事と同義であり、重要です。
種類としてプロチアリーダーは専属契約の有無で二つに分けられます。 一つは特定スポーツチームに所属するプロチアリーダー、一つはフリーのプロチアリーダーです。 スポーツチームに所属するプロチアリーダーは、チームと専属契約を結び、所属チームだけにチアサービスを提供して報酬を得ます。 フリーのプロチアリーダーは特定のスポーツチームに所属しておらず、依頼を受けたチームにチアサービスを提供して報酬を得ます。
スポーツチームに所属するプロチアリーダーとは、特定のスポーツチームに所属し、プロとしてチアサービスを提供するチアリーダーです。 特定のスポーツチームには二つの種類があります。一つはプロのスポーツチーム、一つはアマチュアのスポーツチームです。 プロのスポーツチームと専属契約を結び、所属チームだけにチアサービスを提供するチアは名実ともにプロチアリーダーです。 アマチュアのスポーツチームは選手もチアも名目的アマチュアですが、実質的にプロとほとんど変わりがありません。 スポーツチームに所属するプロチアリーダーは、物理的チアサービスだけでなく、論理的チアサービスも提供して報酬を得ます。
プロスポーツチームに所属するプロチアリーダーは、チームもプロでチアもプロという、名実ともにプロのチアリーダーです。 プロスポーツチームとは入場料収入と広告費で運営される地域密着型のスポーツチームであり、野球・サッカー・バスケなどが存在します。 プロスポーツチームに所属する選手はチームと個人的な雇用契約を締結しているプロであり、チアも同様です。 プロのスポーツチームには試合結果だけでなく、試合経過とも言える、見た目の華やかさも求められます。 華やかなプロの舞台でプロとして華やかに活躍するチアは、プロのチアリーダーと表現するにふさわしい存在です。
アマチュアスポーツチームに所属するプロチアリーダーは、チームがアマチュアなだけであって、実質的にプロと変わりません。 プロのチアリーダーを雇用するアマチュアチームとは、潤沢な予算を持った実業団の強豪チームです。 実業団とは会社の福利厚生を目的としたスポーツチームであり、選手も社員ですが、全国レベルの強豪チームはプロと大差ありません。 プロチームとほとんど同じである実業団の強豪チームが用意するチアもまた、プロチームとほとんど同じです。 チアがプロとして契約するチームがプロかアマチュアかというだけの違いであり、契約もチア活動もプロそのものです。
フリーのプロチアリーダーとは、特定のスポーツチームに所属していないものの、プロとしてチアサービスを提供するチアリーダーです。 フリーのプロチアリーダーには二つの種類があります。一つは以前スポーツチームに所属していたチア、一つは独立チアチームに所属するチアです。 以前スポーツチームに所属していたチアとは、スポーツチームを卒業したプロチアで、競技や大会に関係なくチアサービスを提供します。 独立チアチームに所属するチアとは、特定の応援対象を持たないプロチアチームに所属するチアで、依頼によりチアサービスを提供します。 フリーのプロチアリーダーは主に物理的チアサービスを提供して報酬を得ます。
以前スポーツチームに所属していたフリーのチアリーダーとは、卒業し現在所属チームのないプロチアリーダーです。 スポーツチームに所属するチアは所属チームのみの出演ですが、フリーに転身したチアは所属チームの制限がありません。 所属制限がないため、フリーのチアはチームに関係なくプロとしてチアサービスを提供します。 ただフリーのチアしての出演は単発の試合における出演が多く、活躍の場は限られます。 所属チームのないチアは、チームとしての制限はありませんが、チアとしての活動も限られているというのが現状です。
独立チアチームに所属するチアリーダーとは、スポーツチームを持っていないプロのチアチームに所属するプロチアリーダーです。 スポーツチームを持っていないプロのチアチームとは、どこのスポーツチームにも所属せず、 チアを持たない団体から依頼を受けてチアサービスを提供するチアチームです。 チアを持たない団体とはスポーツチームに限らない各種団体であり、提供するチアサービスも物理的チアサービスだけでなく、 チア指導者の派遣によるプロデュース・振り付け・インストラクション・キッズチア講習など多岐にわたります。
チア指導者とはチア指導の提供により報酬を得ているプロのチアリーダーです。 チア指導者には指導する相手により二種類が存在します。 一つはチアディレクター、一つはキッズチア指導者です。 チアディレクターとはプロチアリーダーを指導するプロのチアリーダーです。 キッズチア指導者とは子供にチアリーディングを指導するプロのチアリーダーです。
チアディレクターとはプロチアチームの指導者であり、チームを統括する責任者です。 チアディレクターは統括業務が本業のため、客前でパフォーマンスを披露する機会は限られますが、知的チアリーダーとして最も輝く存在です。 チアディレクターは設計・製造・運用という工程によりチアチームを作り上げます。 またチームの方針により、チアディレクター・アシスタントチアディレクター・プレイングディレクターといった種類が存在します。
チアディレクターの業務はチームの設計やメンバーの管理といった統括業務です。 ほとんどのチアディレクターは統括業務に徹するため、自分が観客の前でパフォーマンスを披露する機会はほとんどありません。 自分が披露しない代わりに、自らが理想とするチアチームを作り上げ、理想を実現し得る体力や若さを持ったチアリーダーに披露させます。 体力や若さを持ったチアの演技はあくまで表向きの見た目にすぎず、その裏にはチアディレクターの知力が必ず隠されています。 知力は加齢によって衰えることがなく、チアディレクターは知的チアとしてさらに輝き続けます。
チアディレクターがチアチームを作り上げる工程は三つあります。その工程とは設計・製造・運用です。 設計とは論理的チアチームデザインであり、チームと方針をすりあわせた後、メンバーを決定するまでの工程です。 製造とは物理的チアチームビルディングであり、練習と調整を繰り返して、設計通りのチアチームを具体的に構築する工程です。 運用とはチアチームオペレーティングであり、完成したチームを実際に稼動させ、微調整を行いながらチームを仕上げる工程です。 これらの工程をチアディレクターはシーズンごとに繰り返します。
設計とは自らが理想とするチアチームを論理的にデザインする作業です 設計は依頼元である所属チームから概略をヒアリングする作業から始まります。 ヒアリング後は所属チームの意向に沿い、かつ、自らの理想を実現可能なテーマをデザインし、予算を決定します。 テーマ決定後はデザインを実現可能なメンバーを残留させ、不足人数分をオーディションにより補充します。 設計工程はシーズン開始から始まり、メンバーの決定まで続きます。
設計は全ての工程において最も重要です。 設計が最重要である理由は二つあります。 一つはチアデザインが決定される点で、一つは決定されたチアデザインを後で修正する事が難しい点です。 「ロックをモチーフとする」「衣装を色分けして個性を出す」といったチアデザインはチームの特色であり、シーズンを通して使用されます。 チアデザインは予算・人事・練習時間と密接に関連するため、下流工程になるほど、途中での修正が難しくなってきます。 設計工程はチアディレクターにおける最重要かつ最難関の工程であり、シーズンの山場です。
製造とは実際にチームを作り上げる物理的なチアチームビルディング工程です。 設計工程にてテーマとメンバーを決定した後は、この両者を組み合わせて、形のあるチアチームを実際に構築します。 テーマとはチアディレクターの理想であり、メンバーとはその理想を実現する真っ白なお人形です。 理想がダンスならばメンバーに対して動の訓練が必要であり、かわいさならばメンバーに対して静の訓練が必要になります。 製造工程はメンバーとの初顔合わせから始まり、プレシーズンマッチ終了まで続きます。
運用とはチームをシーズン中に稼働させるチアチームオペレーション工程です。 シーズン中におけるやるべき仕事は主に三つ存在します。一つは調整、一つはトラブルへの対処、一つはチアADの育成です。 調整として、シーズン中は見えなかった課題が見つかったり、新しいパフォーマンスを追加する必要があります。 トラブルへの対処として、長いシーズンにおいてメンバーが揃わなかったり、怪我やその他の事情による退団に備える必要があります。 チアADの育成として、チアDに万が一の事態が起こった場合に対処でき、かつ、チームの未来を担う後継者を育てる必要があります。 運用工程は開幕戦から始まり、最終戦終了まで続きます。
調整とはメンテナンスであり、シーズン中に見つけた課題を修正したり、新しいパフォーマンスに入れ替えたりします。 シーズン中に必要な調整は二つあります。一つは課題の修正で、一つは新しいパフォーマンスの追加です。 課題は観客のいる会場で運用すると必ず見つかります。それらは大きい・小さい・早い・遅いといった課題であり、修正が必要です。 新しいパフォーマンスを追加し、演目を調整する必要があります。というのも、試合会場には同じ人が何度も足を運ぶため、同じパフォーマンスだと飽きるからです。 チアチームは生き物であり、人間と同様に、新陳代謝・呼吸・栄養・休養といった細かい調整がなければ生きていけません。
トラブルへの対処とは予想外の事態への対応であり、大小合わせて、シーズン中に何度も発生します。 対処が必要なトラブルの種類は二つあります。一つは人的要因、一つは物的要因です。 人的要因とはメンバーに関するトラブルであり、人間関係や仕事・学校・体調・怪我によりメンバーが揃わなかったり退団するトラブルです。 物的要因とは衣装や備品に関するトラブルであり、衣装が揃わなかったり備品が故障するトラブルです。 一つ一つのトラブルは小さくても、いくつものトラブルが同時に発生した場合、大きなトラブルとなる場合があります。
人的要因トラブルとはメンバーに関する形のないトラブルです。 人的要因トラブルには二種類が存在します。一つは人間関係で、一つはメンバーの欠員です。 人間関係とはメンバー間やチアDとのトラブルで、欠員とはメンバーが揃わない事によるトラブルです。
人間関係によるトラブルとは、あるメンバーを起点とした、他の人間とのトラブルです。 人間関係によるトラブルは三種類が存在します。一つは垂直トラブル、一つは水平トラブル、一つは外部トラブルです。 垂直トラブルとはチアDとメンバーにおける上下のトラブルであり、チアADがチアDとメンバーを取り持つ事により緩和できます。 水平トラブルとはメンバーどうしのトラブルであり、メンバー間の信頼関係を高める必要があります。 外部トラブルとはファンや所属チームとのトラブルであり、責任者であるチアDが解決しなければならない時があります。
欠員によるトラブルとは、メンバーが揃わずパフォーマンスに影響するトラブルです。 メンバーが揃わない理由は二つあります。一つは外的要因で、一つは内的要因です。 外的要因はメンバー以外を起因とする要因であり、仕事・学校・家庭の事情が該当します。 内的要因はメンバー自身を起因とする要因であり、怪我・病気が該当します。 外的要因の解決にはチアの地位向上が必要であり、内的要因の解決には事前の準備と柔軟な対応が必要です。
外的要因とはメンバー以外を起因とする要因であり、チアの賃金が低い点が原因です。 メンバーにはチア以外の社会的生活が必ずあります。その社会的生活とは仕事や学校であり、家庭であっても社会的生活の一つです。 多くのメンバーはチアよりも社会的生活を優先せざるを得ません。 なぜなら、それらには現在あるいは未来における金銭が絡んでいるからです。 チアで得られる金銭はわずかであり、この状況が続く限り、外的要因によるメンバー欠員は発生し続けます。
外的要因によるメンバー欠員を防ぐには、チアの現在あるいは未来における、金銭的憂慮を解消させる必要があります。 外的要因によるメンバー欠員を防ぐ方法は二つあります。一つはチアの社会的地位向上で、一つはモチベーションの向上です。 チアの社会的地位が向上し、仕事・学校・家庭に対する金銭的依存度が減少すれば、外的要因によるメンバー欠員も減少します。 モチベーション向上とはチアがやる気を出す事であり、チア自身が愛され、金を持っている未来の結婚候補者達の目に止まる事を意味します。 外的要因は一時金で簡単に解決できますが、それは一時しのぎであり、本質的にはチアの社会的地位を徐々に向上させる努力が必要です。
内的要因とはメンバー自身を起因とする要因であり、試合中であっても突然発生する可能性があります。 メンバー自身に起因する問題は二つあります。一つは怪我で、一つは病気です。 怪我は運動前のストレッチで減少させる事が可能ですが、その確立をゼロにする事は不可能であり、また普段の生活でも怪我をします。 病気は人混みにおけるマスクの着用・うがい・手洗いで減少させる事が可能ですが、それでもなお病気になる時はあります。 内的要因は試合中であっても突然起こりうるため、事前の準備と柔軟な対応が必要です。
物的要因トラブルとは衣装や備品に関するトラブルであり、衣装が揃わなかったり備品が故障するトラブルです。 物的要因トラブルは備品の部品数と比例するため、複雑な備品を扱う場合は対策が必要です。 例えば凝った衣装・コンピュータ・音響機器といった備品は部品が多く、試合中にトラブルを起こす可能性があります。 一方、ポンポン・バトン・リボンといった備品は部品が少なく、試合中にトラブルを起こす可能性は非常に少ないです。 部品数が多く、かつ、それがないとパフォーマンスに支障をきたす備品に関しては、予備を用意するといった事前の対策が必要となります。
対処不可能なトラブルとして、チームの金銭トラブルに巻き込まれる事があります。 金銭トラブルとは所属チームからの給与が遅配するトラブルであり、チアDやメンバーでは対処不可能な場合がほとんどです。 チームがキッズチアを保有している場合、金銭トラブルはある程度緩和されます。 しかし所属チームが消滅してしまえば、発表会場を持たないキッズチアは価値が激減し、生徒数も給与も減少します。 金銭トラブルは極めて重大なトラブルであるものの、キッズチア収入以外に解決方法がなく、どうにもなりません。
万が一金銭トラブルが発生した場合、プロとしてはチームを去った方が良いでしょう。 金銭トラブルを発生させる所属チームはプロとは呼べず、そこにプロのチアリーダーが所属する意義も見いだせません。 所属する意義がなければ去った方が良く、そのタイミングは二つあります。一つはシーズン中に去る場合、一つはシーズン後に去る場合です。 シーズン中に去る場合、オーディションが始まるまでは、他のチームに所属できても研修生扱いとなります。 シーズン後に去る場合、シーズン中はボランティア扱いとなりますが、他のチームのオーディションまでは所属可能です。
チアADの育成とは、チームを安定化させるために、次の世代のチアディレクターを予め用意しておく事を意味します。 チアADを育成しなければならない理由は二つあります。一つはチームにおける現在の安定化で、一つはチームにおける未来の安定化です。 チームにおける現在の安定化とは、チアDに怪我や病気など万が一の出来事が起こった場合に対する準備です。 チームにおける未来の安定化とは、今後何年にもわたってチームを指導する、最も重要な人材の準備です。 チアDには設計・製造・運用の能力が必要であり、チアADに対しても、時間をかけて同等の能力を身に付ける必要があります。
チアディレクターはチームの方針によって三つの種類が存在します。 一つはプロチアリーダーを指導するチアディレクター、 一つは将来のチアディレクターとして学びながら指導するアシスタントチアディレクター、 一つは自らも出演しながらプロのチアリーダーを指導するプレイングディレクターです。 今後チアディレクターの仕事がより大規模化した場合、分業化され、チアデザイナーという花形職業が登場するかもしれません。
チアディレクターとはチームを統括する責任者です。 チアディレクターは自らがパフォーマンスを披露する機会はほとんどなく、チームの管理業務に徹します。 管理業務としてのチアディレクターの仕事は三つあります。一つは設計、一つは製造、一つは運用です。 チアディレクターは純粋な知的チアリーダーであり、現役時代から肉体的には衰えていても、 最も尊敬されるチアリーダーとして輝く存在です。
アシスタントディレクターとは将来のチアディレクター候補として学ぶチアリーダーです。 チアDを獲得する手段は二つあります。一つは外部のチアDを招へいするする方法、一つは内部のチアをチアDに育成する方法です。 外部チアDの招へいとは、チアDや指導者としての経験を持ったチアをディレクターとして招へいする方法です。 内部チアの育成とは、キッズチア指導者・キャプテン・チアADを経由して、チアDを所属チームが育てる方法です。 チアADはキッズチアによる技術的指導・キャプテンによる人間関係の構築を体得した後、仕上げとして、チアDに必要な業務を学びます。
アシスタントディレクターの仕事は基本的にチアディレクターと同じですが、時に正反対の仕事が必要な場合もあります。 チアADの仕事である補佐には二つの意味があります。一つはチアDの補佐で、一つはメンバーの補佐です。 チアDの補佐とはチアDに対する物理的・論理的サポートであり、チアDの延長としての仕事です。 メンバーの補佐とはメンバーに対する精神的サポートであり、チアDとは正反対の対応が求められる場合があります。 正反対の対応とはいわばアメとムチであり、チアDが怒ればチアADは優しくし、チアDが優しくすればチアADは怒るという対応です。
プレイングディレクターとは、チアディレクターとしての業務を遂行しながら自らもパフォーマンスを披露するチアディレクターです。 チアDは三つの理由により専任が推奨されます。一つは知的業務に専念する点、一つは肉体的に厳しい点、一つはチームを客観視できる点です。 知的業務である開発・製造・運用はチームにとって最優先であり、それらに専念できる環境がチアDには必要です。 肉体的にチアDの業務とパフォーマンスを両立する事は厳しく、パフォーマンスは肉体的に優る若手メンバーの活躍が期待されます。 チームを客観視するには、コート上ではなく、客席からパフォーマンスを冷静に観察する必要があります。
チアDとメンバーの兼任は推奨されませんが、金銭的理由により、プレイングディレクターとして両者を兼任する場合もあります。 所属チームに金銭的余裕がない場合、チアD兼メンバーというプレイングディレクターが任命されます。これには利点と欠点があります。 利点は人件費が減少する点です。メンバー一人あるいはチアD一人の費用を払う必要がありません。 欠点は本人の負担が極めて重くなる点です。指導者の負担増加はチームの魅力減少につながりかねません。 チアDとメンバーの兼任を解消するために、キッズチアを開設して早めに現金収入を得る必要があります。
チアデザイナーとはチアの設計のみを担当するプロチアリーダーです。 今後チアが大規模化かつ複雑化した場合、チアディレクターの仕事はより管理職化し、実作業は分担される事でしょう。 チアDの仕事には設計・製造・運用が存在し、それぞれチアデザイナー・チアビルダー・チアオペレーターという新しい職種が担当します。 これらの職種はそれぞれ設計・製造・運用のプロであり、ひとつのチームにとらわれず、多くのチームを渡り歩くはずです。 中でもチアデザイナーは花形職業であり、服飾や宝石デザイナーのように、デザイナーの個性を売りとしたチアを設計する事でしょう。
キッズチア指導者とは、チアリーディングを通じてキッズを育てる、教育的指導者です。 キッズチア指導者は指導するキッズの年齢に合わせて三つの種類が存在します。 一つは幼児期のキッズチア指導者、一つは児童期のキッズチア指導者、一つは思春期のキッズチア指導者です。 幼児期のキッズチア指導者は体育教育・人間教育の両方、児童期は人間教育・技術教育の両方、思春期は技術教育だけを指導します。 体育教育とは健康促進、人間教育とはしつけや理性、技術教育とはチアの専門技術です。
年齢 | 指導内容 |
幼児期 | 体育教育・人間教育 |
児童期 | 人間教育・技術教育 |
思春期 | 技術教育 |
キッズチア指導者は将来チアDを目指す人にとっての登竜門です。 将来チアDとして大人のチアを指導するためには、まずキッズチアで指導経験を積む必要があります。 キッズチアにおける指導は基本的なものですが、他人に教える事を通じて、基本的なチアですら曖昧にしていた自分に気付く事でしょう。 キッズの年齢が上がるに連れて指導の専門性も向上し、思春期のキッズチア指導においては、大人のチア指導とほとんど同じとなります。 年齢の低いキッズチアから指導を開始し、年齢と共に指導内容をステップアップさせ、最終的には大人を指導するチアDへたどり着きます。
幼児期対象のキッズチア指導者とは、幼児期のキッズにおける体育教育・人間教育を施す指導者です。 キッズチア指導における幼児期とは3歳から6歳(幼稚園生)を意味します。 この時期のキッズは体が小さく抵抗力がないため、死なない健康的な体を作る事が最優先です。 その上で、自立や家族以外の社会との接し方を教育する必要があります。 この時期を対象とする指導者は体育教育・人間教育の指導者であり、チアは単なる手段に過ぎません。
児童期対象のキッズチア指導者とは、児童期のキッズにおける人間教育・技術教育を施す指導者です。 児童期対象のキッズチア指導者には二つの種類があります。 一つは通常の児童対象キッズチア指導者で、一つは上位の児童対象キッズチア指導者です。 通常の児童とは、人間教育・技術教育の両方の指導が必要な児童です。 上位の児童とは、人間教育が完了し、技術教育の指導に専念できる児童です。
通常の児童対象キッズチア指導者とは、児童期のキッズにおける人間教育・技術教育を施す指導者です。 キッズチア指導における児童期とは7歳から12歳(小学生)を意味します。 この時期のキッズに死の危険性は少なく、体育教育に代わってチアの技術教育が増加します。 社会性を身につけるための人間教育は継続されており、友情を育んだり幼児のお世話をする必要があります。 この時期を対象とする指導者は人間教育・技術教育の指導者であり、チア技術の整理と理解も必要です。
上位の児童対象キッズチア指導者とは、児童期のキッズにおける高度な技術教育を施す指導者です。 上位の児童とは、児童期対象キッズチアにおいて、人間教育と技術教育が完了したと認められた児童です。 人間教育と技術教育の完了は、オーディションのような試験によって認定されます。 試験は人間教育の審査が最重要かつ大前提であり、いかに技術が優れていても、練習中におしゃべりばかりしていては伸びません。 上位の児童は人間教育の完了が試験により保証されているため、指導者はチア技術の指導に専念できます。
思春期対象のキッズチア指導者とは、思春期のキッズにおける技術教育を施す指導者です。 キッズチア指導における思春期とは13歳から17歳(中学生から高校生)を意味します。 この時期のキッズは体育教育・人間教育が完了しており、チアにおける技術教育のみが実施されます。 実施される技術教育は実用的な教育であり、勝つための競技チア、あるいは、観客のための応援チア、あるいはその両方です。 技術教育で用いられる技術はプロの技術と同等であり、指導者にはチアDと同等のチア技術における整理と理解が必要です。
指導者は親に対してはキッズチアが教育である事をアピールし、子に対してはキッズチアが娯楽である事をアピールする必要があります。 というのも、親はキッズチアに金を出す決定権を持っており、子はキッズチアを継続する決定権を持っているからです。 親の関心は子の教育であり、娯楽としてのキッズチアには金を払いません。子のしつけや技術教育が必要です。 一方、子の関心は娯楽であり、教育としてのキッズチアだけでは続きません。誕生日のお祝いやお食事会などサプライズが必要です。 指導者は親に対しては教育をアピールして金を出させ、同時に、子に対しては娯楽をアピールして継続させる必要があります。
形式的アマチュアチアリーダーとは、報酬を得ずにチアリーディング活動をしているチアリーダーです。 報酬を得ずにチア活動を実施しているチアには四種類が存在します。 一つはキッズチア、一つは学生のチア、一つは大人のアマチュアチアリーダー、一つはアマチュアチア指導者です。 キッズチアとはプロ・アマチュアのクラブチームに所属する、幼児から高校生のアマチュアチアリーダーです。 学生のチアとは学校のクラブ・応援団・サークルに所属する、中学生から大学生のアマチュアチアリーダーです。 大人のアマチュアチアリーダーとはチア教室に通う成人アマチュアチアリーダーです。 アマチュアチア指導者とは、教師として学校のチアチームを指導するチアリーダーです。
アマチュアチアリーダーの活動内容は、所属するクラブの方針により、三種類が存在します。一つは競技、一つは応援、一つは発表です。 競技とは大会で勝つ事を目的としたチアであり、アマチュアクラブによく見られます。 応援とはスポーツチームの応援を目的としたチアであり、アマチュア・プロの両方に見られます。 発表とは発表会の実施を目的としたチアであり、プロクラブのほとんどで見られます。 ただこれらの区別は曖昧で、大人のアマチュアチアリーダーを除けば、大なり小なり全ての要素を持ち合わせています。
競技とは大会で勝つことを目的とした、スポーツとしてのチアリーディングです。 大会とは各種チア団体が主催する競技会であり、チアにおける技術面のみを評価する、スポーツ大会の一種です。 大会は陸上競技会やサッカー選手権といったスポーツ大会と本質的に同じであり、競技には勝つ事が求められます。 勝つためには選抜メンバーによる厳しい練習や大会前の合宿が必要です。 競技中心のキッズチアには厳しい練習を乗り越えた後の勝つ喜びがあり、スポーツとしてのチアリーディングを極める魅力があります。
応援とはスポーツの応援を目的とした、応援活動としてのチアリーディングです。 スポーツとはプロスポーツ・企業のアマチュアスポーツ・学生スポーツであり、応援対象チームは固定されます。 応援は、煽りとダンスによって会場の一体感を作り、応援対象チームの勝利に貢献する必要があります。 固定された応援対象チームを持たない場合、マラソン大会の応援のように、公募で応援先を探します。 応援中心のキッズチアには頑張る誰かを応援する喜びがあり、応援活動としてのチアリーディング本来の魅力があります。
発表とはチアダンスの発表会を目的としたチアリーディングです。 発表会とは地域のお祭りといった勝ち負けをつけない発表の場であり、競技チアが出場する競技大会とは完全に異なります。 競技チアは勝ち負けが目的ですが、発表チアは純粋にチアダンスを見せる事が目的です。 チアダンスを見せる相手も主にチアの身内であり、審査員は一人もいません。 発表中心のキッズチアには勝ち負けや特定のチームに縛られない自由さがあり、ダンスとしてのチアリーディングを楽しむ魅力があります。
キッズチアとはクラブチームに所属するアマチュアチアリーダーであり、一般的に小学生以下のほとんどのチアリーダーが該当します。 クラブチームとはチアを専門に指導するチアスクールであり、キッズチアは指導料を支払ってチアを学んでいます。 キッズチアは所属するクラブがアマかプロかによって指導内容が異なっており、アマは競技、プロは発表が中心です。 キッズチアは年齢によっていくつかのクラスに分かれており、年齢が上がるに連れて、指導内容が専門的になります。
アマチュアクラブに所属するキッズチアとは、プロのスポーツチームに所属せず、特定の応援対象を持たないクラブチームです。 アマチュアクラブに所属するキッズチアには、所属するクラブの方針により二つの種類があります。 一つは競技中心のキッズチア、一つは発表中心のキッズチアです。 競技中心のキッズチアは大会で勝つ事を目的としたキッズチアで、 発表中心のキッズチアはダンスとしてのチアを楽しむ事を目的としたキッズチアです。
競技中心のキッズチアは競技に集中できる点がプロと比較した利点です。 競技チアは、発表会の動員に大観衆を見込めない多くのアマが、他のクラブと差別化できる唯一の手段です。 競技チアにおける好成績はアマクラブに付加価値を与え、生徒獲得数にも影響します。 好成績を残すには、プロのように観客動員も中学生以降のキャリアもトップチームへの昇格も考える必要はありません。 競技で勝つ以外の事を考える必要がなく、アマはスポーツとしてのチアを集中して楽しむ事ができます。
アマは競技チアに特化されており、プロよりも競技大会で勝つ事ができます。 アマが競技大会で勝つための特化は二種類が存在します。一つは練習内容の特化で、一つは練習時間の特化です。 練習内容として、アマは大会で高得点を狙える練習に特化しており、煽りのように得点にならない技術の練習は実施しません。 練習時間も柔軟であり、大会前の特別練習や合宿も当たり前です。 プロは煽りが必須だったり時間調整が難しかったりしますが、アマは勝つ事を最優先としたチアが可能です。
競技に特化されたアマチアは、卒業後、同じく競技に特化された学生チアにおいても活躍を期待できます。 競技に特化されたアマチアと競技に特化された学生チアは、スポーツとしてのチアという意味において、本質的に同じです。 本質的に同じであるのならば、活躍の舞台や組織が異なっても、競技チアという真髄は共通します。 共通した真髄とは大会で勝つという同じ目的やそのための練習手段であり、競技に特化されたアマにはお馴染みです。 お馴染みの目的や手段はスムーズな移行を可能とし、競技に特化されたアマチアは、学生チアにおいても活躍できる事でしょう。
発表中心のキッズチアは地域性がより高い点がプロと比較した利点です。 地域性とは地元密着型チームを意味し、二つの距離的特徴があります。一つは練習場が近い点で、一つは発表会場が近い点です。 練習場が近ければ送迎の手間を省くことが可能であり、より気軽にチアを楽しむ事ができます。 発表会場が近ければ家族そろって娘の晴れ姿を見る事が可能であり、両親だけでなく祖父や祖母も発表会を楽しむ事ができます。 地域性の高さは練習場や発表会場への物理的距離を近づけるだけでなく、キッズチアに関わる人達との精神的距離をも近づけます。
アマチュアクラブに所属するキッズチアは、トップチームを意識する事なく、自由で一貫したチア活動が可能です。 トップチームを保有するプロチアは、キッズチアの年齢が上がるに連れて、トップチームの動向に強く影響を受けます。 というのも、年齢が上のキッズチアには人材供給の役割もあり、トップチームが必要としているチア像を無視できないからです。 トップチームが必要としているチア像はチアディレクターによって変化し、キッズチアも修正を余儀なくされます。 キッズチアの修正は、トップを保有していないアマチアでは発生せず、その活動は安定しています。
プロクラブに所属するキッズチアとは、プロのスポーツチームに所属し、特定の応援対象を持つクラブチームです。 プロクラブに所属するキッズチアは発表が中心です。プロのスポーツ会場は発表会に最適の場所だからです。 応援はキッズの年齢が上がるに連れて比重が増します。プロチアリーダーとしてのデビューの現実性が増すからです。 競技はほとんど実施されません。プロのスポーツ会場には競技チアのような採点者がいないからです。 プロクラブに所属するキッズチアは、小学生まではアマとほぼ同じですが、中学生以降はトップチームの下部組織的意味合いが強くなります。
プロクラブに所属するキッズチアは、プロチームの環境を利用できる点がアマと比較した利点です。 プロクラブに所属するキッズチアの利点は三点あります。 一つは多くの客がいる発表会場がある点、一つは中学生でもチアを継続できる点、一つはトップ昇格への可能性が増大するという点です。 発表会場としてプロクラブは多数の観客がいる常設の会場を用意できますが、アマクラブはそのような常設会場を用意できません。 継続先としてプロクラブはユースクラスを用意しているクラブがありますが、アマクラブでは中学生以降もチアをできる環境が整っていません。 トップ昇格を目的とした専門教育がプロクラブでは実施されますが、アマクラブにはプロのトップチームがありません。
発表会場としてプロクラブは多くの観客動員数を見込める会場を用意できます。 キッズチアの価値は発表会における観客動員数に比例します。 キッズチアの親は大観衆の前で輝く我が子を見たいと希望しているため、なるべく大きなステージに立てるクラブを選びます。 プロクラブに所属するキッズチアは、プロスポーツの試合会場という大観衆を期待できる常設発表会場があるため、大きな価値を持ちます。 発表会におけるアマとの観客動員数の違いはチームの人気となって現れ、獲得生徒数や月謝の金額に反映されます。
継続先としてプロクラブは中学生以降もチアを継続できる環境を整えている場合があります。 アマチュアクラブの多くは小学生までしか対応しておらず、中学生以降はチアを諦めざるを得ない状況が多々あります。 一方プロクラブには中学生や高校生のユースクラスを用意しているチームがあります。 そういったユースクラスにより、プロクラブでは中学生以降もチアを続ける事が可能です。 ユースクラスの後はトップ、その後はキッズチア指導者、その後はディレクターと、プロクラブは生涯にわたってチアを続けることができます。
プロクラブはトップチームに必要な人材教育を受ける事ができるため、トップチームへ昇格できる可能性が増えます。 トップチームが必要としている人材を最も確実にかつ安く入手する方法は、自分達で育てる事です。 そのために、プロクラブにおけるユースクラスはトップチームを理想のチア像とした教育が施されます。 このようなトップに特化した教育はプロクラブ独自であり、トップが存在しない他のクラブでは受ける事ができません。 最初からトップの教育を受けているチアは、トップ昇格後の初動が極めて楽であり、オーディションでも有利に働きます。
プロクラブはあらかじめファンからの人気を獲得できるため、トップチームへ昇格できる可能性が増えます。 プロクラブは幼児から高校生までのクラスを用意しており、長く続けているチアは10年近く在籍します。 10年近くも在籍しているチアはファンから認知されており、中にはトップチームのメンバー同様の人気を得ているチアも存在します。 このようなファンからの人気はトップが存在するプロクラブ独自であり、アマチュアクラブでは得る事ができません。 最初からファンの人気を得ているチアは、トップ昇格後の初動が極めて楽であり、オーディションでも有利に働きます。
キッズチアは年齢によりクラスが分類されており、かつ、技術力によりさらに分類される場合があります。 キッズチアのクラスは大きく分けて三つ存在します。一つは幼児クラス、一つは児童クラス、一つはユースクラスです。 幼児クラスは保育園・幼稚園・小学低学年のクラスであり、チアによる体育教育・人間教育が目的です。 児童クラスは小学中学年から小学高学年のクラスであり、チアによる人間教育・チアの技術教育が目的です。 ユースクラスは中学生以上のクラスであり、チアの技術教育だけが目的です。 これら三つだけでなく、さらに上位の、特待生クラスが将来設立されるかもしれません。
幼児クラスは保育園・幼稚園・小学低学年のクラスであり、チアによる体育教育・人間教育を目的としています。 幼児クラスの体育教育とはキッズの体力を作る教育であり、死にやすい時期においては、最優先で取り組まなければなりません。 幼児クラスの人間教育とはキッズと大人との関係を作る教育であり、しつけも含まれます。 幼児クラスにおけるチアは単なる手段に過ぎず、あくまでキッズの体育教育・人間教育が目的です。 幼児クラスへの体育教育と人間教育はキッズの元気と笑顔となり、これこそ親がキッズに最も求めている要素となります。
児童クラスは小学中学年から小学高学年のクラスであり、チアによる人間教育・チアの技術教育が目的です。 児童クラスのキッズは死にやすい時期を過ぎており、体育教育が最優先になる事はありません。 児童クラスにおける最優先は人間教育であり、あいさつ・マナー・友達との関係構築が必要とされます。 人間教育は段階的に終了していき、それに合わせて、チアの技術教育が段階的に増加します。 人間教育の終了によって児童は理性を確立させ、他の勉強や、チアの技術習得にも集中する事ができるようになります。
上位の児童クラスにより、人間教育が早期に終了したキッズは、さらにチアの技術を伸ばす事が可能です。 人間教育の習得には差があり、早期に人間教育を習得したキッズは、練習に集中してチアの技術が伸びるようになります。 チアの技術が伸びたキッズとそうでないキッズを同じクラスで指導する事には、無理が生じます。 そこでチアの技術が伸びたキッズだけを集めた、より高いチア技術を指導するための、上位の児童クラスが必要になります。 上位の児童クラスにオーディションは必須ですが、チア技術よりも、まず人間教育がきちんと修了しているかを確認しなければなりません。
ユースクラスはプロを目指す中学生以上のクラスであり、チアの技術教育だけを目的としています。 ユースクラスのキッズはすでに理性を確立させており、人間教育が最優先になる事はありません。 ユースクラスにおける最優先は技術教育であり、将来プロとしてデビューするための技術構築が必要とされます。 プロとしてデビューするために必要な技術は三つあります。一つは基礎技術、一つは応用技術、一つはファン対応です。 基礎技術はプロに必要なチア技術、応用技術はクラブに必要なチア技術、ファン対応は愛されるために必要なチア技術です。
基礎技術とは、全てのプロチアに共通して必要とされる技術です。 全てのプロが必要とする技術とは、バレエのように普遍的な技術であり、過去のチアも現在のチアも未来のチアも必要とする技術です。 普遍的な技術をユースクラスが必要とする理由は、全てのユースクラス卒業生がトップチームに昇格できるわけではない点にあります。 トップチームに昇格できる卒業生は一部であり、昇格できなかったメンバーは他のチームのトップを目指す可能性があります。 他のチームのトップも目指す場合、オーディションを通過するためにも、全てのプロチアに共通して必要とされる技術の習得が必要です。
応用技術とは、所属するプロチームに必要とされる技術です。 所属するプロチームに必要とされる技術とはチームの個性であり、自チームを他チームと区別するためのアイデンティティです。 チームの個性はプロチームには必ず必要とされます。なぜなら、個性なきチームは注目されず、他チームに埋没するからです。 他チームに埋没しないための個性はチームによって異なり、スタンツであったりラインダンスであったりします。 所属するチームの個性を学ぶ事はチームを学ぶ事であり、将来自分がチームに所属するために必須です。
ファン対応とはファンとのコミュニケーション技術であり、愛されるプロチアに必要とされます。 コミュニケーション技術とは、自分のためのチアからファンのためのチアへの、いわば意識改革です。 意識改革により、親から資金を得て活動しているキッズチアから、ファンから資金を得て活動しているプロチアに進化しなければなりません。 プロチアに進化するには、親離れをし、ファンの目を見ての煽りや色紙へのサインなど、ファンを意識した愛される技術が必要です。 ファンを意識した技術には本番環境が必要であり、ホームゲームでの発表会において、徐々にコミュニケーションを学ぶ事になります。
ユースクラスの人数を増やすには、チア体験ではなく、モテ体験が必要です。 ユースクラスのメンバーは思春期の女の子であり、興味の対象は異性です。 異性にモテる事がユースクラスのメンバーの目的であり、チアはその手段へと変質しています。 モテる事が目的でチアを習っているのに、尼寺のごとく禁欲的なチア生活では、入りたい人は少数です。 ユースクラスのメンバーにファンや同年代のスポーツ選手といった異性を供与し、チアモテ体験を人為的に作り出さなければなりません。
特待生クラスとは、チームとの契約を条件に、無料あるいは格安でレッスンを実施するクラスです。 特待生クラスは育成面がより重視され、試験がさらに難しくなり、発表会はファンに向けた発表会へと変質します。 発表会は特待生クラスにおける特別な発表会だけでなく、トップチームのバックダンサーとして随時出演するかもしれません。 チアの収益がキッズチアから脱却した場合、キッズチアは特待生クラスだけになる可能性があります。 特待生クラスとはキッズチアの最終形態とも言えます。
学生チアとは学校に所属するアマチュアチアリーダーであり、一般的には中学・高校・大学のほとんどのチアリーダーが該当します。 学生チアは年齢によって二つに分けられます。一つは中学・高校の学生チアで、一つは大学の学生チアです。 中学・高校の学生チアは、私立の場合、競技チアに力を入れている点が特徴です。 大学の学生チアにおける、応援団・チア部は応援と競技が中心であり、サークルは発表が中心です。
中学・高校の学生チアとは、中学生・高校生による、学校単位でチームを作るチアリーダーです。 中学・高校における学校は二つの種類が存在します。一つは私立学校で、一つは公立学校です。 私立学校におけるチアは野球部やサッカー部と同等の運動部であり、学校の名声を高めて入学者を増やすために、力を入れて実施されます。 力とは予算であり、外部のチア指導者を招へいしての勝つための指導は、アマチュアクラブに所属するキッズチアと本質的に同じです。 公立学校においても競技チアを実施している学校がありますが、入学者を増やす必要はないため、私立ほど力は入っていません。
大学の学生チアとは、大学生による、学校単位でチームを作るチアリーダーです。 大学におけるチアには二つの種類が存在します。一つは応援団・チア部で、一つはサークルです。 応援団・チア部におけるチアは、外部のチア指導者を招へいしてのチアであり、競技と応援が中心です。 サークルにおけるチアは、学生が自分達だけで練習しているチアであり、ダンスの発表が中心です。
応援団・チア部とは、大学で公式に活動しているチアリーディングクラブです。 公式活動のため、応援団・チア部には大学の予算が付き、外部のチア指導者を招へいしての練習が可能です。 招へいされたチア指導者は主に競技チアを指導します。 応援団は競技・応援の両方を実施しますが、チームによっては、応援活動よりも競技に集中しているチームもあります。 チア部には応援対象がありませんが、その分競技に集中する事が可能です。
サークルとは、大学で非公式に活動しているチアリーディングクラブです。 非公式活動のため、サークルには予算が付かず、外部のチア指導者を招へいしての練習は不可能です。 招へいされたチア指導者がいないため、サークルは自主練習となります。 サークルは趣味としてのチアリーディング活動という意味合いが強く、競技や応援は少数です。 競技や応援の場は少ないのですが、その分自由度があり、ダンスの発表やチアを持たないプロスポーツチームとの連携も可能です。
大人のアマチュアチアリーダーとは、大人向けチア教室に通う成人アマチュアチアリーダーです。 チア教室の多くではレクリエーションとしてのチアが実施され、競技チアが実施される事はありません。 成人アマチアが通うチア教室には二つの種類が存在しています。一つはアマチュアクラブのチア教室で、一つはプロクラブのチア教室です。 アマチュアクラブのチア教室では応援活動を実施する場合もありますが、プロクラブのチア教室では応援活動はなく、 トップのサテライト的意味合いを持つ場合もあります。
アマチュアクラブに所属する大人のアマチュアチアリーダーとは、アマクラブでレクリエーションとしてチアを楽しむ成人アマチアです。 アマチュアクラブで実施されている大人向けチアの活動には二つの種類が存在しています。一つはレクリエーション、一つは応援です。 レクリエーションとは主に美容と健康を目的としたチアであり、自分の子供とのチアを楽しむ教室もあります。 応援とはクラブが提携しているアマチュアスポーツチームの応援活動であり、キッズチアも参加します。 アマクラブに所属する大人のアマチア活動は生涯スポーツの一種であり、趣味として純粋にチアを楽しむ事が可能です。
プロクラブに所属する大人のアマチュアチアリーダーとは、プロクラブでチアを実施する成人アマチアです。 プロクラブで実施されている大人向けチア活動には二つの種類が存在しています。一つはレクリエーション、一つはトップのサテライトです。 レクリエーションとは主に美容と健康を目的としたチアであり、自分の子供とのチアを楽しむ教室もあります。 トップのサテライトとはトップチームのオーディション合格を目的とする、上級者向けの活動です。 プロクラブに所属する大人のアマチアにも発表会はありますが、トップチームが存在するため、応援活動はありません。
アマチュアのチア指導者とは学校の教員であり、チアとしての報酬を得ることなく自発的にチア指導をしているチアリーダーです。 学校の教員とは教師として学校で教鞭をとる先生であり、外部のチア指導者とは異なります。 先生は授業を本業としており、チア指導によって報酬を得ることはありません。 先生によるチア指導は予算に制約のある公立学校などで見られます。 公立学校におけるアマチュアのチア指導者は、競技チアの場において、私立学校よりも負担の多い指導となります。
形式的プロと形式的アマの評価方法は異なっています。 プロは加点方式であり、観客があっと驚く内容を披露しなければなりません。 一方アマは減点方式であり、審査員が期待する内容を披露しなければなりません。
形式的プロと形式的アマの評価の違いとして、プロは観客による加算方式の評価で、アマは審査員による減算方式の評価です。 加算方式の評価とは0点から増えていく評価であり、参加点も得点上限もありません。 加算方式により、プロは参加しただけでは観客から評価されませんが、工夫によって200点でも300点でも上限なく点数を獲得する事ができます。 減算方式の評価とは100点から減っていく評価であり、参加点と得点上限があります。 減算方式により、アマは参加しただけで審査員から評価されますが、どんなに工夫しても100点という上限を超えて点数を獲得する事はできません。
プロは大胆に得点を増やす必要があり、アマは慎重に失点を減らす必要があります。 プロとして得点を増やす手段は二つあります。一つはパフォーマンスでの加点で、一つはパフォーマンス以外での加点です。 パフォーマンスでの加点には大胆さが必要であり、ミスを恐れず、観客の期待を超えるあっと驚く内容で攻めなければなりません。 パフォーマンス以外の加点には工夫が必要であり、地域色のある衣装・アイドル性・好感度の高いファンサービスなど様々です。 アマとして失点を減らすには慎重さが必要であり、ミスを減らし、審査員の期待する内容を期待通りに見せなければなりません。
チアとは戦法の一つであり、観客を先導して試合へ参加させ、数の力で戦いに勝利します。 ただし「戦法の一つ」というチアリーディングへの認識は、プロによるチアリーディングへの個別認識にすぎません。 チアリーディングへの認識は見る人(観測者)によって異なり、観測者は常に二つの認識を持ち合わせます。 一つは個別認識としてのチアリーディングで、一つは共通認識としてのチアリーディングです。 チアリーディングは戦法・演出・教育・エロなど観測者ごとの個別の認識に加え、華やかな応援という共通の認識を持っています。
観測者 | 個別認識 | 共通認識 |
プロチアリーダー | 仕事、演出、戦法 | 華やかな応援 |
キッズチアの両親 | 教育 | 華やかな応援 |
キッズチア | 習い事 | 華やかな応援 |
所属チーム | 演出、戦法 | 華やかな応援 |
選手・監督 | 戦法 | 華やかな応援 |
観客 | 演出、エロ | 華やかな応援 |
チアファン | エロ | 華やかな応援 |
個別認識としてのチアリーディングとは、戦法・演出・教育・エロといった、観測者ごとに異なるチアリーディングへの認識です。 観測者とはチアリーディングに関わる人であり、プロ・キッズ・観客など、それぞれの異なる立場を持っています。 立場が異なればチアリーディングへの関わり方も異なり、それによって、チアリーディングに関する認識も異なってきます。 例えばプロにとってチアリーディングは仕事という認識ですが、ファンにとってチアリーディングはエロという認識です。 チアリーディングは一つですが、観測者の立場というメガネを通すことにより、見える姿が6種類に変化します。
仕事としてのチアリーディングとは、チアリーディングは報酬を得るための手段の一つという認識です。 報酬をチアリーディングで得ているという事は、その人は形式的プロチアリーダーである事を意味します。 プロチアリーダーの報酬とは現金であり、無報酬のアマチュアチアリーダーとは違って、責任が発生します。 責任に応分する成果を発揮する事はプロチアの義務であり、それゆえのプロフェッショナルです。 プロフェッショナルとしてチア活動で報酬を得る行動により、チアリーディングは仕事であると認識されます。
演出としてのチアリーディングとは、チアリーディングは試合会場に華やかさをもたらすための手段の一つという認識です。 スポーツが実施される試合会場には、通常、女性的・男性的な華やかさはほとんどありません。 華やかさの欠如は女子スポーツであっても同様です。というのも、全ての選手は勝つ事が目的であり、華やかさを考慮していないからです。 そこで、会場を女性的・男性的な華やかさで彩るために、チアリーディングが用いられます。 華やかさで彩られた会場は、スポーツをより大衆化させ、集客につながります。
戦法としてのチアリーディングとは、選手以外の人々を先導して間接的に戦いへ参加させ、試合に勝利する戦法の一つという認識です。 チアリーディング(英:cheerleading)という単語は二つに分解できます。一つはチア(cheer)、一つはリーディング(leading)です。 チアとは応援であり、戦いへの間接的な参加を意味します。リーディングとは先導であり、戦いへの誘導を意味します。 チアリーディングによって、試合の参加人数を超えて戦いに人を送り込み、有利な状況を作る事が可能です。 有利な状況は、選手・観客・チアを一体として間接的に試合へ参加させ、数の力によって戦いに勝利します。
戦いに勝利する戦法とは勝つための手段であり、試合で使用される作戦と本質的に同じです。 試合で使用される作戦として、例えばサッカーのオフサイドトラップやバスケのセットオフェンスなどが存在します。 これらの作戦は、人為的手段を使用して、自チームに有利な状況を作り出すための手段です。 有利な状況を人為的に作るという意味においては、チアリーディングも試合で使用される作戦の一つと言えます。 作戦の一つとして試合に参加し、一体感を作ってチームを勝利に導くという認識は、チアリーディングが本来持っている原義的な認識です。
教育としてのチアリーディングとは、チアリーディングは子供が受けるべき教育の一つであるという認識です。 教育として親がチアリーディングに期待する要素は三つあります。一つは体育教育、一つは人間教育、一つは技術教育です。 体育教育とは子の健康促進であり、死なない丈夫な体を作り、健康な人間として生きていくために必要な教育です。 人間教育とはしつけであり、礼儀・身の回りの整理・年少に対するお世話など、文明的な人間として生きていくために必要な教育です。 技術教育とはチアの基礎であり、健康な体作りからオーディション対策まで、チアリーダーとして生きていくために必要な教育です。 チアリーディングには人間を向上させる価値があり、その価値が教育として認識されます。
キッズチアには教育が必要であり、訓練は後でも遅くありません。 教育と訓練は明確に分離される必要があります。 教育は古めかしい技術の習得に終始しますが、それらは普遍性があり、陳腐化することはありません。 訓練は最新の技術を習得できますが、最新の技術は別の最新の技術により、すぐに陳腐化します。
教育とは長い時間をかけて役立つ汎用的スキルの獲得手段であり、キッズチアが必要とします。 汎用的スキルとはプロチアとして直接役に立たないスキルを意味しており、二つの種類があります。一つは基礎で、一つは教養です。 基礎とは人として・チアとして・プロとして必要な基本であり、一人前の大人のプロチアになるために必要とします。 教養とはチアの幅を広げる知識や技術であり、他のチアと差を付け、プロとして生き残るために必要とします。 教育は、基礎が確立されて英語も日舞もこなすような、真っ白だが成人した人間を作る事が目的です。
訓練とは短い時間で役立つ専門的スキルの獲得手段であり、プロチアが必要とします。 専門的スキルとはプロチアとして直接役に立つ最新スキルを意味しており、二つの種類があります。一つは技術で、一つは体力です。 技術とはプロに必要な応用技術であり、よりキレのあるダンスのテクニックやより美しく見えるメイクのテクニックです。 体力とはプロに必要な体作りであり、より持久力のある体を作るテクニックやより早く動ける敏捷性のテクニックです。 訓練はホームゲームで直ちに活躍できる人間を作る事が目的です。
プロチアが教育を希望する場合、各自で受講する必要があります。 プロチアの教育もキッズチア同様に二つの種類があります。一つは基礎で、一つは教養です。 プロチアの基礎とはNBAチアのようにレベルの高い基礎であり、海外や有名インストラクターからの教育が必要です。 プロチアの教養は哲学・芸術・語学・チア以外のダンスなど多様であり、図書館・美術館・語学教室・ダンス教室での教育が必要です。 プロチアの練習とは訓練であり、普段の練習で教育が実施される事は通常ありません。
キッズチアが訓練を希望する場合、上位のキッズチアクラスに合格する必要があります。 上位のキッズチアクラスとは、受講にオーディションが必要な、経験者向けの高等キッズチアクラスです。 オーディションによってキッズチアがある程度の教育を受けていると確認できれば、練習に訓練の要素があっても良いかもしれません。 ただ、教育を受けていると確認できないキッズチアに訓練を実施すると、小手先の技術しかないチアが完成してしまいます。 キッズチアの練習とは教育であり、キッズチアが訓練を希望しても、オーディションに合格しない限り実施される事は通常ありません。
習い事としてのチアリーディングとは、チアリーディングは自己研鑽(じこけんさん)の一つであるという認識です。 自己研鑽とは自分を磨くための自発的な努力であり、自分の意志で目的を持ってがんばる事を意味します。 自分の意志が習い事に存在しなければ、それは親や他人からの強制であり、長続きしません。 目的が習い事に存在しなければ、友達とおしゃべりばかりするようになり、上達しない事でしょう。 賢く美しいチアリーダーになりたいという強い意志を持ち、積極的に学ぶ取り組みが、習い事として認識されます。
エロとしてのチアリーディングとは、チアリーディングは性の対象の一つであるという認識です。 性の対象とは異性として愛するという意味であり、この場合の愛と性に本質的な違いはありません。 愛と性が同じであるのならば、性的である方がより異性に愛される事になります。 異性からの愛はチアリーディングを極めて有利に導きます。なぜなら、愛は長所を伸ばし短所を隠すからです。 異性からの愛をより多く獲得し、チアリーディングをより有利に導く手法が、エロとしての認識に必要です。
エロとしての認識は、観客に男性が多ければレースクイーンのように多くなり、観客に女性が多ければ花嫁のように少なくなります。 チアを鑑賞する観客には二つの性別があります。一つは男性で、一つは女性です。 男性が観客に多い場合、チアの肌の露出は多くなります。なぜなら、男性は女性の肌を好むからです。 女性が観客に多い場合、チアの肌の露出は少なくなります。なぜなら、女性は女性の肌をたいして好まないからです。 チアの肌と布の比率は、観客の男性と女性の比率と同じであると考えても良いでしょう。
共通認識としてのチアリーディングとは、華やかな応援という、全ての人が持つチアリーディングへの認識です。 華やかな応援という認識は二つに分解できます。一つは華やかであるという認識、一つは応援であるという認識です。 華やかとは人間としての本質的な美を保持している状態であり、品位・知性・女性や男性の美という認識です。 応援とは間接的な戦力としての試合への参加であり、献身・意志・忍耐という認識です。 人間としての美しさを持ち、戦力として試合会場に存在しているという認識が、人々のチアリーディングに関する共通認識です。
チアファンはチアを愛してくれるため、重要です。 愛には二つの種類があります。一つは無償の愛で、一つは有償の愛です。 無償の愛とはチアへの金を伴わない精神的サポートです。 有償の愛とはチアへの金を伴う金銭的・物的サポートです。 ファンとはチアを物心両面でサポートしてくれる存在であり、ファンなしのプロチアは存続できません。
無償の愛とはチアへの金を伴わない精神的サポートであり、有償の愛よりも重要です。 無償の愛には二つの種類があります。一つは言葉による愛で、一つは行動による愛です。 言葉による無償の愛とは、愛してるとの言葉・怪我の気づかい・パフォーマンスの賛美といった、気持ちによるサポートです。 行動による無償の愛とは、応援への参加・声出し・チアを宣伝するための行動といった、行動を伴うサポートです。 ファンの気持ちや行動がなければ、いくら金を積まれても、チアを存続させる事は難しいでしょう。
有償の愛とはチアへの金を伴うサポートであり、チアの現実的な活動に必要です。 有償の愛には二つの種類があります。一つは間接的サポートで、一つは直接的サポートです。 間接的サポートとはチアに対する目に見えないサポートであり、チームからの資金獲得・スポンサーの獲得という効果があります。 直接的サポートとはチアに対する目に見えるサポートであり、プレゼントの獲得・チアグッズやチケットの販売という効果があります。 チアファンからはキッズチアのような直接的現金収入はほとんどありませんが、多くの間接的現金収入を期待できます。
チアファンによる間接的サポートの獲得は、目に見えずわかりづらいものの、その影響は甚大です。 チアファンからは間接的に二つの資金源を獲得できます。一つは所属チームという資金源、一つはスポンサーという資金源です。 所属チームはチア人気による勝利や集客を期待しており、それが実現できるのならば、資金を得る事が可能です。 スポンサーはチア人気によるイメージアップや露出を期待しており、それが実現できるのならば、資金を得る事が可能です。 チアファンによる目に見えない間接的サポートの影響は大きく、チアファンが多ければ、多くの間接的現金収入を獲得できます。
チアファンによる直接的サポートの獲得は、目に見えてわかりやすいものの、その影響は軽微です。 チアファンからは直接的に二つのサポートを獲得できます。一つはプレゼントの獲得、一つは資金源としてのサポートの獲得です。 プレゼントは最も印象に残るファンからのサポートであり、飲食物・写真・その他形に残る物品を得る事が可能です。 資金源としてのサポートはチアグッズやチアによる企画チケットの販売であり、チアとして現金を得る事が可能です。 チアファンによる目に見える直接的サポートはわかりやすいのですが、獲得可能な現金収入は多くありません。
チアは目に見えない間接的サポートに留意する必要があります。 サポートは支配と言い換えることが可能であり、人は常に二つの支配を受けています。一つは直接的支配で、一つは間接的支配です。 直接的支配は人が出し入れする金から発生する支配で、目で見ることが可能であり、わかりやすい支配です。 間接的支配は法・倫理・尊敬・序列といった影響力から発生する支配で、目で見ることは不可能であり、わかりにくい支配です。 人の支配のほとんどは間接的であり、目の前の金という直接的支配に気を取られると、間接的に巨額の損失を被る可能性があります。
チアに必要な知性とは英語と哲学です。 チアにも知性が必要とされます。 知性とは学問と教養の総称であり、学問としての英語と教養としての哲学が必要です。 知性あるチアは、自らの美と体力が衰えても、監督や講師としてチアを継続する事が可能です。
知性として、チアを知るために英語を必要とし、チアを考えるために哲学を必要とします。 知性は二つの要素で構成されます。一つは学問で、一つは教養です。 学問とは知識であり、空から降ってくる水を雨と認識させる存在です。 教養とは知恵であり、空から降ってくる水に対して傘を開かせる存在です。 チアは学問である英語によってチアを知り、教養である哲学によってチアを考えます。
英語がチアの学問として必要です。 チアが英語を必要とする理由は二つあります。一つはチアの源流がアメリカにある点、一つはその汎用性です。 アメリカ発祥の文化であるチアは、共通言語として英語を使用します。 英語を理解していれば世界各国のチアとのコミュニケーションが可能であり、ダンスの歌詞や資料も理解できる事でしょう。 英語の汎用性は極めて高く、学校の勉強やチア引退後の進路においても十分役立ち、英語キッズチア教室も開催可能です。 チアに関連付けて英語を学べば、チアも英語もより楽しくなる事でしょう。
英語をすでに習得している人にはラテン語の学習が推奨されます。 ラテン語とは古代のヨーロッパで広く使用されていた言語で、英語の本質を学習するには最適です。 例えば英語のdoctorには医者と教授という意味がありますが、これはラテン語のdocによる「教える」という意味から派生しています。 docの本質を知っていれば、doctrine(教義)など、日本語を暗記していなくても英語の意味をある程度理解する事が可能です。 ラテン語は英語圏に住む人間の教養であり、ラテン語を学習する事によって、英語圏をより深く知る事ができます。
哲学がチアの教養として必要です。 哲学とは物事の本質を考える力を意味し、大学で勉強するような哲学科目を意味してはいません。 物事の本質とは普遍的な真理であり、考える力とは「なぜ?」という疑問を追求する力です。 例えば単純に腕を上に上げる練習であっても、哲学の教養を持ったチアは「なぜ腕を上げるのか」という疑問を追求し、 そこに「美」や「注意喚起」といった真理を発見します。 普遍的な真理を見出したチアは、その本質を「足を上げる」といった別の表現でも応用できます。
哲学を理解していれば、迷う心がなくなります。 哲学の理解は物事に二つの要素を見出します。一つは目的で、一つは手段です。 目的とは達成しなければならない課題であり、手段とは目的を達成するための方法です。 目的が観客の注意喚起の場合、腕より足を上げた方がより注意を引けるのであれば、哲学的チアは迷うことなく手段を足に変更します。 哲学的チアの目的は堅固ですが、手段は柔軟であるため、目的完遂のためのやり方に迷うことはありません。
哲学は練習で身に付ける事ができます。 言われた練習だけを言われただけ実施し、見た目だけ真似をしても、年少のキッズチアならば問題がありません。 なぜなら、キッズチアは人間教育や基礎的技術の習得の方が哲学よりも重要だからです。 一方プロにとって練習は手段に過ぎず、その目的を常に考えなければなりません。 練習の目的を理解していれば、試合において状況が移り変わっても、柔軟に対応する事が可能です。
知性は、チアディレクターやインストラクターなど、より上位のチアになるために必ず必要です。 チアは美や体力を誇りますが、引退し、それらが衰えた後は何が残るのでしょうか。 チアの知性は引退後も衰える事はなく、チアディレクターやインストラクターなど、より上位のチアとして輝く事ができます。
チアの美や体力は衰えますが、チアの知性は衰えません。 美や体力を保つために人間は1秒間に100万回の細胞分裂を繰り返しますが、細胞分裂の回数は、バスの回数券のように限りがあります。 回数券を使用する度に細胞は老化し、回数券がなくなると、細胞分裂ができなくなって人間は死にます。 老化による死は美や体力も例外ではなく、むしろ、それらは真っ先に死んでいきます。 死は脳に依存する知性であっても免れ得ませんが、その衰える速度は美や体力よりも緩やかです。
知性がなければ美や体力が衰えた引退後に困ります。 引退は避ける事ができない運命であり、全ての人間が必ず死ぬように、全てのチアは必ず引退します。 引退時において美や体力が自慢のチアが、美や体力を失っていた場合、一体何が残るのでしょうか。 美や体力が残っている間に男性を捕まえていれば延命できるでしょうが、美や体力だけの女性では、捕まえた男性が苦労する事でしょう。 苦労するのはチア自身も同じですが、知性があればチアディレクターやインストラクターとしてチアを継続できる可能性があり、チア以外でも生きて行けます。
ダンスとは体を使った芸術であり、絵画・音楽・小説など、他の芸術と本質的に同じです。 芸術とは感動を生むための手段であり、二つの特徴を持っています。一つはメッセージ性で、一つは双方向性です。 メッセージ性とは主張であり、メッセージ性のないダンスはキビキビ動くだけの空虚なロボットダンスとなります。 双方向性とは鑑賞者による作品への参加であり、双方向性のないダンスは見てるだけのすぐ飽きるダンスとなります。 体を使って鑑賞者にメッセージを送り、手拍子などでパフォーマンスに参加させる事によって、ダンスは感動を伴う芸術となり得ます。
ダンスは芸術の一つです。 芸術には絵画・音楽・小説・歌・彫刻などがあり、ダンスもその一つとして数えられます。 この場合のダンスとはチアダンス・ヒップホップ・ストリップ等全てのダンスであり、バレエや日舞にとどまりません。 ミニスカートで踊るチアダンスであっても、ピカソ・ベートーヴェン・ヘミングウェイと匹敵する芸術となり得ます。 なぜなら、芸術は感動を生むための手段に過ぎず、チアダンス・ゲルニカ・第五交響曲・武器よさらばは感動の前には全て同価だからです。
芸術の一つとしてのダンスには、他の芸術と同じく、メッセージ性と双方向性が必ず含まれます。 メッセージ性とはチアディレクターやチアの芸術家としての主張であり、鑑賞者に伝えなければならないテーマです。 双方向性とは鑑賞者による作品への参加であり、作品に対する鑑賞者の能動的な応答です。 芸術による主張とその応答は、芸術家と鑑賞者との作品を通じた会話であり、時・場所・言語を超越したコミュニケーションです。 芸術家の主張と鑑賞者の応答からなるコミュニケーションが芸術的手法であり、この手法を取り入れたダンスもまた芸術です。
メッセージ性と双方向性を持つダンスは、芸術的手段となり、鑑賞者に感動を与えます。 ダンスのメッセージは絵画と似ており、芸術家の体を通した主張は歌や写真のように現実的ではなく、より抽象的で高度なメッセージです。 ダンスの双方向性は軽音楽と似ており、手拍子を使った応答にクラシック音楽のような堅苦しさはなく、より軽快で能動的な双方向性です。 抽象度の高さは芸術や数学におけるレベルの高さである一方、能動的な軽快さはその敷居を低くしています。 芸術的手段としてのダンスは、高度な芸術を低い敷居で提供する事が可能であり、老若男女を問わずに鑑賞者を感動させます。
感動は、チアが観客を動かし、観客もチアを動かした時に増幅します。 チアはダンスによって観客にメッセージを発信し、そのメッセージを受け取った観客は手拍子や声援で応答します。 また観客はスイッチャーによってチアにメッセージを発信し、そのメッセージを受け取ったチアはダンスで応答します。 スイッチャーとは試合中にチアが踊るダンスの曲出しをする人であり、観客の空気を読んでチアが踊るダンスを選びます。 チアと観客が互いにメッセージの発信と応答を繰り返す様子は、まるで異性との楽しい会話であり、チアの芸術を増幅させます。
芸術としてのダンスが、技術や体術と比較して、低く見られていないかが心配です。 例えばオーディションにおいて、メッセージ性を持った難解なダンスや双方向性を持ったファン参加型の簡単なダンスは、評価されるでしょうか。 技術だけでメッセージ性がなければ、何が言いたいのかわからず、カクカク動いたりキビキビ止まったりするだけの産業ロボットにすぎません。 体術だけで双方向性がなければ、ファンが参加できず、高く飛んだり激しく回ったりするだけのサーカスにすぎません。 「キレッキレ」「空中大回転」といったすぐ飽きる子供向けダンスよりも、何度も見に来たくなる芸術的ダンスがプロには必要です。
ダンスと歌は異なります。ダンスは感情を抽象化した表現であり、歌は感情を言語化した表現です。 ダンスはいわば肖像画で、歌はいわば人物写真と言えます。 素晴らしい肖像画は芸術家が感じたモデルの良さが抽象化されて表現されています。 抽象化とは必要な部分のみを残し、不必要な部分は切り捨てるという作業です。 この作業によって、歌では単なる「愛してる」であっても、ダンスでは芸術家の感情がより濃縮された愛の表現となります。
良きパフォーマンスとは生に通じるパフォーマンスです。 生に通じるパフォーマンスとは主題に命を感じさせるパフォーマンスを意味します。 例えば、誕生・成長・冒険・愛・夢・結婚・絆・未来・郷愁が主題のパフォーマンスは命を感じさせます。 一方、死・停滞・保身・憎悪・現実・離別・孤独・絶望・忘却が主題のパフォーマンスは命を感じさせません。 良き主題が命であるという認識はニーチェやウォルト・ディズニーでも共通しており、チアパフォーマンスの主題としても最適です【注】。
超訳ニーチェの言葉,白取春彦,ディスカヴァー21。全て良いものは、生きることを促す。
9割がバイトでも最高の感動が生まれるディズニーのホスピタリティ,福島文二郎,KADOKAWA。 ディズニーのテーマとは無垢な心や好奇心をくすぐることである。
チアの新しいアイディアはチア以外にあり、チアにはありません。 チアの新しいアイディアとはチアのちょっとした非常識であり、チア以外の何かに存在します。 チア以外の何かとは友人との会話・映画・テレビ・本・インターネットなど、チア以外に体験する全てです。 チア以外の体験を布団・風呂・トイレ・電車の中でチアとくっつけた時、それはちょっとした非常識となり、新しいアイディアとなります。 新しいアイディアは他のチアの中にもあるかもしれませんが、そのアイディアは既にチアの常識であり、ちょっとした非常識とはなりません。
チアのちょっとした非常識を知るには、チアの常識を知っておかなければなりません。 チアの常識を知らずに非常識を知ろうとすると、チアの単なる非常識となり、チアを大きく逸脱してしまいます。 チアの常識とはチアの根本的な知識や技術といった基礎であり、基礎ができていない中での応用は危険です。 例えば、基礎ができているからこそ、一見すると乱雑に見える岡本太郎の作品であっても芸術の範囲を逸脱しません。 チアの範囲を逸脱しないためにはチアの常識が必要であり、チアのちょっとした非常識かチアの単なる非常識かを見極める役割を果たします。
チアのちょっとした非常識は、チアとチア以外の体験をくっつけた時に発生します。 チア以外の体験とはチア以外の生活における全てであり、朝の歯磨き・友人との会話・映画・テレビ・本・インターネット・就寝などです。 チア以外の生活全てで24時間チアを頭の片隅に入れておくと、印象に残る何かを見聞きする事になります。 印象に残る何かとはチアとは無関係な何かであり、メタル・ナース・制服・遺跡・ファッションなど曖昧な存在です。 無関係で曖昧な存在にチアと何らかの接点を見出した時、それはチアのちょっとした非常識となり、新しいアイディアと呼ばれます。
チアとチア以外の体験は、布団の中・風呂やトイレの中・電車の中でよくくっつきます。 布団・風呂・トイレでチアとチア以外の体験がくっつき、ちょっとした非常識として、新しいアイディアが生まれる根拠は三上の説(さんじょうのせつ)にあります。 三上の説とはアイディアが出やすい場所を説明する中国の古い言葉であり、馬上・枕上(ちんじょう)・厠上(しじょう)の三つを意味します。 馬上とは馬に乗っている時、枕上とは布団の中に入っている時、厠上とはトイレの中にいる時です。 三上を現代風にすると、新しいアイディアが出る場所は、車や電車の中・布団の中・風呂やトイレの中におけるリラックス中となります。
チア以外の体験をくっつけるには、テトリスのように、回したり逆さまにしたりする必要があります。 チア以外の体験は、印象に残る何かですが、チアとは完全に無関係な何かです。 チアとは完全に無関係な何かがそのままチアと組み合う事は、多くの場合ありません。 ただそのまま組み合う事はできなくても、テトリスのように右や左に回したり逆さまにする事によって、組み合う事があります【注】。 例えば、チアにアイドルのようなマイクを持たせることは不可能でも、背番号によってアイドル性を持たせることは可能です。
チア以外の体験から新しいアイディアが生まれるのであって、チアの体験からは新しいアイディアは生まれません。 チアの体験とはチアについて活動している時間であり、練習中・本番中・他のチアを見学中などが該当します。 チアについて活動していても、印象に残る何かを見聞きするかもしれませんが、多くの場合それは誰かが使ったアイディアです。 誰かが使ったアイディアはチアと簡単にくっつきますが、それは新しいアイディアとは呼べません。 新しいアイディアを得るには、スタジオを飛び出し、試合に背を向け、チアなど一人もいない場所へ出かける必要があります。
チアの新しいアイディアを生むには時間が必要です。 時間があるから新しいアイディアが出るとは限りませんが、時間がなければ新しいアイディアは出ません。 新しいアイディアの集合体とは文明であり、哲学・科学・医学といった初期の文明は、時間の余裕から生まれました。 これらの文明はギリシアで生まれましたが、ギリシアの特産であるオリーブは楽に育つ植物であり、当時のギリシア人は時間が余ったのです。 時間が余らず、ギリギリの仕事や勉強をしていれば、新しいアイディアを生む環境は整いません。
僕がバナナを売って算数ドリルをつくるワケ,天野春果,小学館。 無関係な事象や危機であっても、テトリス的な発想で回転させたり向きを変える事によって、有益に変換できる。
チアスタイルとはチアリーディングにおける思想です。 チアには二つのスタイルがあります。一つはクラシックチアで、一つはモダンチアです。 クラシックチアは伝統を重視したチアリーディングで、バレエならばクラシックバレエに該当します。 モダンチアは現代的に進化したチアリーディングで、バレエならばモダンバレエに該当します。 チアスタイルは指導者のチアリーディングに関する考え方や理想と言えます。
クラシックチアとは伝統的なチアスタイルであり、チームみんなで一つの個性を作る点が特徴です。 チームで作る個性には爆発力があり、競技における審査員へのアピールに最適です。
クラシックチアとはアメリカンスタイルの伝統的なチアです。 アメリカンスタイルの特徴は三つあります。一つは統制、一つはポンダンス、一つはスタンツです。 統制とは、全員がユニフォームと髪型を統一して個人の個性を消し、チームで一つの個性を作る事を意味します。 ポンダンスとはポンポンを使った一般的なチアダンスです。 スタンツとは組体操であり、アクロバットもここに含まれます。
クラシックチアは長所としてチーム力の強さがありますが、短所として多様性の乏しさがあります。 チーム力の強さとは団結力であり、個人の個性を消して、チームで一つの個性を作るために一致団結する力です。 多様性の乏しさとは個性の少なさに起因する全滅の危機です。例えば全員がロングヘアの場合、ショートが好みの人からは好かれません。 クラシックチアはチア全員が一つになって一つの個性を作るため、そのパワーはとても大きくなって発揮されるものの、 一つしかない個性は簡単に飽きられて全滅する危険性があります。
クラシックチアの魅力は競技に向いています。 クラシックチアは、みんなの力を一つに合わせる事によって、爆発力のあるパフォーマンスを見せる事が可能です。 この爆発力は、審査員のような、短時間かつ少人数へのアピールに適しています。最高の爆発力は、一曲だけで十分です。 一方爆発力は、スポーツ観戦客のような、長時間かつ多人数へのアピールには不適です。最高の爆発力であっても、一曲だけでは持ちません。 クラシックチアに個人の個性はありませんが、その分チームの個性を爆発させる事が可能であり、その爆発は競技で良い結果をもたらします。
モダンチアとは現代的なチアスタイルであり、チア一人一人の個性が強調される点が特徴です。 一人一人の個性は多様性を生み、試合における観客へのアピールに最適です。
モダンチアとは現代的に進化したチアです。 現代的な要素の特徴は三つあります。一つは個人の個性、一つは多様なエンターテイメント、一つはテーマです。 個人の個性とは、メンバー毎にユニフォームや髪型を変え、メンバー一人一人の個性を主張する事を意味します。 多様なエンターテイメントとは、歌やバトンといった、ポンポンにこだわらない演技です。 テーマとはチアの持っている世界観であり、和や海賊など所属スポーツチームの世界観と共通している場合が多く見られます。
モダンチアは長所として多様性の豊富さがありますが、短所としてチーム力の脆弱さがあります。 多様性の豊富さとは個性の多さに起因する生存確率の高さです。 例えば髪型がバラバラの場合、ロングが好きな人からもショートが好きな人からも好かれます。 チーム力の脆弱さとは団結力の弱さであり、多数の個性が協力して一つの個性を作ることは困難です。 モダンチアは個人の魅力で多様なファンを惹きつけるため、全滅の危険性は少ないものの、チームとしてのパワーは限定的です。
モダンチアの魅力は応援に向いています。 モダンチアは、バラバラの個性を一つに集合させる事によって、多くの人達からの人気を得る事が可能です。 バラバラの個性は、スポーツ観戦客のような、長時間かつ多人数へのアピールに適しています。客の好みもバラバラだからです。 一方バラバラの個性は、審査員のような、短時間かつ少人数へのアピールには不適です。一つの個性で爆発し、集中する必要があるからです。 モダンチアにチームとしての爆発力はありませんが、その分個人の個性が輝いており、その輝きは試合の応援で良い結果をもたらします。
チアとは元々表情を意味する言葉であるため、チアの表情は重要です。 cheerとは中期英語であり、古期フランス語で顔を意味するchiere、ラテン語(イタリア)のcara、ギリシア語で頭を意味するkaraが語源です。 元々の頭・顔という意味が転じて「表情・雰囲気」という意味になり、後期は「良い雰囲気」という意味になりました。 「良い雰囲気」こそ語源的なチアであり、そのためには顔で作る表情が必要です。 表情として笑顔が重要であるとキッズチアでは習いますが、その理由は、紀元前3,000年ごろのギリシアまでさかのぼります。
チアが複数の衣装を必要とする理由は、男性が多くの女性を求めるゆえ、着替えによって多くの女性に生まれ変わるためです。 男性が多くの女性を求める理由は、男性の脳の構造に由来します。 人類は地球に誕生してからほとんどの時間を一夫多妻制で過ごしており、男性は多くの女性を愛する事を本能としています【注】。 その本能を満たすため、チアは新しい衣装を着て新しい女性に生まれ変わります。 男性は衣装そのものが目当てではないため、髪型・メイク・衣装の組み合わせにより、安価に新しい女性に生まれ変わる事が可能です。
チアが複数の衣装を必要とする科学的理由は、男性の脳は変化がないと刺激を感じないためです。 男性は多くの子孫を残すために、多くの女性を愛する事を好みます。 19万5千年におよぶ人類の歴史におけるほとんど時間は一夫多妻制であり、日本においても、大奥という形で江戸時代まで続いていました。 男性が多くの女性を愛する事は長い歴史を持つ本能であり、その本能を満たすためには、チアの数は少なすぎます。 そこでチアは複数の衣装に着替える事によって別の女性となり、擬似的に数を増やすことによって、男性の脳に刺激を与えるのです。
複数の衣装を用意できない場合、髪型やメイクを変えることにより同じ効果を得る事が可能です。 男性が新しい衣装を望んでいるのではなく、新しい女性を望んでいるのであれば、もっと安価な方法で新しい女性を供給すれば良いだけです。 新しい女性を供給する安価な方法は二つあります。一つは髪型の変更で、一つはメイクの変更です。 髪型として、単純に結んだりほどいたりするだけで、男性が望んでいる新しい女性を供給できます。 メイクはある程度の手間が必要ですが、子供っぽくも大人っぽくもなり、新しい印象を与える事が可能です。 髪型とメイクは衣装と同じ効果があるだけでなく、組み合わせによって種類がさらに積算されます。
チアのテーマが決まっている場合、衣装の組み合わせを変更する事によって、複数の衣装と同じ効果を得ているチームもあります。 チームが何らかのテーマを持っている場合、チアの衣装もそのテーマに従ってイメージが統一されている場合があります。 例えば京都には和のイメージで統一されているチアチームがあります。 全ての衣装においてイメージが統一されている場合、新しい衣装と数年前の衣装を組み合わせても、違和感はありません。 特に上下がセパレートになっている衣装は組み合わせを作りやすく、複数の衣装と同じ効果を安価に得る事が可能です。
話を聞かない男、地図が読めない女,アーラン・ピーズ、バーバラ・ピーズ,主婦の友社。 男の脳は変化がないと刺激を感じないため、たくさんの衣装を必要とする。これは一夫多妻制の名残である。
チアの移籍は肯定されます。チアもスポーツ選手であり、移籍する権利があるからです。 ただ、チアの移籍が少々の心情的な複雑さをもたらす事は避けられません。 これには「女性は愛を重視する」という固定概念が関係しているのかもしれません。
移籍に関する権利はチアも保有しています。なぜなら、チアもスポーツ選手であり、プロ野球選手などと同様だからです。 スポーツチームに所属するチアは、チームに所属するスポーツ選手の一員であり、チームの嫁ではありません。 嫁ならばチームに一生添い遂げる必要があるかも知れませんが、スポーツ選手ならばその必要はありません。 スポーツ選手に実力があれば、相応の条件や自分にあったチームへ移籍するのは当たり前です。 スポーツ選手として実力を持つチアの移籍は当然であり、他のチームを経験した後、また戻ってくる可能性もある事でしょう。
チアの移籍は肯定されますが、心情的な複雑さはどうしてもあります。 心情的な複雑さは応援対象を変更する事に起因し、チア本人とその周囲に否定的感情を発生させます。 チア本人の否定的感情とは、今まで応援してきたチームにブーイングを行ったり、 今までブーイングを行ってきたチームを応援する事による否定的感情です。 周囲の否定的感情とは、移籍は裏切りに見えるという否定的感情です。 ただこのような否定的感情は選手の移籍でも全く同じであり、特別ではありません。
チアの移籍を否定する背景には、女性として愛を重視するゆえの事情があるのではないでしょうか。 愛を重視する関係である夫婦において、例えば芸能人が離婚する場合、その評価は夫と嫁で異なります。 夫が原因で離婚する場合、世間の反応は理性的であり、浮気者程度で大きなニュースになる事はありません。 嫁が原因で離婚する場合、世間の反応はヒステリックであり、鬼女として大きなニュースになります。 夫と嫁の評価の違いには「女性は愛を重視しなければならない」という背景があり、それがチアの移籍を否定的にしているのかもしれません。
エースとはチームで最も輝いているチアです。 エースは人気も実力も持っている存在であり、チア全員を知らなくても、エースだけは知っているという人が多数存在します。 ただエースに依存したチーム作りは危険が伴い、エースが怪我等で離脱した場合、チームのパフォーマンスは大きく減少します。
エースは人気と実力を兼ね備えたチアリーダーです。 人気とはチアの総合評価であり、人間性・かわいさ・プロポーション・実力が含まれます。 実力とはチアの技術評価であり、芸術性・ダンスの技術・煽りが含まれます。 これらの人気と実力を合算した値が最も高いチアがエースです。 エースはチームで最も輝いている存在であり、静動両方のパフォーマンスにおいて重要な役割を果たします。
エースが重要な理由は、多くの人にとってチームとエースは同じ存在である点にあります。 存在とは知名度であり、チームには三つの段階の知名度があります。 第一段階はチーム名だけを知っている段階、第二段階はエースだけを知っている段階、第三段階はチームを詳しく知っている段階です。 これらのうち最も重要な段階は第二段階であり、アイドルグループは知っていても構成員はセンターの子しか知らなかったり、 国名は知っていても国民は国家元首しか知らなかったりします。 エースとはチームの顔であり、知名度のほとんどを占めています。
エースの効果は、エースのパフォーマンスがチームのパフォーマンスであると錯覚させる点にあります。 エースが目立つ場所で活躍する事によって、エースの良好なパフォーマンスが、チームの良好なパフォーマンスであると観客に伝わります。 エースが目立つ場所は二箇所あります。一つはダンスで、一つは儀式です。 ダンスにおける目立つ箇所とはセンターであり、最も重要なタイミングでエースが中心に位置する事によって、チームの良好さをアピールします。 儀式における目立つ箇所とはプレゼンターであり、表彰式等で観客の視線を集める事によって、チームの良好さをアピールします。
エースの弱点は、離脱時にチームのパフォーマンスが大きく減少する点にあります。 エースの効果は大きく、エースが目立てばチームのパフォーマンスはエースのパフォーマンスにまで引き上げられます。 ただエースも人間であり、筋肉を使ってパフォーマンスを実施している以上、疲労や怪我は避けられません。 疲労や怪我はエースの酷使によって発生し、エースの離脱につながります。 エースが離脱した場合、エースに依存したチームはエースの貢献度に比例してチーム力を減少させ、致命的な結果になりかねません。
現役チアは恋愛禁止、卒業チアは恋愛解禁です。 この場合の恋愛禁止・恋愛解禁とは、恋愛の実態ではなく、恋愛の公表を意味します。 現役チアが恋愛禁止である理由は、未婚女性が男性に恋愛事情を公表しても、逃げられるだけで得する事が一つもないからです。 卒業チアが恋愛解禁である理由は、チアが結婚に有利に働くとキッズチアの両親へアピールするためです。 例えば卒業チアが有名スポーツ選手と結婚したと知れば、両親は卒業チアに娘の将来を重ね、チアに対してより積極的となる事でしょう。
黒髪には純潔の意味があるため、男性から高い人気があります。 純潔とは潔白・ピュア・清潔・若さ・かわいらしさであり、その象徴がウェディングドレスです。 ウェディングドレスを着た潔白でピュアで清潔で若くてかわいらしい女性が、男性に奉仕するという意味が黒髪にはあります。 男性は若くてかわいく誰のものでもない女性が大好きなので、黒髪チアは人気を獲得できるのです。 黒髪は純白のウェディングドレスと全く同じであり、茶色のウェディングドレスだと男性はガッカリします。
オーディションとして、人材を期待する場合は非公開が推奨され、話題性を期待する場合は公開が推奨されます。 非公開オーディションの長所は多くの参加者を期待できる点で、短所は話題性が全くない点です。 公開オーディションの長所は話題性を期待できる点で、短所は恥ずかしいため少ない参加者しか期待できない点です。 非公開オーディションは気軽に参加できるため多くの参加者とより良い人材が集まり、公開オーディションはマスコミが集まります。 オーディションを公開して黎明期のチームを宣伝し、チーム安定後は、非公開で人材を獲得するという手法が用いられる場合があります。
オーディションが二回必要な理由は、新人メンバーと移籍メンバーの両方を獲得しなければならないからです。 オーディションは少なくとも二回実施する事が理想です。一回目のオーディションはシーズン中、二回目のオーディションはシーズン後に実施します。 シーズン中のオーディションは新人メンバー獲得用です。試合を実際に見てからの方が応募しやすくなります。 シーズン後のオーディションは移籍メンバー獲得用です。チームとの契約が切れた後でも応募できるよう配慮します。 二回のオーディションはチームに若手・ベテランという多様性をもたらし、静のパフォーマンス・動のパフォーマンスを向上させます。
他のチアチームから尊敬されるには、自分のチームによって、他のチームが得をする必要があります。 他のチアチームが得をしたと感じるには二つの段階が必要です。一つは超越段階で、一つは公開段階です。 超越段階とは他のチームより成功する段階であり、他のチームより愛されたり、多くの金銭的利益を得たり、会場に一体感を作る段階です。 公開段階とは成功した方法を教える段階であり、ブログにおいて成功体験を周知したり、使用楽曲を公開する段階です。 他のチームよりも成功し、公開されたその方法によって他のチームが利益を得た時、自分のチームは尊敬される事になります。
チアブログのコメント数を気にする必要はありません。 なぜなら、女性はインターネットをコミュニケーションの道具として使いますが、男性は情報収集の道具としか使っていないからです。 情報収集の道具でしかないのならば、ブログを読んだ時点で男性の目的は達成され、コメントは必要としません。 どうしてもコメントが必要ならば、文中でパフォーマンスの感想や好みを男性に問いかけてみましょう。 ただし問いかけるのはあくまで感想や好みであって、意見や助言は問いかけません。 深刻な問いかけは男性を本気で考えてさせてしまい、負担になるからです。
海外チアの最新WSは、普遍的なダンスと組み合わせて自分のダンスにするか、常に最新ダンスである事により有効活用が可能です。 海外チアのWSとはNBAやNFLチアの最新WSであり、二つの手段で有効活用が可能です。一つは自分のダンスにする事、一つは常に最新である事です。 自分のダンスにするとは、最新WSと同時にバレエや日舞などの古くても普遍的ダンスのWSを受け、それらを組み合わせて活用する方法です。 常に最新であるとは、最新WSを常に受け続ける事により、古くなる事を少しでも遅らせる方法です。 最新のすぐ使えるダンスとは、すぐ古くなって使えなくなるダンスと同義であり、単発で活用する事は難しいと言えます【注】。
学び続ける力,池上彰,講談社現代新書。すぐ役に立つものは、すぐ役に立たなくなる。
海外チアチームに挑戦するのならば、日本での商業的展開を狙っているチームが狙い目です。 日本人チアリーダーが海外チアチームを受験する場合において、最大のストロングポイントは、自分が日本人である点にあります。 日本人は当然日本に精通しており、受験チームが日本の市場を狙っているのならば、日本人チアは魅力的に映る事でしょう。 受験チームが日本の市場を狙っているかどうかは、来日経験・日本でのテレビ放送の有無・過去の日本人チアの有無から判断できます。 商業的展開を狙っているチームはチームと日本の架け橋を求めており、その期待に答えることで、オーディションを突破する可能性が増すのではないでしょうか。
男性チアとは性別が男性なだけのチアリーダーです。 男性チアは女性チアと本質的に同じであり、筋肉だけの女性チアがすぐ飽きられるのと同様に、筋肉だけの男性チアもすぐ飽きられます。 男性チアの特筆すべき点はチア寿命の長さにあり、女性チアには不利に働く加齢が、男性チアにはむしろ有利に働きます。 弱点として、男性チアは男性客へのアピールが弱いのですが、同性へのアピールの弱さは女性チアも同じです。 キッズチアに男性が増えた場合、男性キッズの目標となるためにも、男性チアが増加すると予想されます。
男性チアが混成チームに在籍する場合その役割は女性的ですが、男性チアが男性のみのチームに在籍する場合その役割は男性的です。 男性チアは二種類が存在します。一つは男女混成チームの男性チアで、一つは男性チームの男性チアです。 混成チームの男性チアとは、女性が中心または半々の比率のチームに所属する男性チアです。 混成チームの男性チアは女性チアとほとんど同じ役割であり、衣装や振りが多少異なる程度です。 男性チームの男性チアとは、全員が男性のチームに所属する男性チアです。 男性チームの男性チアは女性チアとの筋肉の違いを強調している点が特徴であり、よりアクロバティックです。
男性チアの長所は女性チアの長所と本質的に同じであり、特異点は、チアとしての寿命が長いという点だけです。 男性チアの長所は二点あります。一つは女性に性的なアピールが可能な点で、一つはチア寿命が長い点です。 女性への性的なアピールは、同性である女性チアよりも異性である男性チアが強く、女性ファンの拡大につながります。 チア寿命の長さは、男性は歳を重ねるほど魅力が増す点に由来します。例えば木村卓也氏は40歳であってもアイドル的魅力は衰えていません。 男性チアの長所は異性にアピールするという点において女性チアと全く同じであり、筋肉だけのマッチョチアはすぐ飽きられます。
男性チアの弱点は、男性客が多い場合、性的なアピールが減少する点です。 性的なアピールは異性に対して大きな効果が期待できますが、同性に対してはあまり大きな効果を期待できません。 性差による効果の違いは、野球やバスケのように客層として男性が多い場合、男性チアに不利に働きます。 ただし客層として女性が多い競技の場合、男性チアは有利に働きます。 客層として女性が多い女子バレーの日本代表戦においては、男性チアではありませんが、男性アイドルグループが応援団として登場します。
キッズチアに男性が増えた場合、将来的に男性チアも増える可能性があります。 というのも、男性キッズチアが存在する場合、女性チアしか存在しないトップチームとの整合性が取れないからです。 整合性が取れないとは矛盾しているという意味であり、トップは女性しかいないのに、キッズはなぜ男性がいるのかという疑問です。 トップに女性しかいなければ、トップに男性は入れないのではないかという疑問をキッズが持ち、男性キッズは失望するでしょう。 男性キッズを失望させないためにも、トップに男性チアが必要になってきます。
チアの価値はパフォーマンスを実施する会場の大きさで決まります。 女性がより目立ちより輝かなければならない理由は、できるだけ多くの人の目に触れて、結婚相手の選択肢を増やす点にあります。 このため、観客動員数を期待できる大きな会場は女性にとって魅力的な場所となり、その魅力はチアの価値として反映されます。 この魅力はキッズチアや競技チアでも同様です。 キッズチアは小さなお祭りのステージよりも大きな試合会場でのパフォーマンスに価値があり、競技チアは勝ち上がってより大きな会場を目指します。
チアの実力は多くの場合予算によって決まります。 もしすべてのチアが同時に参加する大会が存在した場合、どこのチアがNo.1なのか簡単に判明する事でしょう。 しかしプロチアにとっては自チームの試合が最優先となるため、そのような大会が存在しても参加する事は難しいです。 大会という直接的手段で実力を測定する事が不可能である以上、予算という間接的手段で実力の近似値を測定します。 予算は多いほど一般的に実力も高いため、プロチアの主たる収入源であるキッズチアの規模がチアの実力となります。 ただし、予算が潤沢な企業チームのチアは、この例外となる場合もあります。
チアがオリンピック競技となるには、フィギュアスケートのように、審査に技術点と芸術点が必要です。 というのも、技術しか評価していない現在のチアは100m走のような陸上競技と大差なく、一般人は興味を示さないからです。 一般人が興味を示さなければ、チア大会の観客は参加者の親だけであり、世間に浸透する事はありません。 世間に浸透するには、一般人が興味を示す芸術を重視し、陸上競技チアから脱却する必要があります。 陸上競技チアから脱却してオリンピック競技に近づけるには、技術だけでなく、芸術を審査で重視する必要があるでしょう。
他のチアに最も簡単に勝つ方法は、オンリーワンになる事です。 オンリーワンになるには、アイディア・金・労力のいずれかを必要とします。 この本の内容を全て受け入れるのであれば、愛され、儲かり、チームが勝ち、読んでいない人に勝つ事ができるでしょう。 しかしこの本を読んでいる人に勝つには、この本を批判的に読み、自分なりの回答を出さなければなりません。
オンリーワンとはすなわちナンバーワンです。 オンリーワンには三つの種類があります。一つは他がやっていない事、一つは他ができない事、一つは他と同じ事のオンリーワンです。 他がやっていない事とは新しいアイディアがある場合のオンリーワンであり、金も労力も不要です。 他ができない事とは金がある場合のオンリーワンであり、プロジェクションマッピングや花火など、アイディアも労力も不要です。 他と同じ事とはアイディアも金もない場合のオンリーワンであり、他より10cm高く飛んだりするなど、労力だけが必要です。
この本を読んだ他のチアに勝つには、この本を批判的に読む必要があります。 批判的に読むには二つの点を考えながら読む必要があります。一つは疑問点、一つは別の観点です。 疑問点とはこの本の内容が本当に正しいのか疑うという事です。完全に正しい本など存在しません。 別の観点とは自分の環境に合致したより良いやり方を見つけるという事です。完全に同じ環境など存在しません。 この本を全面的に受け入れる事なく、自分なりの回答を見出した時、この本を読んだ他のチアに勝つ事が可能です【注】。
学び続ける力,池上彰,講談社現代新書。 ショーペンハウアー:「書は読んだだけでは完結しない。読んだあと「本当か?」と考える必要がある。食物は食べることによってではなく、消化することによって我々を養うのだ。」
最も人気のあるチアとはマスコットキャラクターです。 マスコットの試合会場での仕事はチアとほとんど同じであり、二つあります。一つは愛される事、一つはチームの勝利に貢献する事です。 愛される事とは子供や観客に愛想を振りまいて、自分自身ではなく、チームの好感度を上げる仕事です。 チームの勝利に貢献する事とは、チアの色気が通用しない子供や女性客の心拍数を上げ、試合に参加させる仕事です。 マスコットとは着ぐるみを来たチアリーダーであり、その知名度や人気は、着ぐるみを着ていないチアリーダーを上回ります。
2041年問題とは、2041年にスポーツ観戦者平均年齢が65歳に到達し、その年を境にチアファンが減少するという問題です。 ファンの減少はチア収入やプレゼントの減少を招き、チアそのものも減少させる事でしょう。 この問題に対処するには、長い時間をかけてチアそのものを盛り上げる必要があります。
2041年問題とは、その年の前後からチアファンが減少を始める問題です。 チアファンの平均年齢は、2014年におけるJリーグの観戦者平均年齢と同じならば、40.4歳(1975年生まれ)と考えられます【注1】。 40歳は統計局が発表する人口ピラミッドの頂点であり、生産年齢人口の上限(64歳)へ2041年に到達後、チアファンは減少します【注2】。 減少が人口ピラミッド通りならば、チアファンは2051年に75%、2081年に50%となる事でしょう。 減少はファンからの収入やプレゼントに及び、チアそのものも減少させるはずです。
チアファンの減少は一夫多妻化を発生させ、チアは他チームのチアとファンを共有する事になります。 一夫多妻化とは一人のファンが複数の応援対象を掛け持ちする現象です。 この現象はファンが減少しているアイドル界ですでに起こっており、チア界でも後追いすると予想できます。 一夫多妻化はチアに二つの変化をもたらします。一つは浮気の許容で、一つはチアのチアファン化です。 浮気の許容とは「所属チームが好きな人が好き」から「チアが好きな人が好き」への意識変化です。 チアのチアファン化とはチアが他チームのチアのファンになる意識変化です。
浮気の許容により、チアはファンによる他チームチアの応援を許容せざるを得なくなります。 他チームチアへの応援は、他チームへの応援とほぼ同じ事を意味しており、通常許容できません。 許容できな行為であっても、ファンが減少した場合、ファン争奪戦によるさらなるファンの減少を避けるために許容せざるを得ません。 ファン争奪戦が発生すると、各チアチームがファンを囲い込み、少ないファンがさらに少なくなって全滅します。 全滅するぐらいならば「所属チームを好きな人が好き」から「チアを好きな人が好き」に意識を変化させ、ファンを共有して生き残った方が得策です。
チアのチアファン化により、競合する他チームチアのファンだと公言するチアが出てきます。 というのも、競合する他チームチアであっても、そのチアを好きだと宣言すれば、そのファンを共有できるからです。 他チームチアへのファン宣言は、競合する他チームへの応援とほぼ同じ事を意味しており、通常許容できません。 許容できない行為であっても、ファン争奪戦が発生すると、競合する他チームチアもろとも全滅する可能性があります。 全滅するぐらいならば「私を好きな人が好き」から「他を好きな人でも好き」に意識を変化させ、ファンを共有して生き残った方が得策です。
2041年問題を解決するには、長い時間をかけてチアそのものを盛り上げる必要があります。 2041年問題に対処する方法は三つあります。一つはファンの数を増やす、一つはファンの単価を増やす、一つはチアを減らす方法です。 ファンの数を増やすにはチアがより愛される必要があり、特に若いファンを優遇する必要があります。 ファンの単価を増やすには、チアファンシートの設置・握手付きチケット・コレクション性のあるグッズ販売が必要です。 チアは人為的に減らすまでもなく、キッズチア人口の減少により、自然に減っているかもしれません。
1.Jリーグ スタジアム観戦者調査 2014 サマリーレポート,http://www.jleague.jp/docs/aboutj/spectators-2014.pdf
2.人口推計(平成25年10月1日現在),http://www.stat.go.jp/data/jinsui/2013np/
未来を読めるチアとは一歩先をゆく先進的チアリーダーです。 未来を読めるチアは、物事から見出した本質と照らしあわせて未来を語ります。 本質は普遍的であるため、同じ状況が発生すれば、同じ未来が起こり得ると予想できるのです。
未来を読めるチアは本質を見出している点が違います。 未来とは将来起こり得る出来事であり、本質とは普遍性を意味します。 普遍性とは誰でも何度でも起こりうる性質であり、その性質を知ってさえいれば、未来でも同じことが起こりうると予想できます。 例えばチアとアイドルに共通する性質を知っていれば、アイドルで起こった出来事がいずれチアでも起こると予想できます。 未来を読めるチアは本質から普遍性を見出し、将来起こりうる高い可能性に対して、事前に対処しているにすぎません。
本質を見い出せば誰でも未来を読めるチアリーダーになる事ができます。 本質を知るには物事を注意深く観察し、何事にも「なぜ?」と疑問を持つことが肝心です。 なぜこのチアは人気があるのか?なぜこの会場は盛り上がっているのか?常になぜ?と考えなければなりません。 常に考えていると、目で見ただけでは見つからない本当の理由を、頭で見つける事ができます。 本当の理由がなぜ?に共通するのならば、それには普遍性があり、未来であっても同じことが起こると読めるのです。
チア人気を向上させるには競技者と鑑賞者を増やす必要があります。 チア人気とはチアを好む人の総数であり、競技者と鑑賞者を合算したものです。 競技者とは自分でチアを実践して楽しむ人達です。 鑑賞者とは他人のチアを見て楽しむ人達です。 競技者を増やすには男の子を増やす必要があり、鑑賞者を増やすには芸術を取り入れる必要があります。
競技者を増やすには男の子を増やす必要があります。 男の子を増やすには二つの条件が必要です。一つは本人がやる気を出す事、一つは親が金を出す事です。 これらの条件を満たすには、男性チアのように具体的な目標が必要です。
男の子本人がやる気を出すためには、チアに憧れ、自分もチアになりたいと思わなければなりません。 男の子のやる気は性によって発揮され、思春期以上の男の子チアは、チアでモテる必要があります。 思春期に満たない男の子は、強さやかっこ良さといった、将来的に性につながる欲求を満たす必要があります。 強さには黒いシャツといった服装が必要であり、かっこ良さには男の子向けのダンスが必要です。 強さやかっこ良さといった憧れには、男性チアのような、目に見える具体的な目標が必要です。
親が金を出すには親としての利他の欲求を満たさなければなりません。 親としての利他の欲求とは、男の子の体育・教育・未来を育みたいという欲求です。 体育とは健康、教育とは価値の付与、未来とは将来獲得し得る価値に対する期待を意味します。 男の子が元気に過ごし、理性と技術を持ち、将来はチアやダンスで報酬を獲得できる事を示す必要があります。 親が金を出してでも男の子をチアに育てたいと考えるには、男性チアのような、目に見える具体的な目標が必要です。
鑑賞者を増やすには芸術を取り入れる必要があります。 芸術とは双方向であり、競技者が審査員に一方的に見せているだけの現状のチアは単方向です。 このような単方向チアに陥っている原因は、審査員の評価が技術重視であり、鑑賞者が評価する芸術重視と乖離(かいり)しているため発生しています。 例えば、芸術性が皆無でただ回転数を競い合っているだけのフィギュアスケートを、一般の鑑賞者が見に行くでしょうか。 一般の鑑賞者が評価する芸術をチアに取り入れ、審査員がそれを評価した時、チアの鑑賞者は増加する事でしょう。
チアは社会を変えるし、社会もまたチアを変えます。 チアの普及による社会の変革は自動車・テレビ・コンピュータの普及と同様の道をたどっており、今後チアそのものも変革させる事でしょう。 普及と変革は四つの段階に分けられます。一つは開拓期、一つは征服期、一つは社会の変革期、一つは社会による変革期です。 チアはすでに社会を変革させる段階に入っており、今後は社会がチアを変革させる段階に入ります【注】。
開拓記における普及対象は、少数の人々にしか価値がない存在です。 例えば、最初のコンピュータは大砲の弾道計算に使用されており、少数の軍人にしか価値がないものでした。 計算する場合、当時の多くの人達は計算尺やそろばんといった手動計算機を使用しており、コンピュータは必要ありませんでした。 チアも同様であり、最初のチアはスポーツ観戦における応援要員にすぎず、少数のスポーツファンにしか価値がないものでした。 スポーツ観戦をする場合、多くの人達は勝手に盛り上がって応援しており、チアは必要ありませんでした。
時と共に状況は改善され、普及対象は社会を征服します。 コンピュータは価格の下落により普及が進み、研究所にあった大型コンピュータは小型化し、個人が所有できるようになりました。 個人が所有できるようになったコンピュータは電話と融合し、社会を征服します。 チアも同様であり、タイムアウトが存在するスポーツによってチアの普及が進み、アマチームでさえチアを所有できるようになりました。 普及したチアはエンターテイメントと融合し、サッカーや野球のような、タイムアウトのないスポーツをも征服します。
征服した普及対象は社会を変革させます。 コンピュータは個人が手のひらの上に所有しており、そこから商品の購入・行政サービス・予約などが可能になりました。 商品を購入するために店へ行ったり、行政窓口に並んだり、チケットショップを探すという社会が変革したのです。 チアも同様であり、ほとんどが男社会のスポーツ界において、女性がプロとして主体的に参加する事が可能になりました。 裏方として選手を支えるだけでなく、チアは女性が主役として試合会場に登場する社会に変革させたのです。
社会が普及対象に変革される過程において、普及対象も社会に変革されます。 初期のコンピュータは文字しか扱う事ができず、その使用は技術者による無骨なものでした。 しかし使用者が社会で増えるに連れ画像や動画を扱う事が可能になり、通信機能を得て、女子高生による恋愛の道具にまで変革されました。 チアも同様であり、スタジアムで応援するだけだったチアは、普及する過程において社会に変革される事でしょう。 社会によるチアの変革とは、男女平等による男性の参加・チアのアイドル化・応援の簡略化などが該当し、一部はすでに変革されています。
The Art of Computer Game Design,Chris Crawford,McGraw-Hill/Osborne Media。 開拓期・征服期・社会の変革期・社会による変革期という普及の変遷について、自動車産業の例を上げ、 コンピュータゲームの未来を語っている。 この普及の変遷は本質的であり、チアも同じような未来をたどるのではないだろうか?
チアの楽観的未来は個性・芸術・技術のいずれもが発達した未来であり、チアの悲観的未来はいずれかだけが発達した未来です。 チアには二つの未来があると予想できます。一つは楽観的未来で、一つは悲観的未来です。 楽観的未来におけるチアは、アイドルのように個人が輝き、大人が唸る芸術性を持ち、驚きの舞台装置やゲストに彩られるでしょう。 悲観的未来におけるチアは、偏ったチアであり、見た目だけのチア・難解なだけのチア・話題性だけのチアのいずれです。
未来のチアを楽観する場合、個性・芸術・技術のいずれもが発達していると考えられます。 個性の発達によりチアはアイドルに近い存在となり、個人が愛されるために、一人一人の髪型や衣装も異なるチームとなる事でしょう。 芸術の発達によりチアは双方向性が増し、メッセージ性を持った演技が披露され、大人の鑑賞に耐えうるチアとなる事でしょう。 技術の発達によりチアは光や映像との一体化が進み、歌舞伎や猛獣等他の要素も取り入れた、総合エンターテイメントとなる事でしょう。 未来のチアは本質は変わらないものの、表現はより柔軟となり、ポンポンだけが象徴的に残されるかもしれません。
個性が発達した未来のチアは、アイドルとの違いがほとんどなくなります。 個性とは個を決定づける特徴であり、最初にチームが個性を持ち、次に個人が個性を持ちます。 チームの個性とは地域性を反映した衣装や海賊などのテーマであり、多くのプロチームはすでに確立しています。 個人の個性とは一人一人違う髪型・衣装・メンバーカラー・特技・趣味・嗜好であり、チームの個性が発達した段階で発生します。 発達した個性の最終段階が個人の個性であり、その特徴はアイドルの個性と一致するため、未来のチアはアイドルとほとんど同じになります。
芸術が発達した未来のチアは、大人の鑑賞に耐えられるようになり、フィギュアスケートやシンクロナイズドスイミングのようになります。 芸術とは双方向性であり、チアが観客に語りかけ、観客もまたチアに語りかけるという無言の会話の繰り返しです。 無言の会話とスポーツとの組み合わせはフィギュアやシンクロで実績があり、それらは芸術点と呼ばれています。 この芸術点が大人の鑑賞に耐えられるか否かの分岐となる存在であり、芸術なきチアは単なる陸上競技にすぎません。 陸上競技チアから脱却するために審査員がチア以外の教養を身につけ、芸術が評価された時、大人のチアファンが誕生するでしょう。
技術が発達した未来のチアは、面白ければなんでもありの、総合エンターテイメントとなります。 技術とはパフォーマンスを向上させる手段であり、二つの種類があります。一つはハードウェア技術で、一つはソフトウェア技術です。 ハードウェア技術とは機械による手段であり、豪華ステージ・ハデなライト・3D映像・電流爆破・クレーン車放水が実施されます。 ソフトウェア技術とは人による手段であり、ゲストチアとして、俳優・大物演歌歌手・メジャーリーガー・首相が出演します。 総合エンターテイメントはチアを題材としたお祭りであり、話題性によって、より多くの一般ファンとマスコミを引きつける事でしょう。
未来のチアを悲観する場合、個性・芸術・技術のいずれかだけが発達していると考えられます。 個性だけが発達しているチアとは見た目だけのチアであり、全員モデル事務所から派遣され、応援やダンスはバックダンサーが担当します。 芸術だけが発達しているチアとは難解なだけのチアであり、自分よがりで鑑賞者を考慮しないパフォーマンスが実施されます。 技術だけが発達しているチアとは派手なだけのチアであり、豪華ステージにはライトが眩しく光り、中身のないスカスカなチアが披露されます。 いずれかに偏った発達はチアを進化させず、どこかで破綻します。チアの発達にはバランスが必要です。
チアの進化とは伝統を重んじながらも、伝統の奴隷にならない事によって発生します。 完全に新規のチームでない限り、全てのチームには何らかの伝統が存在します。 伝統とはテーマであり、例えば激しいダンスがテーマのチームや、かわいらしさがテーマのチームが存在します。 このような伝統を根底から変更してしまえばファンがついて行けない場合があり、一方何の変更もなければいずれファンに飽きられます。 受け継がれてきた伝統を重視しながらも、時代やチアDに合わせた変更を少しづつ組み込む事により、チアは新しく進化します【注】。
数学は世界を変える:あなたにとっての現代数学,リリアン・R・リーバー,ソフトバンク クリエイティブ。進歩は伝統を尊重しながら、それに奴隷のように100%従わない事によってなされる。
チアを知る事は花を知る事と似ています。 幼少のキッズチアは美しく開いた花弁そのものがチアだと考えます。 思春期のキッズチアは花には枝葉があり、根がないとすぐ枯れる事を知ります。 プロのチアは花が花弁でも切り花でも植木でもなく、大地に根付いて世界と関係している事を知ります。 チアディレクターは花束の作り方を知り、同時に、花の命が短い事も知るのです。
チアは恥を忘れた時に死にます。 恥とは、愛情・自立・献身という、チアの品格を獲得するためのやり過ぎた行動です。 愛情を獲得するための恥とは、裸同然の衣装で踊るといった、同性が眉をひそめる性的行動です。 自立を獲得するための恥とは、キッズチアを金儲けの道具としか考えないといった、拝金主義的行動です。 献身を獲得するための恥とは、ハデすぎたり暗すぎたりする照明といった、試合に影響を与えるような演出的行動です。
僕がバナナを売って算数ドリルをつくるワケ,天野春果,小学館。 試合会場が盛り上がっている状態とは、すなわち、一体感が作られている状態であると看破している。
論理が伝わる 世界標準の「書く技術」,倉島保美,講談社。 当書はこの本で説明されているパラグラフライティングで書かれている。
The Art of Computer Game Design,Chris Crawford,McGraw-Hill/Osborne Media。 芸術は全て双方向であり、双方向性のあるコンピュータゲームも芸術であると説く。同様に、双方向性のあるチアも芸術と言える。